前回”旧4の3”では、0を含む負の整数のゼータの特殊値について述べました。
この特殊値の導出に関してはベルヌーイ数Bₙを使うんですが、前々回”旧4の2”でも述べた様にこのベルヌーイ数Bₙを求めるには一般には、B₀=1、Bₙ=−1/(n+1)*Σₖ[0,n+1]ₙ₊₁CₖBₖという”ベルヌイの漸化式”を使い、nの値を埋め込みながら、1つ1つ計算していきます。
但し、ₙ₊₁Cₖは(n+1、k)の二項係数で、(n+1)!/k!(n+1−k)!です。
この漸化式の方が、nが大きくなった時は、以下で述べるオイラーがやった係数比較よりも効率よくベルヌーイ数が求まるんですが、nが大きくなるにつれ、その精度も低くなるという欠点があります。
そこで今日は、このベルヌーイ数とベルヌーイ一族についてのお話です。
ベルヌーイ数とゼータ関数
因みに、このベルヌーイ数は、ベルヌーイ級数Bₖの定義であるx/(eˣ−1)=Σₖ[0,∞]Bₖxᵏ/k!と、eˣのテイラー展開eˣ=Σₖ[0,∞]xᵏ/k!を使い、簡単に導き出せます。
先ず、x=(eˣ−1)*x/(eˣ−1)=(Σₖ[0,∞]xᵏ/k!−1)*Σₖ[0,∞]Bₖxᵏ/k!=(x+x²/2!+x³/3!+・・・)*(B₀+B₁x+B₂x²/2!+B₃x³/3!+・・・)と計算し、x,x²,x³,...の項を比較すると、B₀=1,B₁=−1/2,B₂=1/6,B₃=0,B₄=−1/30,B₅=0,B₆=1/42,B₇=0,B₈=−1/30,...を得る事が出来ます。
因みにオイラーは、この係数比較法により、B₃₀までの値を求めたとされます。
上でも述べましたが、現在知られてるベルヌーイ数の計算は、ベルヌーイ級数の定義の右辺”x/(eˣ−1)”の展開式の計算をコンピュータを使って計算するそうだ。
上述したベルヌイの漸化式”Bₙ=−1/(n+1)Σₖ[0,n+1]ₙ₊₁CₖBₖ”ですが、オイラーは最初の数項を確認しただけで、一般項に対する証明を行ったのはフォン•スタウト(1845)が最初とされます。
リーマンは、ゼータ関数の特殊値を導く過程で、ゼータの関数等式の発見に繋り、結果としてオイラーが発見した(整数値の)ゼータの関数等式(1749年)に厳密な証明を与えます。
故にリーマンが、この”特殊値表示Ⅰ”(1735年、オイラー)の公式の中に関数等式のヒントを得てた可能性は十分にあるとされる。
実際、オイラーが発見したζ(2n)の公式は、前々回”旧4の2”で述べた”特殊値表示Ⅰ”の一般形とは少し違った形ではあるが、リーマンが得たゼータの積分公式から、このオイラーの発見した公式を導く容易な式は知られてはいない。
但しリーマンは、負のゼータ値の”特殊値表示Ⅱ”(1739年、オイラー)の式に関しての主張はしてないが、リーマンの関数等式とオイラーの”特殊値表示Ⅱ”を合わせれば、”特殊値表示Ⅰ”を得る事が出来る。
以上の様に、オイラーのベルヌーイ数とリーマンのゼータ関数の関係は複雑に奇妙に重なり合ってるのが理解できますね。
因みに、”旧4の2”で少し触れた様に、ゼータの正の奇数の特殊値では、ζ(s)を表す簡潔な表現は得られてない。
ラマヌジャン(の急速級数)では非常に複雑な表示式を発表してますが、この正の奇数に関するゼータの特殊値は未だ未解決とされます。実際には、ζ(3)の値の明確な予想すら知られてはいないと(「ゼータ関数とリーマン予想」)。
ζ(1)=∞(調和級数、オーレムの定理)
ζ(3)=1.220205•••(アペリー定数、無理数)
ζ(5)=1.03692•••
ζ(7)=1.00834•••
ζ(9)=1.002008•••、が数値的には証明されてますが、これらに関しては複雑な展開級数が知られてます(ウィキ参照)。
偉大なるラマヌジャン
このインドの偉大なる数学者ラマヌジャン(1887-1920)は、僅か30年ほどで生涯を閉じますが、残した功績はリーマンやオイラーにも負けてません。
