象が転んだ

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広島・長崎を全く無視した愚作〜「オッペンハイマー」の矛盾と限界

2025年01月15日 15時02分54秒 | 映画&ドラマ

 最初から最後まで、オッペンハイマーを追い詰める事が目的の聴聞会ばっかで、ウンザリとアホ臭と、そして落胆と失望の180分間だった。
 まさに”結果ありきのイカサマ”いや、”オッペンハイマーありきの愚作”に終止した。つまり、原爆投下の全ての責任をオッペンハイマーの弱みにつけ込み、覆い被せた。彼の水爆反対は原爆投下の責任には何ら関係ない事であるにも関わらずだ。
 後でも述べるが、原爆投下の本当の黒幕は、「悪魔の兵器#2」「#3」でも書いたが、大統領の絶大な信頼を得ていた”科学界のドン”と怖れられたバネバー・ブッシュである。彼に比べれば、オッペンハイマーは(科学者としてみても)所詮は雑魚に過ぎなかった。

 興行収入を除いては、ノーラン監督はこんな子供騙しの映画を作るべきではなかった。勿論、”原爆の父”として世界中に名の知れたオッペンハイマーを盾に使う事で莫大な利益を生む事は、配給元のユニバーサル・ピクチャーズも想定内だったろうが・・
 まるで、ハリウッドによる米英だけが弁解する為だけの高く付きすぎる言い訳に思えた。だが、こんな矛盾と限界に満ちた”愚作”でもアカデミー賞で作品賞や監督賞を初め、最多7部門受賞となるのだから、ハリウッドの政治的な影響力は未だ世界でも絶大な権力となりうるし、無視できない事を証明した訳だ。

 正直、最初は映画を見る気はなかった。アマプラで配信されてなかったら、まず見る事はなかったろう。
 「映画は”絶望の淵”を切り取る鏡・・」でも書いたが、矛盾と言い訳に満ちた作品になると判ってたからだ。事実、その予想は大当たりだった。オッペンハイマーの栄光と苦悩をダラダラと180分を掛けて描いても、フィクションと見れば大成功だったかもだが、原爆投下という過去と現実の”絶望の淵を描く鏡”としてみれば、大失態でもあった。更には、序盤から”赤狩り”を展開に交えた事で、全てが支離滅裂に終わった感もある。


オッペンハイマーの喜奇劇?

 原爆開発はともかく、広島と長崎への原爆投下は何をどう弁解しようと、正当化出来るものではないし、そのまま率直に非を認め、謝罪した方が制作費1億ドル(約142億円)よりもずっと安くついたのではないか。
 勿論、世界の興行収入が9億5千万ドル(約1350億円)近くになった事を考えれば、投資で言えば大成功だったとも言えるのだが・・「タイタニック」や「アバター」と同じで、その中身は子供でさえも笑えない次元である。但し、伝記映画でも第2次世界大戦を扱った映画としても歴代1位となり、R指定映画としては歴代2位の興行を記録した。
 一方で、”駄作やマンガほどよく売れる”とは、昨今の矛盾した資本主義の法則でもある。しかし、日本でも僅か37日で16億円の興行収入を突破した事から、中身はともかくも、大きな注目を浴びたのは確かだろう。
 勿論、上映には、IMAX版とDolbyCinema版に加え、35ミリフィルム版と通常版の4つのフォーマットを用意した事も、空前の大ヒットに繋がった事は言うまでもない。

