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93歳・老大娘の日記

晩年を生きる

憧憬の原点

2024-03-13 20:54:52 | 想い出

四川省、玉龍雪山の山並み

主峰は未踏峰 5596M 法律で登頂は禁じられているらしい。

中国四川省旅した時、麓の村まで行った ↓ 少数民族の衣装借りて。

途中4500Mまでロープウエイで行けるらしいが、ツアーだったので乗れなくて残念!

御嶽教信者の祖父(父方)の霊神碑除幕式に「講」の皆さんや父と参加、 

右端の「包帯」巻いている碑が祖父のです。  ↓

写真は父が撮ったらしい。最前列真ん中辺りに帽子被っている私(4合目付近) ↑

8歳だったらしい。1939年

「六根清浄」とは言わなかったと思います。

高い山へは登ったことはありませんが、涸沢、焼岳(途中まで)

千畳式カール(木曽駒)その他低地はたくさん歩きました。

お山憧憬はもしかしてこの御嶽山が原点にあるのかと思います。

時代は下って道路もできてすぐ近くまで車で行けました。母や弟たちと。

雨の1日、写真整理していて1枚を除いてまた二枚でてきました。

しばし、昔の思い出に浸りました。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
思い出 (ryo)
2024-03-13 21:52:03
懐かしい思い出ですね〜
それに毅然とされたreiさんの民族衣装!
素晴らしいですね〜
私も今日は昔のアルバムを見ました。息子たちの
小さな頃のとか見て懐かしかったです。
返信する
御嶽講 (nko)
2024-03-13 22:51:15
白装束に金剛杖! 懐かしい風景です。
私も登山の原点は御嶽山です。
小学生の時、近所の御嶽教先達に付いて、山頂
まで登りました。
難所では先達の「さーんげさんげ、ろっこんしょー
じょう」の掛け声に合わせて、一心不乱で登った
ことを思い出します。
霊神場では、行者が霊神となった人と縁者の仲に
立って口寄せするシーンも記憶に残っています。
何度も御岳には登りましたが、そんなシーンに
出会うことも少なくなり、観光や登山中心の山に
変わっていきました。
管理する人の居なくなった霊神場や碑は、荒れ
果てて不気味な感じもします。
返信する
>ryoさん (Rei)
2024-03-14 10:10:13
整理、処分と称していますが、捗りません。
特に写真はです。
この辺では「どんくさい」といいます。
テキパキできないことです。
身体的衰えばかり比較してしまいます。
老人は過去を・・・と言いますがその通りです。
自分の衣類は意外に捨てられるものです。
返信する
>nkoさん (Rei)
2024-03-14 10:31:21
四国のお遍路さんはまだ白装束の人を
テレビで見ましたが、
御嶽山は道路も整備されて、白装束はなくなったのですね。
私の中での霊場は以前のままですが、
荒れ果ててしまったのですね。
御嶽教そのものはまだあるようですが?
名古屋から冠雪の御嶽山を見た時は感慨を覚えます。
行者が霊神となった人と縁者の仲に>このことは知りませんでした。
今回の大噴火で大勢の犠牲者がでましたね。
避難するシェルターもできたようで
登頂も緩和されたのでしょうか。
御嶽教信者でなくてもこの地方の人はみな
御嶽山に親しみを持っています。
♪木曾のなぁ中乗りさ~ん♪は盆踊りでいつも
流れます。
これらの写真も記憶に残るのは私で終わりです。
いろいろ教えていただきありがとうございました。
返信する
こんにちは (ふくちゃん)
2024-03-15 12:54:14
貴重な写真がたくさん残っていますね。
思い出を話す相手がおありですから良いですね。
私はありませんから多分潔いのでしょうね(#^^#)
それに何故か忘れっぽくて( ;∀;)
返信する
>ふくちゃん (Rei)
2024-03-15 15:57:27
はい!ありがとうございます。
たくさんあり過ぎて捨てるに捨てられず
老人施設に入るにも処分するものが多くて
困っています。
本や衣類は捨てられますが、今となっては
写真には困っています。
返信する

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