つれづれに

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親子3人でお見舞いに

2013年01月08日 | Weblog
娘・息子と3人で、仙台に住む妹のお見舞いに行ってきました。

親子3人の旅行は子どもたちが大きくなってからは十数年ぶり。前回はベルギー&オランダへ。
夫の治療に関わる「医療過誤」裁判の和解金で出かけました。
夫の命がこの程度の和解金かと思いましたが、何か記念になることを思って出かけたのです。

今回はホスピスに入ったという妹にびっくりしていたら、子どもたちが結婚式や出産祝いなどお世話になっているのでお見舞いに行きたいと言うので、急遽実現しました。

娘が「親子3人の旅行はこれが最後かもしれないわね」などいうものですから、真意を測りかねて・・・・でした。

「おばさんにあっても顔色は変えないでね」とだけ言っておきました。
夫の時は病院でしたので、ホスピスは初めてでした。
窓からハクチョウが見える湖や、川の流れ蛾見え、林に囲まれた大学が見える自然ただなかにありました。

幸い、自宅から車で十分前後とか、いつでも会いに行ける場所でした。

ご主人と長女が待っていてくれました。
正月休み最後で、日曜日と言うこともあるのでしょうか。
とても静かでした。

医者も看護師も、白衣は着ていないのだそうです。
そう言えば時々入ってくる職員さんも看護師とは気がつきませんでした。

11月に試験薬のトライが無効だったことを受けて、12月下旬に自ら希望して入所したようです。
目が大きくなって、私たちの母の晩年にそっくりになっていました。

私との電話の後くらいから、急速に調子が悪くなったのだと本人は言っていました。
「まだ入るのが早かったかもしれません」と夫さんはいっていましたが、間もなく一度退院するようです。

でも朝出かけると夜は早くても9時すぎないと誰も帰ってこない部屋で、ストーブにかじりついたそうです。すでに左手はマヒをしていたのですが。
夫と子供2人はみな働いていたのです。確か公務員なら介護休暇もある筈ですが。

そんな寂しい毎日に耐えていたのかと思うと私は言葉を失いました。

神経の圧迫により声が擦れていましたが、いろいろしゃべってくれました。私のリンパ浮腫を気遣ってくれて・・・・。

3月の誕生日に写真日記を出すよと言ったら「あらそうなの」と関心を示してくれました。私の娘が「早く見せてあげられるといいわね」と。

妹の昼食を前に、病院を辞して仙台に帰りました。
部屋を出る時、私は何を言ったのか覚えていません。