
初夢と言うほどでもないが、年が明けて2つの夢を見た。ここ1ヶ月ほど夢を見てなかったから、あまりよくは覚えていない。
1つ目は、女が飼ってたトラに食い殺されかけた夢だったが、殆ど印象には残らなかった。
(中高生ほどの年頃だろうか)愛嬌のいい少女が笑顔を振りまきながら、自分よりも2周り程デカいトラ(虎)を飼ってること自体おかしな事だが、そのトラが暴れた途端、私には現実に思えた。
そのトラは私と遭遇、いや目が合った事で興奮したらしい。少女は飼ってたトラを必死で宥めるが、動物的本能に目覚めた獰猛な肉食獣をあやす事は明らかに無理である。
虎はすでに大量殺戮兵器になりかけていた。少女の事も心配だが、私は近くの民家にひっそりと身を隠し、警察に通報した。すぐに数名の警察が到着したが、あっという間に噛み殺されてしまう。
やがて、周りの住人たちが騒ぎ出し、方々に逃げ回るが、次々に人が死んでいく。まるで戦場での無差別殺戮を見てるようだった。
こういう時は逃げ回らず、じっとしてた方が得策である。
私は、泣きじゃくり、その場にしゃがみこんだままの娘に近づいたが、娘は放心状態にあったせいか、話しかけてもピクリともしない。トラが近くにいないか十分に注意し、娘を抱き起こし抱えあげ、近くの鉄工所風の大きな倉庫の中に何とか潜り込んだ。
住民のパニックに陥った声が徐々に遠ざかる。私はトラが遠くにいるものと勘違いした。
娘が気付いてたのかはわからないが、トラは私を最初から狙ってたみたいだ。私が、背後で待ち伏せする殺人獣の存在に気付いた時はすでに遅かった。
その時、夢から覚めた。
初夢にしては、笑えない夢だったが、そう言えば旧年は寅年であった。つまり、トラを飼う娘がうさぎ(卯)と考えれば、納得がいかなくもない。
兎(うさぎ)は跳ねる為に”景気が上向きに跳ねる”とされるが、夢の中の少女はしゃがみこんだままで、跳ねて暴れまくってたのはトラの方である。
そういう意味では、今年は出鼻から嫌な予感がする。
プーチンの心理戦
案の定、プーチンは休戦協定を匂わせ、ウクライナの各都市にいきなり攻め込んできた。
まるで、初夢に出てきたトラの様に狡猾で残酷な殺し屋である。2つ目の夢は、そのプーチンの出番だった。
夢の中でのプーチンはかなり追い詰められていた。周りは敵だらけで、プーチンが堕ちるのも時間の問題だとされていた。
私は西側から送られたプーチン暗殺チームの扇動者(スパイ)で、全ては順調に進んでいた。核のボタンに指を触れさせないままプーチンを仕留めるというプランは、それ程難しくはない様に思われた。
つまり、冷酷なプロの殺し屋に徹するプーチンは、指導者としてはそれ程クレバーじゃない様に思えたからだ。
チーム内でも、”オツムの弱い狂った殺し屋”という評価で一致していた。更に、プーチンの経歴を調べる内に、”このクラスの殺し屋なら確実に落とせる”という慢心、いや過信がチーム内に蔓延っていた。
本当にクレバーな独裁者なら、民間人の大量虐殺や民間施設やインフラへの攻撃は愚策に思えた事だろう。
私はプーチンが狂ってるのではなく、初歩的で致命的な間違いを犯したと決めつけた。
そう、私はプーチンの背後に回り、首根っこを捕まえた気でいたのだ。
しかし、すぐ目の前にいる筈の冷酷な殺し屋は、私が思うような浅学非才の男じゃなかった。
私は背後に何かを感じた。後ろにいる男の青い2つの瞳には、精神的にも知的にも十分に鍛え上げられた何かが、ありありと映し出されている。
自分の無能さに気付いた時はすでに遅かった。いや、無能さに気付いて死ねるのなら本望だと悟った。
そしてその時、夢から覚めた。
2つの夢も同じ殺される夢だったが、私の浅はかな判断ミスで犯した失態である。
獰猛に暴れるだけの猛獣だと思ってた生き物が実は冷静に人間を観察し、効率よく殺していく。住人を追いかけるふりをして、パニックを引き起こし、さり気なくターゲットの背後に回る。
トラは牙の中にセンサーを備えてるという。遠くにいても動物の頸動脈の音を感知し、相手が見えなくても耳と牙という高度なセンサーだけでターゲットに近づく事ができる。どんな所でも一度でも噛み付けば、強力な腕で獲物を抑え込み、牙は無意識に頸動脈へと向かう。お陰で、自分より大きな獲物も簡単に仕留めることができる。
そう、トラは生まれながらのプロの殺戮兵士なのである。同じ様に、プーチンも生まれながらの大量殺戮兵器なのかもしれない。
私なんかの軟弱な素人が、トラやプーチンに敵う筈がない。プロの殺し屋からすれば、数学で固めた知能すらもひと刺しで葬り去るだろう。
彼らの脳みそや思考は、ただ獲物を奪い殺す為だけに存在する。人を殺す為だけの脳が存在するとしたら、プーチンの脳はその典型かもしれない。
”ロシアに攻め込んだら核のボタンを押すぞ”と脅しながら、面白いように民間人を殺害する。これじゃ、殴られても殴り返せないボクサーと同じである。
かといって、トラ相手にいや核相手に素手で勝てる筈もない。
人殺しの心理学
「戦争における”人殺し”の心理学」では、戦場における人殺しとして訓練された兵士の崩れゆく心理を実体験を元に、500ページを使い詳しく分析する。