特に、1916年のラマヌジャン予想は、新しい”2次のゼータ関数”(2次のオイラー積)の発見という画期的な出来事で、80年後の”フェルマー予想”の解決の大きな鍵となったんです。完全証明に360年掛かった”フェルマーの最終定理”ですが、その大きな原動力になりました。
彼は子供の頃から卓越した秀才ぶりを発揮しましたが、数学のみに生きた人でした。ラマヌジャンの数学を認めてくれる人がいなかった為に、苦しい生涯を生きた天才でしたが。彼の一生については、映画「奇跡がくれた数式(2015)」が有名ですね。
もう一度バーゼル問題
さてと、もう一度”バーゼル問題”に触れておきます。
このバーゼル問題ですが、元々1644年にピエトロ・メンゴリ(伊)によって提起されたんですが。かつてライプニッツですら解けなかった超難題を、オイラーの師匠であるヨハン•ベルヌーイの兄ヤコブが証明を試みたが、失敗に終ります。
そして、オイラーが若干28歳で、この難題の証明に成功(1735)します。
この”バーゼル問題”とは、ζ(2)=1/1²+1/2²+・・・+1/n²+・・・(=π²/6)を求める事ですが。この背景には、調和級数(ζ(1)=1+1/2+1/3+•••=log∞)が有限な和を持たない事が明らかにされてた事がきっかけとなる。
これは、偶然にもオイラーの師匠であるヨハン•ベルヌイにより証明されてました。そして、この調和級数がゆっくりと無限大になる事も。
つまり、ヤコブ、ヨハン、ダニエルといったベルヌーイ一族と、そしてオイラーと続く卓越した知の連携が、難攻不落と言われた”バーゼル問題”を解決するんですが。
彼ら以外にもゴールドバッハやスターリングやウォリスらの奮闘と功績も忘れてはなりませんね。
元々この調和級数が無限大である事は、ニコラ•オーレム(仏 1323〜1383)が1350年頃に証明してたとされる。
因みに、オイラーはこのオーレムの定理をヒントに、21世紀の数学史上最大の発見の一つと言われる”オイラー積”(1737)を生み出した。その上、このオーレムの定理とオイラー積を比較し、素数が無限個にある事を証明しました(”2の1”参照)。
一方、ζ(2)<2で有限である事は、ヤコブ•ベルヌーイより明らかにされます。1+1/2²+1/3²+・・・<1+1/1*2+1/2*3+・・・=1+(1−1/2)+(1/2−1/3)+・・・=2と、証明は簡単ですね。
ζ(2)の近似値とその素性
これ以降、ζ(2)の近似値を求める事が、オイラー世代の偉大な数学者の大きな関心事となります。
上述した様にヤコブに続き、ヤコプの甥のダニエル(1700-82)は、ζ(2)~8/5を与え(1728)、同年クリスチャン•ゴルドバハ(独、1690-1764)は、41/25<ζ(2)<5/3を与えます。
ジェームス•スターリング(英、1692-1770)は自ら編み出した”差分法”で、ζ(2)=1.644934065を示しました。これは、ζ(2)=π²/6=1.644934067・・・ですから、スターリングが計算した値は少数点以下8位まで一致し、オイラーの少数以下11位に次ぐ、非常に精度の高い値でもありました。
当時、オイラーやスターリングのみならず、当時の誰もがζ(2)の素性を予想出来かったのは当然である。知恵を絞って考えつくのは、π/2=1.57とπ/3=1.05の積が1.6485 となる事くらいだろうか。
逆平方数級数”ζ(2)”の和は、まともに足したのでは収束が甚だ緩慢である。既にヤコプは多様な”加速法”を示していたし、オイラーも新たな加速法を模索した。
そのオイラーは、1732年に1/(eᵘ−1)のテイラー展開を使い、ζ(2)の近似値を求めた(「増加する項を総和する一般的方法」論文による)。それに未定係数法を駆使し、ζ(2)=1.644934066847494を弾き出した。
しかしオイラーは、ζ(2)の精密な値を求めただけで、その素性は不明のままだった。
事実、バーゼル問題を発見する2年前の1735年には、”この級数の正確な値を知ろうと実に多大な労力を傾けられてきたが、これ以上何も新たな事は判らないのでは?
