メールのやり取りをしている趣味の園芸の掲示板に、ドイツのダッハウの強制収容所の写真が送られてきました。メンバーの一人がドイツに行かれているからです。
私はダッハウの強制収容所は初めての名前でしたが、強制収容所と聞いて
2003年に訪れたアウシュビッツ強制収容所のことを思い出しました。
そこに遺されていた子どもたちのよそいきの洋服、
刈り取られた髪の毛、靴(義足までありました)、人骨の粉などを見て、
言葉を失いました。
これらは資源として再利用されていたのですから。
この場所を見学して、印象深かったことがもうひとつあります。
同じ先の世界大戦でおこなった戦争の犯罪性を糾弾されたドイツと日本の違いを見せ付けられたことです。
その歴史をしっかりとあるがままにみつめ、国の責任において残そうとしているドイツにくらべ、
日本では南京虐殺はでっち上げだとか、未だにアジア開放の戦争だったなどと
いっている人たちが政府の中心にいて勢いついているのです。
こういう日本が世界の中で信頼されるでしょうか。
常任国入りをめぐって、国連の中で惨めな得票しか得られないのは、こんな日本の姿勢と関係がある、そんな気がします。
私はダッハウの強制収容所は初めての名前でしたが、強制収容所と聞いて
2003年に訪れたアウシュビッツ強制収容所のことを思い出しました。
そこに遺されていた子どもたちのよそいきの洋服、
刈り取られた髪の毛、靴(義足までありました)、人骨の粉などを見て、
言葉を失いました。
これらは資源として再利用されていたのですから。
この場所を見学して、印象深かったことがもうひとつあります。
同じ先の世界大戦でおこなった戦争の犯罪性を糾弾されたドイツと日本の違いを見せ付けられたことです。
その歴史をしっかりとあるがままにみつめ、国の責任において残そうとしているドイツにくらべ、
日本では南京虐殺はでっち上げだとか、未だにアジア開放の戦争だったなどと
いっている人たちが政府の中心にいて勢いついているのです。
こういう日本が世界の中で信頼されるでしょうか。
常任国入りをめぐって、国連の中で惨めな得票しか得られないのは、こんな日本の姿勢と関係がある、そんな気がします。