サッカーの試合の後
サッカーの練習試合で、互いのチームは不思議と気が合ったし、ゲーム内容も素晴らしかった。
その試合で笛を吹いた審判が、互いのチームのフェアで真摯なプレーに痛く感動し、互いのチームを食事に誘った。
”君たちは紳士中の紳士だ。今日の試合は私が笛を吹いた試合の中でもベストゲームだったよ。今日は私のおごりだ。心おきなく食べて、そして呑んでくれ”
選手のある一人が呟いた。
”多分、年代が近いからでしょう。皆まだ20代そこそこだから、不思議とウマが合うんですよ”
実際に、11人×2=22人の年齢を確認すると、20歳が半数以上を占めた。
年齢を1人1人確認する内に、不思議と誕生日の話になる。
審判はある事に気がついた。
”でも、私を含め、同じ誕生日の人が全くいないというのも不思議だな?そんなもんかな”
選手の一人は叫んだ。
”ええ?でもそんなもんでしょ。逆に、同じ誕生日の人がいる事自体が奇跡ですよ。ワールドカップで日本がベスト4に入るようなもんでしょ?”
審判は首を横に振る。
”それがね、私も含めた23人のうち、2人以上の誕生日が同じである確率は、実を言うと驚かれそうだが、五分五分よりやや大きい位なんだよ”
選手の一人は叫んだ。
”エエエーっ!そんなに大きな確率で、同じ誕生日が存在するんですか?”
誕生日のパラダクス
そのカラクリはこうである。
ある日が誕生日になる確率を1/365で全く等しいと仮定する。
しかし実際には、1年の中でも確率の高い日や低い日があり、国によってもバラバラである。それらの要素を考慮に入れても、”半々”の確率は変わらない。やはり驚くような結果になるのだ。
つまり、数学を直感で考えるとアホを見る。数学は数学の論理で考えるべきなんですよ。
各選手にとっての確率は、1/365で独立してるものとする。当然の事だが、同じ誕生日の者だけを集めたら、確率は1(=100%)になる。
さてと、23人が同じ誕生日である確率を求める訳だが、ここでは数学的背理法を使い、23人の誕生日が全て違う確率を求めた方が、ずっとずっと簡単だ。
確率という計算規則では、1からその確率を順に引いていけば、その逆の確率を得る事が出来ます。
つまり、ある事が起こらない確率は、1からある出来事が起きる確率を引いた確率ですね。
これこそが確率の計算原則であり、それには、ピッチに1人1人ずつ入ってくる(誕生日が異なる)確率を掛け合わせればいい。
先ず1人目の誕生日が他の人と違う確率は、当然ですが、1(=100%)です。2人目が入って来た時、その人の誕生日が1人目と異なる確率は、これも当然ですが、365日から1日を引いて、364/365ですね。
3人目も同様に、最初の2人とは誕生日が違うので、365日から2日を引いた確率を掛けると、3人の誕生日が同じでない確率は、(364/365)×(363/365)。
4人目も同様に、最初の3人とは誕生日が違うので、4人の誕生日が同じでない確率は、(364/365)×(363/365)×(362/365)。
ここまで来れば、あるパターンが見えてきます。つまり、k人が入って来た時、k人の誕生日が全て異なる確率P(k)は、P(k)=(364/365)×(363/365)×(362/365)×・・・×((365−k+1)/365)となります。
ここでは、k=23人ですから、実際に計算すると、23人の誕生日が全て違う確率は、P(23)=0.492703となり、そうでない確率、つまり、少なくとも2人の誕生日が同じ確率は、1−P(23)=1−0.492703=0.507297となります。
これは、1/2より僅かに大きい。つまり、”ほぼ半々”なんですね。
つまり、ピッチに23人いれば、同じ誕生日が存在する確率は、そうでない確率よりも高いんです。
因みに、k=1から50まででkによって、同じ誕生日である確率”1−P(k)”は、k=23辺りで既に1/2を示してます(イラスト参照)。
しかし意外なのは、23という数字の小ささですね。脊椎反射系に頼る動物的直感で言えば、”偶然の一致”の確率が半々になるには、もっともっと大きな数が必要だと思えるんですが。
しかし、この直感は間違ってました。これは1人増える毎に、1より徐々に小さくなる確率が掛け合わされる事で、一致の確率が予想よりも速く小さくなるからです。
この人数の少なさに驚く理由は、もう一つある。