私も繰り返し努力したにも拘らず、せいぜい近似値が得られたに過ぎない”と、半ば諦めの心境にあったのだ。
しかし、オイラーがバーゼル問題に精密な数値を与えるという”最初の楔”を打ち込んだ功績は、誰もが認める所である。
sin関数の因数分解
この”バーゼル問題”の証明です。”旧4の2”で既に書いてるので今更ですが。
オイラーは大胆(無鉄砲)にも、有限次数の方程式の場合に成立する”根と係数の関係”が、無限次数の友程式にも成立すると考えた。
そこで、sinxの無限級数展開より、sinx/x=1−x²/3!+x⁴/5!−x⁶/7!+・・・の無限個ある根は±π、±2π、±3π、、、です。
この場合も、無限積の因数分解であるsinx/x=(1−x/π)(1+x/π)(1−x/2π)(1+x/2π)(1−x/3π)(1+x/3π)・・・=(1−x²/π²)(1−x²/4π²)(1−x²/9π²)・・・が成立するとオイラーは考えた。
これを判り易く説明すれば、単純にsinx=x(x−π)(x+π)(x−2π)(x+2π)・・・としたいんですが、これだと明らかに発散します。
そこで、無限積を考える時、因数をx−nπではなく、nで割ったx/nπ−1とし、更に−1を掛け、1−x/nπの形に。故に、無数に掛けた時の収束性がよくなり、意味ある無限積を得る事が出来ますね。
故に、sinx=x(1−x/π)(1+x/π)(1−x/2π)(1+x/2π)・・・=x(1−x²/π²)(1−x²/4π²)(1−x²/9π²)・・・(1−x²/n²π²)・・・と、無限積に因数分解できるとオイラーは考えたんです。
両辺をxで割って、これをx²の項を括るとsinx/x=1−1/π²(1+1/2²+1/3²・・・)x²+・・・。
ここで、sinxの無限級数展開(17世紀、ライプニッツ)より、sinx/x=1−x²/1•2•3+x⁴/1•2•3•4•5−・・・が使え、x²の項だけを比較すれば、ζ(2)=1+1/2²+1/3²・・・=π²/6を得て、オイラーは”バーゼル問題”を証明しました。
つまり、オイラーが”無限級数展開”を常に意識してた事は、ζ(2)の小数点以下11桁の精度の高い近似値を求めてた事からも容易に想像できますね。
華麗なるベルヌイ一族
このオイラーが得た結果は、印刷される(1740)よりも前(1734)に手紙によって欧州
を駆け巡る。 ヨハン•ベルヌイは、”もし私の兄が生きていたなら!”と叫んだ。
やがて異論も現れた。ヤコブの甥ダニエルは、”0,±π,±2π,±3π,,,が方程式の凡ての根である事を証明していない”と批判した。
またヤコブのもう一人の甥ニコラスも、”方程式の根±π,±2π,±3π,,,以外に実根がない事は示したが、その他に虚根が有り得ない事を証明していない”と批判した。
しかしオイラーは、先に求めた1.644934066847494なる値が、π²/6と小数11桁も一致する事 (一致の確率は1/10¹¹とされる)から、絶対の確信は揺らがなかった。
特に、ヤコブ(長男)、ヨハン(次男)、ダニエル(ヨハンの息子)の3人の超天才を生み出し、ベルヌーイ家の長男ヤコブこそが、この"ベルヌイ数"を導入した(1713年)です。
また、オイラーもこの家中の人で、師匠のヨハンと運命的な出会いをするのですが、メンバーを見ただけでも開いた口が塞がりません。オイラーを含めたこの4人が、今日の高校の数学と大学の数学を形作ったと言われてます。
勿論、ニュートンやライプニッツも微積分には貢献したとあるが、ベルヌーイやオイラーの才能を待たねばならなかった。
そして、バーゼル問題で登場する"バーゼル"という地名も"スイスと言えばバーゼル"という程有名だそうで、今日の微積分学の体系の発想を生み出した、ベルヌイ一家やオイラーを育てた地とされます。
先述した様に、この”バーゼル問題”には、ヤコブが最初に挑みますが、logの級数展開に拘り過ぎた?ヤコブに対し、当時27歳だったオイラーは、ζ(2)の近似値を求める過程で、sinxの無限級数展開を思いついた。
そこで、ベルヌーイの誕生の地をとり、”バーゼル問題”とした。
つまり、オイラーは文学で言えば、モーパッサンの緻密さとバルザックの多感な多様性とゾラの破壊力を合わせたような存在と言う声もありますね。
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