 ここからが本題だが、劇場に足を運んだ日本人の中には”これはインチキだし、アホ臭だ”と感じた人もいたのではないだろうか?
 クリストファー・ノーラン監督に関して言えば、英国生まれという事もあってか、原爆投下を正当化しようという魂胆が筒抜けだったし、彼の作品群を眺めても、駄作とは言わないが、大した作品は作れてはいない。そして今回の「オッペンハイマー」である。
 まるで、「タイタニック」のキャメロン監督をそのままコピーした様な展開だが、この映画だったら”お樹様向け”の「タイタニック」の駄作の方がずっと許せる。少なくとも、原爆開発に関わった科学者らの葛藤や罪悪感に対する迷いという、センシティブな世界の描写は殆ど無視されていた。
 つまり、米英が”チューブ・アロイズ”計画で企んだ、日本への原爆投下を正当化する為だけのオッペンハイマーの物語でもある。
 言い換えれば、米英の腹黒い部分を煮詰めて描いたら、こんな愚作になるのだろうと別の意味で感心する。それに、原爆開発の黒幕であるバネバー・ブッシュが少ししか顔を表さなかった所も、ノーラン監督の腹黒さと無策を具現していた。
 故に、オッペンハイマーではなく、バネバー・ブッシュの伝記映画にすべきだったし、オッペンハイマーは米政府の単なる”捨て駒”に過ぎなかったのだから・・ 

 更にキャストで言えば、オッペンハイマーを演じたキリアン・マーフィーの素っ裸のシーンが余計に思えたし、恋人のオッパイ丸出しヌードは悲劇の科学者を描く上で必要だったのか?逆に、妻を演じるエミリー・ブラントの終始軽蔑した様な悲しい視線が印象的だった。
 そういう意味では、オッペンハイマーの栄光と悲劇と言うより、単なる喜奇劇で終わった様な気もする。
 しかし、陸軍将校のレズリー・グローヴスを演じたマット・デイモンは作品の全体を通じ、オッペンハイマーを暗に養護しつつ、いい味を出してはいた。だが、私の知らない科学者ばかりで、原爆投下の殺伐とした議論よりもオッペンハイマーを罠に陥れる議論ばかりに傾倒した事も、愚作に朽ちた一因でもあろう。勿論、大半の豪華キャストはとても”褒められた存在ではなかった”とだけは言っておこう。

 結局、原爆開発競争や原爆投下というシリアスでセンシティブなテーマの作品を、映像の説得力と構成力で大掛かりな作品に仕立てたつもりが、結果的には虚無で壮大な動画が出来上がってしまった。掘り下げるべき点を失したと言えばそれまでだが、原爆投下により戦後はアメリカの属国に成り上がった日本から見れば、無条件降伏以来の屈辱にも受け取れる。
 つまり、ノーラン監督の日本に対するこうした”上から視点”こそが、「オッペンハイマー」の本質であった様にも思えた。


更なる偽善と矛盾と批判

 気になる専門家の評価で言えば、批評家と観客の双方から作品・監督・俳優・編集・撮影・視覚効果といった幅広い分野で高く評価された。事実、某専門サイトには220件のレビューが集まり、批評家支持率は93%で平均点は8.8/10となり、観客支持率は95%で平均点は4,7/5となっている。
 批評家の大方の見解は”ノーラン監督は新たな偉業を成し遂げ、マーフィーの離れ業の演技と驚くべき映像美に心を奪われた”とあり、”原子物理学について語り合う3時間の映画”と絶賛する声もあるが、私から言わせれば、原子物理学に関する専門的議論は殆ど無視されていた。
 また、オッペンハイマーの孫チャールズは”映画として良かったと思う。ロシアによるウクライナ侵略により核兵器の脅威が高まった事で注目が集まったのだろう”と日本人記者クラブで述べたが、まるでよそ様の白々しいコメントにも映る。

 一方で、原子爆弾投下による”広島・長崎の惨状が描かれていない”との批判や指摘も一部では噴出した。がこれに対し、ノーラン監督は”オッペンハイマーの視点から描かれた作品であり、彼はラジオを通じて広島長崎の原爆投下を初めて知ったが、決して主人公を美化する為ではない”と反論したが、オッペンハイマーは実際の惨状を知らないだけで、事前に広島長崎の原爆投下を知らされていた。
 被爆2世であるデポール大学の宮本ゆき教授は”肝心の部分が抜けてるし、こうした原爆の被害を語る事は悪なのか”と、強い憤りと違和感を抱いている。
 こうした原爆投下に対する日米の認識の差は埋まらないどころか、作品の大ヒットにより大きく広がったままだ。
 事実、X上では”バーベンハイマー”という皮肉的な造語が生まれ、大きな社会現象となったが、被爆者の会からは”原爆投下から78年を迎える中、核兵器の被害を軽視する感覚に怒りを覚えた。被爆者が見たらどう思うか、胸が押し潰される思いだ”と憤る。事実、この怒りの言葉は「オッペンハイマー」に対する日本人の心の叫びそのものでもあろう。