”誰か1人が、貴方と同じ誕生日である確率が1/2より大きくなるには何人必要か?”という問題と混同するからでもあろうか。
この問題の方が少し簡単だ。1人ずつ増やしていき、誰も貴方と同じ誕生日でない確率を計算すればいい。
つまり、1人増やす毎に貴方の誕生日と違ってる確率は、常に364/365ですね。故に、k人いれば、(364/365)×・・・×(364/365)=(364/365)ᵏとなる。
この場合、364/365<1より、掛け合わせる程に小さくはなるが、その下がり方は先程の確率よりもずっとゆっくりです。
実際に、1/2より小さくなるのは、(364/365)²⁵³=0.499523より、k=253となる。
つまり、この問題で驚くのは、この253という数があまりにも大きい事だろうか。
最後に〜数学のパラダクス
審判は満足そうに囁く。
”今や数学の世界において、難題とされる予想の証明はその大半が、逆説”パラダクス”から攻め落とすとされる、古来ギリシャ時代から受け継がれてきた”背理法”なんだ。
昨今の現代数学では、この”批判数学”が主流で、数学の巨人ガウスは、<ケチつけるやり方だ>として背理法を嫌ってたとか”
選手の1人が呟く。
”つまり、背理法とは相手の背後を突くカウンターアタックみたいなもんだよね。
でもこの考え方こそが数学的思考で、経験に頼るアナログ的直感とは違う所なんだろうか”
もう一人の若者もうなずく。
”この数学的脳こそが今の時代に重要とされるのも肯けるな。でも経験や勘だけでは、今やサッカーでも通用しないのか”
審判はクビを振る。
”イイヤ、そうでもないさ。
動物的直感は必要だよ。閃きって奴だが、それを養うには、数学的洞察力や幾何的観察眼を鍛える必要があるし、それ以外にも色んな経験をする必要がある”
ある選手は叫んだ。
”アナログと数学的思考との融合が大切なんだろうか?”
しかし、大半の若者は首を傾げたままだった。
実際に数学とは神秘で奇怪な学問でもある。いきなり理解しろってのも無理な話ではある。
以上、数学的思考のパラダクスの話題でした。
クリスマスにたくさんのカップルがエッチして、母親のお腹の中にいる時間が十月十日(とつきとおか)とすると、10月3日とか4日の誕生日の人が多いのではないかと考えたことがありました(笑)
月の引力とかも影響するんで、誕生日はどうしても偏りますよね。
ただ不思議と、私の誕生日と同じ人と実際に出会った事がないです。これも誕生日の偏りですかね。
私の誕生日は同じ人が多いです(笑)。生まれやすい日なのかも(笑)
車のナンバーにしているのですが、同じ番号とすれ違うと「貴方も??」とか思います(笑)
ですが、全く私とは関係のないナンバーなんですが、出かけると「1103」「1123」に遭遇することが多く、日に5台とかいろんな場所で目撃すると、この番号は何?何故みんなつけてるの?…と聞いてみたい気分になります(笑)
1万台に1つの番号です。奇妙に感じて見てしまいます笑(結構外車率が高め)
因みに、車のナンバーについては、1123(いい夫婦)、1188(いい母)、2525(ニコニコ)とか演技を担ぐ番号が人気だそうで、1103は”伊藤さん”とか”ひとみ”になるみたいです。
案外単純ですね。
1クラスが23人だと半々ですが、40人のクラスだと、90%近くに跳ね上がります。
数学的に見れば当然ですが、現実には少し信じられませんね。実際に私の記憶では、誕生日が同じだった同級生は一人もいませんでした。
365個のボールを40人の生徒が取り合って同じボールを掴む確率といえば、多少は理解できるかもしれませんが。
昔は誕生日を暗証番号にする傾向が強かったんですが、今から思うと怖いことです。
365個のボールの喩えは、わかりやすいですね。
でも誰か一人が自分と同じ誕生日である確率が1/2より大きくなるには何人必要か?で
253人という数字は驚くというより妥当という気がするけど、いやもっと人数が多くても不思議ではないような気がするけど
数学って単純なようで複雑で変な学問だね
未だに理解できないや、むしろ床屋のパラドックスのほうがずっと理解できそうなする気がする
全てをそのまま鵜呑みにする訳にはいかないんですが、1つの数学的ジョークと考えたほうがいいですね。
しかし、今やプロスポーツもデータ重視の時代。ウソみたいな確率論が現実を支配しつつありますね。数学ファンにすれば嬉しい限りですが。