四川省、玉龍雪山の山並み
主峰は未踏峰 5596M 法律で登頂は禁じられているらしい。
中国四川省旅した時、麓の村まで行った ↓ 少数民族の衣装借りて。
途中4500Mまでロープウエイで行けるらしいが、ツアーだったので乗れなくて残念!
御嶽教信者の祖父(父方)の霊神碑除幕式に「講」の皆さんや父と参加、
右端の「包帯」巻いている碑が祖父のです。 ↓
写真は父が撮ったらしい。最前列真ん中辺りに帽子被っている私(4合目付近) ↑
8歳だったらしい。1939年
「六根清浄」とは言わなかったと思います。
高い山へは登ったことはありませんが、涸沢、焼岳(途中まで)
千畳式カール(木曽駒)その他低地はたくさん歩きました。
お山憧憬はもしかしてこの御嶽山が原点にあるのかと思います。
時代は下って道路もできてすぐ近くまで車で行けました。母や弟たちと。
雨の1日、写真整理していて1枚を除いてまた二枚でてきました。
しばし、昔の思い出に浸りました。
それに毅然とされたreiさんの民族衣装!
素晴らしいですね〜
私も今日は昔のアルバムを見ました。息子たちの
小さな頃のとか見て懐かしかったです。
私も登山の原点は御嶽山です。
小学生の時、近所の御嶽教先達に付いて、山頂
まで登りました。
難所では先達の「さーんげさんげ、ろっこんしょー
じょう」の掛け声に合わせて、一心不乱で登った
ことを思い出します。
霊神場では、行者が霊神となった人と縁者の仲に
立って口寄せするシーンも記憶に残っています。
何度も御岳には登りましたが、そんなシーンに
出会うことも少なくなり、観光や登山中心の山に
変わっていきました。
管理する人の居なくなった霊神場や碑は、荒れ
果てて不気味な感じもします。
特に写真はです。
この辺では「どんくさい」といいます。
テキパキできないことです。
身体的衰えばかり比較してしまいます。
老人は過去を・・・と言いますがその通りです。
自分の衣類は意外に捨てられるものです。
テレビで見ましたが、
御嶽山は道路も整備されて、白装束はなくなったのですね。
私の中での霊場は以前のままですが、
荒れ果ててしまったのですね。
御嶽教そのものはまだあるようですが?
名古屋から冠雪の御嶽山を見た時は感慨を覚えます。
行者が霊神となった人と縁者の仲に>このことは知りませんでした。
今回の大噴火で大勢の犠牲者がでましたね。
避難するシェルターもできたようで
登頂も緩和されたのでしょうか。
御嶽教信者でなくてもこの地方の人はみな
御嶽山に親しみを持っています。
♪木曾のなぁ中乗りさ~ん♪は盆踊りでいつも
流れます。
これらの写真も記憶に残るのは私で終わりです。
いろいろ教えていただきありがとうございました。
思い出を話す相手がおありですから良いですね。
私はありませんから多分潔いのでしょうね(#^^#)
それに何故か忘れっぽくて( ;∀;)
たくさんあり過ぎて捨てるに捨てられず
老人施設に入るにも処分するものが多くて
困っています。
本や衣類は捨てられますが、今となっては
写真には困っています。