仁、そして、皆へ

そこから 聞こえる声
そして 今

離れられない人Ⅳ

2008年02月04日 12時00分52秒 | Weblog
 仁がカレに駆け寄った。カレの背中から血が流れていた。仁はカレの服を脱がせるとTシャツを裂いてグルグル巻きにし、止血した。このときから、「ベース」は完全な言葉の統制化に入った。ヒロムがカレの所持品から住所を探り当て、ヒデオが乗ってきた車を回した。事故で騒がしい公園通りを避け、道玄坂の裏手で待機した。仁がカレをおんぶする様な格好で裏道を選び、ヒデオの車に運んだ。アキコとヒトミが同乗し、カレの学生証に記載された住所に向かった。カレはMG大の一回生だった。カレの住所は、広尾の住宅街を示していた。
 一連の事件の中で「ベース」に残る人間と、「ベース」を去る人間が選別された。見たことのない光景に恐怖を覚える者、後ずさり走り出す者、ヒロムは両手を拡げ、その者たちを静止し、「べース」の位置付けと個人の関係を説いた。自由を語り、今此処で起こったことが個人の意思を決めることになるともいった。当然、口止めもして。
 カレの家はそのときの選挙で落選していたが政治家のSの家だったらしい。警備のオマワリがいない状態が幸いして仁たちは玄関先にカレを寝かせ、呼び鈴を連打して返事があったところで逃げ帰った。
 ヒロムは残った人間をまとめ「場所」に移動した。何の連絡をしたわけでもないのに後から仁たちはそこに来た。今とは違い、携帯電話などない頃なのだが。仁は場所に座り、ヒロムが中心になり、今後の行動に付いて話し合った。「ベース」から「パーク」に移動する、それについては誰も反対しなかった。攻撃が今後も続くのか、単に突発的な出来事なのか、僕らは集会の曜日を決め、連絡方法を確かめた。あくまでも、個人の素性を明かすことはせずにことを起こすには、現代のように携帯メールでもあれば事は簡単なのだが・・・、今でもあるのかどうか知らないが、当時は駅に伝言板という黒板があって、暗号めいた言葉を使って僕らは連絡をとりあうようになった。
 土曜日の夜、「ベース」には違う人々が噂だけを頼りに集まっていた。誰か一人が「ベース」に出向き、合言葉のように「仁」と語り、「合いたい」という感触のある人間だけを「場所」に連れて行った。怖いお兄さんたちもその時間を狙って「ベース」に現れ、僕らを探していたらしい。ぼくらはそれを感じて外側から確認できれば、「ベース」に入らずに退散した。怖いお兄さんたちは僕らが販路になるだろうと考えたのか、それとも、女を調達しにきたのか、それは不明だ。事件についても、怖いお兄さんたちの仕業なのか、サングラスなのか、それもわからなかった。ハイミナール、ブリバリン、エフェドリン当時は簡単に薬局で手に入る薬物、そんなものに依存していると勘違いしていたのだろうか、常用者だったら、次はお兄さんたちから買うかもしれないが、ぼくらの集会はけして薬の力を借りたりはしなかった。それでも、怖いお兄さんたちは僕らを探していた。だから、伝言板にメッセージを書き込み、「パーク」の場所を変え、ゲリラ的に「集会」を続行していた。驚いたことに、あの事件から2,3週間した頃だと思う、マサルが僕らの集会に復帰した。仁はマサルをこれ以上はない微笑みで受け入れ、しっかりと抱擁した。