愛する娘が(間接的であったとしても)意図的に殺人を犯したら、父親は娘を心の底から許す事は出来るのだろうか?
私がその娘の父親であったら、彼女に殺害の意志があったかどうかを徹底的に問い詰めたであろうか。いや、それとも、映画のエンディングの様に、曖昧なまま全てをなかった事にするのだろうか。
アメリカのオクラホマ州スティルウォーターの石油会社に勤めていたビル・ベイカーは、マルセイユに1年間留学しガールフレンドを殺害した容疑で逮捕・起訴されてる一人娘アリソンに面会する為にフランスを訪れた。
法的手段は使い果たし打つ手がない中、ビルはフランスに移住し、娘の無実を晴らす為に孤軍奮闘する。そんな中、ビルは仏人女性ヴィルジニーと彼女の幼い娘マヤと出会い助けられる。しかし、この事件を調査するうちにビルは衝撃の事実を突きつけられる・・・(ウィキ)
以下、ネタバレになりますが、悪しからずです。
ガールフレンドのリナを殺害した罪で(9年の実刑判決を受け)既に5年服役中のアリソンは、無実を訴え続けていた。
彼女の手紙には、”私は無実よ”という他に、”真犯人はアキムという男だわ”という事も書かれていた。
やがて、ビルはアキムを探し出し、(同棲する)ヴィルジニーのアパートの地下室へと男を監禁。リナが殺害された日の事を問い詰める。
しかし男は、”リナを殺すよう依頼したのはアリソンの方だ”と衝撃の言葉を漏らす。
更に、男は縋る気持ちでアリソンから手付金として預かった品を見せ、”ネックレス!スティルウオォーター!”と叫ぶ。
真実を知り、怒りに震えながらも狼狽する父親だが、彼が採取したアキムの髪の毛のDNAがリナ殺害時に残されたものと一致した事で、娘の疑いが晴れる。
無事、故郷のスティルウォーターに戻った父と娘だが、一人浮かない表情を浮かべるビルはアリソンに訊ねる。
”前にあげたネックレスは?”
父に全てを知られてると悟った娘は、”殺すとは思っていなかった”と涙し、そんな娘を父はそっと抱きしめる。
翌朝、2人は庭に出て、静かな街並みを眺めている。
”ここは以前と何も変わらないね”とアリソンが呟くと、”いや、自分には何もかも変わったように見える”とビルが答える・・・
以上、映画ウォッチから一部抜粋でした。
「冷血」との比較
この映画を見て、カポーティの著作「冷血」(1965)を思い出した。
意図的に行った”間接殺人”と言えなくもないが、実際に手を下してはいないが、アリソンが”殺せ”と命令したのは事実である。
ガールフレンド殺害と一家4人惨殺との違いはあるが、「冷血」では命令を下したヒコックと殺害に手を染めたペリーの二人が、殺人犯として絞首刑に処せられた。
終始、無罪を主張し、ペリー1人に罪を被せようとある事ない事を喚き散らし続けたヒコックに対し、殺害した遺族に謝罪を述べ、絞首台に立ったペリーだが、アリソンは前者の方に思えた。
勿論、その彼女も一度は自分の罪に責任を感じ、首吊り自殺を計るが、(幸か不幸か)命だけは救われる。
この結末をどう見るか?は人それぞれだが、若い女の毒々しい残忍性と狡猾な隠蔽性を垣間見たような気もした。
仮に、この事件が実話なら、その後のアリソンはどんな人生を送ったのだろうか。
”以前と変わらない”平凡な人生を歩むのか?それとも”何もかも変わった”堕落した人生を歩むのか?
その答えは父親であるビルだけが知ってるのかもしれない。
事実、今でも殺されたカーチャーの遺族らはアマンダを疑ってますし、彼女が不当なメディアの仕打ちを非難する程に逆効果みたいです。
言われる通り、当時の彼女はクスリ漬けのセックス狂であったし、カーチャーは彼女の犠牲になったとも言えます。
”ドラッグは不幸を呼ぶ”の典型ですが、これも自業自得なんですかね。
コメント参考になります。
この作品は、アマンダの冤罪事件(2007)の実話から着想を得たとされています。
彼女のルームメイトが殺された件で、殺害の日に一緒にいたとされるアマンダと彼女の交際相手ラファエレと薬売人の男が逮捕されますが、アリバイが成立し、一時は釈放されます。
しかし警察側が起訴し、事件の2年後にアマンダに禁固26年、ラファエレに25年の有罪判決を下した。
しかし弁護団はDNA証拠が弱すぎると控訴し、最高裁は2013年、判決を棄却し審理のやり直しを命じます。
翌年の再審によりアマンダに懲役28年、元交際相手及び共犯の男に懲役25年の判決が下ります。更にその翌年、捜査に誤りがあったとして、アマンダとラファエレに、再び無罪を言い渡しました。
まるで七転び八起きのような展開ですが、薬売人の男が主犯格だったみたいですね。
でも、当時のアマンダはドラッグやセックスに浮かれ、殺害に関して何らかの接点が遭ったのは確かでしょうか。