”人は本来は人を殺せない”というマーシャルの理論がある。こうした本来人が持つ殺人に対する生来の抵抗感を訓練や心理操作で排除できるとしたら・・・
原題は「戦争と社会で殺害する事を学ぶ心理的コスト」(On Killing:The Psychological Cost of Learning to Kill in War and Society)だが、殺害行為の心理学と殺害の結果を理解し対処する為の軍と政府の試みを詳細に探求した著者のデイブ・グロスマンには敬意を評したい。
本書は、戦闘における殺人を心理学的に分析し、戦争に兵士を送り出すとはどういう事なのか?その為にどんな訓練が行われるのか?兵士の心はどの様に変異していくのか?をテーマにする。
最初の第6部までは、戦闘における兵士の人間が本来持つ同類を殺す事への強い抵抗感や、殺人に至るまでの反応が様々な記録に基づいて段階的に語られる。第7部では、帰還兵のPTSDに焦点を当て、最後の第8部では、現代アメリカに蔓延するゲームや映画が子供たちを殺人マシンに仕立て上げつつある事に対する警鐘が鳴らされる。
戦場での殺人の合理化は、やがて兵士らの心を破壊し、PTSDを棲み作る。勿論、合理的な方法でこの厄介すぎる病巣を取り除く事は可能だが、殺人の合理化と同様その多くの試みは失敗した。
ベトナム帰還兵にPTSDに苦しむ人が多いのは、戦争では(訓練により)戦場での発砲率が著しく向上し、結果、殺人経験者が増えたからだとされる。一方で、ベトナム戦争終結時のアメリカ社会は、戦争への否定的感情が高まり、兵士たちにも非難が浴びせられた。その結果、帰還兵は殺害の合理化とその受容のプロセスに失敗し、引きこもり・アルコール依存・離婚など、社会への不適合に陥った人が多くなったという。
私達は兵士を裁いたり非難する前に、”兵士を戦場に送る”という事が、どの様な結果をもたらすのかを理解する必要がある。つまり、殺人マシンとして訓練&教育された兵士の心を理解すべきである。
兵士は躊躇なく人を殺すものだと思っていたが、どんなに訓練を受けた人でも精神的打撃を受けるという。
最後に〜人は本来、人を殺せない
以上、日本赤十字社のコラムを参考にして紹介したが、戦場に送られた兵士の心をテーマにした本書は、非常に斬新にも映った。
日本は平和憲法で戦争を放棄してはいるが、戦場へ送られる可能性がないとは言い切れない。例え、”国を守る為に戦う”という大義があっても、それが兵士という殺人マシンを作り上げる国家の無謀で不条理な口実だとしたら・・・
戦争や国の為とは言っても、人は人を簡単には殺せない。
米軍は朝鮮戦争以降、敵を殺す事を躊躇しない心理状態を作り出し、それに成功したかに思えたが、ベトナム戦争では多くの米兵に深刻な後遺症が残った。
湾岸戦争では多くのミサイルが使用されたが、米兵の命を守る為だけでなく、”直接、敵を殺すのが難しい”からだという事が理解できる。故に、近い将来では戦争ロボットが戦場へ送り込まれる映画の様な可能性は捨てきれない。
戦場における殺人の心理は異常心理と何ら変わりはない。そんな異常心理を正常な心理に変異させる事は明らかに無理がある。
人間には良心はあるが、国家そのものには心はない。兵士には心があるが、戦争そのものには(当り前だが)良心などない。
大量殺戮は戦争だけではない。企業本位のリストラもパンデミック時のコロナ死も、介護に行き詰まった高齢者の安楽死も例外と言えなくもない。
人は死に直面すると、一気に脆くなる。それは人には心があるからだろうか。
しかし夢の中に登場した人食い虎とプーチンには、”心”というものが全く見えなかった。つまり、心が見えない殺人鬼ほど厄介な生き物はいない。
”人は簡単には人を殺せない”
これは我々が21世紀を生きる上で、とても重要な暗示かもしれない。
ベトナム戦争では成功したかに思えた実験もすぐに化けの皮が剥がれ、帰還兵の心を蝕むだけの致命的な誤算だけが残りました。
PSTD(心的外傷後ストレス障害)は湾岸戦争で有名になった言葉ですが、ベトナム戦争時にすでに問題視されてました。
まさに、心的外傷という名の心的代償ですよね。
一本取られましたね。
PSTDというのは、湾岸戦争の帰還兵を題材にした映画で知られた言葉ですが、ベトナム戦争時に既に起きてた事でした。
アメリカ政府と軍は実験の失敗を隠す為に、湾岸戦争で初めて経験した様に見せかけました。
そして今、ウクライナではプーチンの侵略戦争により、多くの死傷者が出続けてます。
戦争が無事終結したとしても、心的外傷と心的代償は計り知れないものとして、心と体と記憶に永遠に残り続けるんでしょうか。
こういう事を考えただけでも、PSTDに陥りそうな気分です。
結局は、単なる生まれつきの殺人鬼でしたね。
アメリカも悪いんですが、プーチンは札付きのワルって感じで、どんな理由があろうと、今回の侵略戦争でウクライナを含め、全世界に与えた被害は償えるレベルじゃないです。
言われる通り、悪性サイコパスの極端な典型かもです。
民主主義とは言っても、我ら民衆は悪の独裁や権力にはとても脆いんですよね。
それにプーチンの無法ぷりを見てると、神様は何処の何を見てんのかなって、とても悲しい気持ちになります。