 確かに、アメリカは世界一多くの核兵器を保有し、何時でも何処でも使用できるという優越感と選択肢がある。それがアメリカ白人の誇りであり、心の支えにもなっている。が、肝心の原爆を落とされる視点が彼らには大きく欠けている。
 事実、米国内には”原爆は非人道的だ”と非難する声もあるが、多くは原爆被害の悲惨さや実態を何も知らないし、原爆を落とした事を悪いとも思っていない。つまり、大半のアメリカ人の無知が起因するが、核が使われた結果、どういう惨状を引き起こすのか?本当の恐ろしさを理解しなければ、全ては何も変わらない。
 ノーラン監督もこうした事を何も理解しないまま「オッペンハイマー」を作った。そして、核の驚異と惨劇を大方理解しない人が劇場に足を運び、壮大なドキュメント大作と勘違いし、本作を高く評価した。

 映画監督のスパイク・リーは”あと数分追加して日本人に何が起こったのかを見せてほしかった。彼らは(何も知らず)蒸発してしまったんだ。残された被爆者らはその後何年も放射線障害に苦しんだ。映画の最後で2つの核爆弾を投下した事により起こった事を描いてほしかった”とコメントした。
 アメリカ黒人らしい言葉だが、人種的・性差的偏りについての批判も噴出する。
 事実、SF在住の某日系人記者は、実際に原爆被害を受けた日本人だけでなく、研究所のロスアラモスから強制退去させられ、核実験後に放射能汚染された土地に帰還せざるを得なかったネイティブアメリカンや、1946~58年の間に米軍に依る核実験の舞台となったマーシャル諸島の住民など、”核開発により実際に被害を受けた人々の存在が顧みられてない”と指摘し、ハリウッドの白人中心主義を批判した。
 一方で、長崎県被爆者会の朝長氏は”原爆被爆者の映像が描かれてない事はこの映画の弱点だが、オッペンハイマーのセリフの中に何十カ所も被爆の実像にショックを受けた事が込められていた。あれで十分だったと思うんですよね”とコメントし、アメリカにも原爆投下に対する考えに変化の兆しが見えてる事に安堵する。


最後に〜愚作の中の矛盾と限界

 マンガ研究家の小田切博は、ノーラン監督の反論や反戦・反核を意図した映画に違和感を覚え、本作は社会的テーマを持つドキュメンタリーや伝記映画ではなく、監督の持つ”生理的な核への恐怖を映像化しただけの映画なのではないか”と批判した。
 確かに劇中では、原爆投下をするべきかを議論する場面が登場するが、これは明らかに史実に反し、実際にはどこに落とすかが議論されただけである。
 また、国連総長のA・グテレスは本作品を引き合いに出し、”続編が現実のものとなれば人類は生き延びる事ができない”と警鐘を鳴らした。つまり、反戦・反核は最初から監督の頭にはなかった事が伺える。

 つまり、原爆開発をテーマにするのなら、マンハッタン計画の黒幕であるバネバー・ブッシュを主役にすべきだし、反核・反戦を描くのなら、トルーマンの無学と無能に光を当てるべきだった。更に言えば、原爆投下の責任を問うのなら、”チューブアロイズ”と呼ばれた原爆投下計画を最初に持ってくるべきだったろう。”赤狩り”なんて最初からどうでもいいテーマであり、展開を濁しただけだ。
 少なくとも、オッペンハイマー個人の栄光と屈辱を描いた所で、核戦争の真の驚異は十分には伝わらないし、トルーマンとチャーチルの密約で結ばれた米英の腹黒い原爆投下計画には全く触れてはいない。つまり、反核・反戦を謳っておきながら、その肝心の中核には殆ど触れていない。

