去る日、4人(弟、妹二人、私)我が家へ集合、夕方まで他愛ないおしゃべりに終始しました。
4人食事会と称し、当初はそれぞれの推すレストランでランチでした、
フレンチだったりイタリアンだったりでしたが、
いつの頃からか「我が家レストラン」になってもう久しくなりました。
同じ両親、同じ家庭に育っても、それぞれ回想の中の両親は、
ある時は同じ、ある時は違います。違って当然です。
父の言葉や母の話など、時に初めて聞くこともあり、新鮮に聞けました。
集う度に新しいものが出てくる不思議もありました。
みな高齢になって一度聞いても忘れているのかもしれません。
次回を約して自分の車やらタクシーで帰って行きました。
※ 南京万里長城。十数年前弟夫婦と3人で訪れました。弟は南京生まれ
経済発展著しい今、生まれた家はありませんでした。痕跡は№プレートだけ。
本当に楽しいことでしょうね。
昔の思い出を共有できる人がいるのは幸せですね。
私は従兄弟姉と仲良しで遠方ながらたまに集合
です。やはり楽しいです。
93歳の私を筆頭に全員超高齢者です。
あと何回催せるかわかりません。
最後に両親の教育、しつけがよかったからと
自画自賛して集まりは終わります。
そうですね親が若い頃と歳がいってからまた住んでいた場所など思いは違うのでしょう。
姉と私は全く違って居ました。
とても羨ましいです。
私は戦前戦中に育った5人兄弟の真ん中で
以前は事あるごとに集まり、共通の話題で
楽しいひと時を過ごしていました。
今は全員揃うことはなくなり寂しい限りです。
年齢が離れていますので、それぞれの思い出も
違いますが、
両親はいつも私たち四人を平等公平に扱って
くれました。
それだけは四人共通の思い出と言いますか
感じています。
曲りなりにも四人みな揃っているのは
稀有のことかもしれません。
昔の映画で「喜びも悲しみも幾年月」がありました。
私たちは幾年月を共に過ごしたわけではありませんが
この言葉は好きです。
喜びも悲しみも共有していますから
おしゃべりが尽きないのもまた当然かもしれません。
ごきょうだいがお揃いで長寿だからこそですし、
もうまさに「集う」ことの楽しみですね。
次回も楽しみですね。
Reiさんにはお迎えする準備もおありでしょうけど。
抱えています。
気取ってレストランのランチより気楽な
「お家レストラン」がいいと言ってくれますので。
私も手抜きが上手になり、お弁当とかお寿司取ったりしています。
今朝は雪が降りました
「瑞雪」などと言っておれません。
郵便受けまで新聞をとりに行くだけで
「おっかなびっくり」です。
ご姉弟皆さんがご健在とは羨ましい限りです。
私は弟一人がコロナ禍に癌で亡くなり、
今は6歳下の弟と二人だけになりましたが、離れているので
会えるのは法事の時ぐらいです。
「お家レストラン」は気軽で良いですね。
十数年前に弟さん夫婦と3人で万里長城に行かれたそうですが、
今の私と同じくらいの年齢の時かしら。お元気でしたね。
今の私は海外に行く元気はりません。
両親ともわりに長命でしたから、遺伝もあるのでしょうか。
父は腺病質でしたが、戦後のいいお薬のおかげで
生きながらえました。
弟さんは遠くにおいでの由、我が家は全員県下に住んでいるのも集まりやすい理由と思います。
お尋ねの南京旅行時の私の年齢ですが、
hiroさんと概ね同じだったと思います。
お元気、とおっしゃっていただきありがとう。
残念ながらこの2年で急速に衰えました。