年末のこの時期になると各方面で赤穂義士討ち入りが取り上げられる。
今回は大高源吾が話題の主ですが、知多半島に関係があるとは。
愛知県の日間賀島生まれとのこと。赤穂生まれの説もある。
どこの生まれでもいいようなものですが、地元の人たちには
それなりの思いもありますし、だから歴史は面白いとも言えます。
講座の先生が調べられた限りでは、愛知日間賀島生まれが真実のようです
義士中一番多くの資金を使ったそうですから、活躍度も高かったのでしょう。
47人の赤穂浪士中、文人の誉れ高い大高源吾、俳号は子葉。
俳諧の師、宝井其角と橋の上で出会った源吾の姿に師は
身をやつしているとは知らず、哀れを覚えられた。
討ち入り前日でしたが、それを明かすわけにもいかず
歌舞伎にもなった「両国橋の別れ」は名場面で知られています。
辞世の句 「梅で飲む茶屋もあるべし死出の山」
バス、地下鉄、名鉄と乗り継いでカルチャーセンターまで行くのですが、
よい運動にもなった1日でした。