義父からの手紙は拝啓で始まり、恙なく消光致しおります・・・・
私はその時初めて「消光」なる言葉を覚えました。
そして手紙は敬具で終りました。
さすが「候文」ではありませんが随所に明治の人を感じる手紙でした。
その名も「郷井門」、時代劇に出てきそうな名前です。
寡黙で謙虚な人でしたがその分義母が補っていました。
士族ではないはずですが古武士然とした風貌でした
豊かではなかったと思いますが息子(私の亡夫)を中学から名古屋へ出し、
教育県の長野らしく教育熱心な人で、学ある人でした。
「断捨離」は急ピッチで進んでいますが、
写真と手紙だけはなかなか捨てられず困りました。
私も断捨離というか整理はしているんです。
部屋が多いのでスッキリはしてるんですが、
物置や土蔵も多いので、断捨離的なものも多いのです。捨てるものは本当のガラクタです。
お義父さまのお手紙やお写真は捨てずとも大丈夫と思います。
後の方がたが見られても大丈夫なのですもの(*^^*)
私も、今は亡き叔父たちから頂いた手紙は捨ててません。
私への恋文だったら、後に残る者たちが仰天するでしょうから処分ですが(笑)
私のブログの記事。102歳で、お一人暮らしの方の本です。学びがいっぱいでした。
でも!ReiさんはReiさんでとても素敵です(*^^*)
断捨離の言葉が独り歩きしていますが、それぞれですから。
素敵な思い出を置いておくのは良いのではないでしょうか?
私はまだ捨てるものを探していますが((´∀`*))ヶラヶラ
次なる「棲家」へ変わることを考えて
処分しています。
写真はともかく、手紙などは次世代次々世代になると
思い入れもなくなるのではないかと思います。
お宅は拝察しますに広い敷地に大きなお家のようですし、
まだまだお若いのですからもっともっと将来になって
お考えになってくださいね。
今はまだ早すぎます。
ありがとうございます。
素敵ではありません、日々あれやこれやとかんがえています。
狭いわけですから、思い切って減らさないと入り切れません。
大物は本です。
気休めのような断捨離ですが、ストレス解消には
役だっています。
忘れるでしょうが、自分の胸に収めることで手紙はかなりのものを処分しました。
どれを残すか、「思い切る」難しさがついてまわりますね。
使う方の人柄というか知性というか
選ぶきがします。
それをさらりと使われる義父さまの
教養の深さがわかります。
私だったら「恙無く暮らしております」
と書いてしまいますね。
次の「棲家」は狭いので捨てたくないものも
捨てざるを得ないのです。
昔に浸っていてなかなか捗りません。
同居しなかったせいもありますが
近寄りがたい感じの人でした。
最近は手紙を書かなくなりました。
文字も忘れています。反省です。
私のブログは昔の事ばかりでこれも反省です。
お目にかかれません。
たまにメールで、昔ながらの定型文を見て違和感を感じたりします。
捨てたくないモノは無理に捨てることはないと思います。
断捨離の風潮に流されないのも一つの見識かも知れませんね。
楽しいような味気ないような。
今の住まいにいる限り何も捨てる必要はありませんが、
次なる「棲家」へ移った場合のことを考えて
捨てる必要があるのです。
最後までこの家にいられればいいのですが・・・・