つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

そして奇遇で終わりました。(Ⅱ)

2005年12月05日 | Weblog
 会議が終わっての帰り道。折角だからどこかでお茶でもと言ったのですが、
みんな夕飯を食べていってもいいというのです。
私は息子との約束があったのですが、お付き合いをすることに。

 北海道出身の夫婦でやっている店に行きました。
厚岸から取り寄せたというおいしい魚が売りの店でした。
みんなはビールで乾杯。あら~彼女も好きなんだ~と・・・。

 頼んだ料理を待っていると一人の女性が入ってきました。
ベーレー帽をかぶった華やいだ雰囲気の女性です。
店のお上(彼女が知り合いなのです)が『お帰りなさい』というのです。
その時です、彼女がかって親しくしていた人だということに気がついたのは。
息子と保育園が同じで、小学生になっても行き来して、お泊りもしていた関係です。

 そしてもっと悲しいことを共有する関係でもあったのです。
私の夫も、彼女の夫もともに胃がんで亡くなりました。
末期の私の夫を彼女が見舞ってくれました。
その時の熊の小さな小さなぬいぐるみは
今でも残っています。

 そしてそれから数年後私は彼女の夫を見舞うことになったのです。
同じ胃癌でした。
ご主人の顔を見た時もう長くないことを察しました。
みかんを食べたいというので
近くの八百屋さんで買ってお見舞いに差し上げました。
彼女によれば伊予柑だったそうです。
おいしそうに食べていた映像が浮かんできます。

 何故かその後、彼女とのお付き合いは疎遠になりました。
きっと現在のことに追われる私の生活の故でしょう。

 共有するものがあるからでしょう、
数年間のギャップはまったく感じられないひと時を過ごしました。

 何かを共有できていることが、どれほど貴重なことか
つくづくと感じたひと時でした。
奇遇の感激で終わった一日でした。





大失敗から始まったその日

2005年12月05日 | Weblog
昨日は大切な会議がある日だった。
駅の集合時間が8時15分。

窓の外でばたんと音がするので目が覚めた。
例によって外に出ていた猫が入れてと網戸に飛びついた音だった。
時計をみたらなんとぴったり8時15分。
ソファで転寝するつもりが、4時前に本格的に寝てしまったのがいけなかった。

どんなに頑張っても間に合わない。
実は息子の彼女に8時前に車で駅まで送ってもらうことになっていた。
彼女は途方にくれた顔で階下で待っていた。
携帯に電話するとか手を尽くしたらしいけれど、
携帯は生憎下の部屋に置きっぱなし。
私は謝ったかどうかも定かでないくらい慌てていた。


待ち合わせの人に携帯電話をいれる。顔を洗う。必要な書類をもつ。
コートを着て靴を履いて、傘をもって車へ。以上10分。
息子が駅に送ってくれた。
かくして1本遅れの電車に乗れた。

会議には十分間に合った。

会場で実に些細なことで後任者とちょっとしたバトルがあったけれど、
その後はつつがなく進行して会議は終了。

晴れて任務修了。
ことの意味を理解できる人が少ないことを改めて痛感。
残念なことだけれど、自分でしっかりと身を立てるしかない。