 勿論、広島・長崎の惨状を描いた所で、昨今の破壊力が劇的に増した核戦争の驚異を十全に知らしめる事は不可能かもしれない。だが、反核のいや核戦争抑止に対峙する現実的で直截的な”一刺し”にはなりうる。
 だが、ノーラン監督にはその勇気も覚悟もなかった。ただ、それだけの事である。言い換えれば、反戦や反核よりも映画監督として名を残す為のオスカーが欲しかっただけなのだろう。
 私が「オッペンハイマー」を愚作と呼ぶのもそのせいである。そして、この映画の冒頭で”赤狩り”をテーマにした事で、矛盾と限界は避けられなかった。

 最後に、アインシュタインが屈辱と悲哀に暮れたオッペンハイマーに赦しを諭すシーン(写真)があるが、私にとっても唯一救い、いや(本作に対する)赦しとなったかもしれない場面である。
 ”私は核戦争の引き金を引いてしまった”とロバートが悔やむ所で幕を閉じるが、この時に広島・長崎への原爆投下の惨劇を挿入すべきだった。でも、ノーラン監督にはそれすらも出来なかった。この様な素人目に判る事すらも、監督には出来なかったのだ。
 全く無能と言うか無策と言うか・・・
 勿論、見てて損をした気分になったのは言うまでもないが、1800円を払わずに180分の愚作ぶりを堪能できたのは、ラッキーだったのかもしれない。



4 コメント

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ホモデウス (UNICORN)
2025-01-16 11:46:56
アメリカ白人は
自らを神(ホモデウス)だと信じ切っている。
だから何をやっても赦されると信じている。
プーチンもロシア正教の赦しを政治と権力に利用し、侵略戦争を正当化する。
トルーマンも戦争を早期終結させる為の手段として、原爆投下は神に赦される行為だと勝手に理解した。
神の赦しがごく一部の腹黒い権力者に利用される時、人類はとても危険な方向へと舵を切る。
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UNICORNさん (象が転んだ)
2025-01-16 17:54:45
ホモデウスに関しては
アメリカ白人だけでなく、一部の特権階級的ユダヤ人などにもその意識は強いですよね。
原爆投下が神に赦される行為と考えてる事自体が狂気そのものですが、この時点でアメリカも狂ってたんでしょうか。
ただこの映画では、ロシア-ウクライナ戦争の影響からか、当時のドイツや日本よりも対ソ連を強く意識してる様な気がしました。

結局は”結果ありきのイカサマ”的映画でしたが、でも映像と音だけは良かった様な気もします。
今年も宜しくお願いします。
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結果ありき (paulkuroneko)
2025-01-18 14:11:01
で思い出したんですが
映画の中でもオッペンハイマーは聴聞会で”結果ありきのイカサマ”と責められます。
実際に、原爆開発は予算ありきのイカサマでしたし、原爆投下も密約ありきのイカサマでした。
言われる通り、オッペンハイマーではなくバネバー・ブッシュの物語にしていたら、当時の原爆開発に関する機密が全て暴露されてたかもしれません。
転んださんが愚作と何度もダメを押すのも、そんな所から来てるのでしょうね。
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paulさん (象が転んだ)
2025-01-18 16:22:49
一言で言えば
ノーラン監督には、その勇気も覚悟も更には知才もなかった。
興行の為、安易に問題作を描くつもりが、アメリカ政府や軍の猛反発を買ったんでしょうね。
原爆開発の黒幕であるバネバー・ブッシュも、原爆投下の密約であるチューブアロイズ計画も殆ど登場しなかった所を見ると、完全にシャットアウトされ、興行目的の作品にすり替えたと見るべきでしょう。
勿論、映画とてフィクションですから、どんなデタラメを描こうか勝手なんですが、本質くらいは仄めかして欲しかったですよね。
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