前回”3の8”の後半で少し紹介した”深リーマン予想”ですが。実は、リーマンの謎を記事にする前に、”深リーマン予想”という言葉だけは知っていました。
黒川重信氏の著書には決まった様に、この”深リーマン予想”と”絶対数学”の2つが登場します。
初めて”深リーマン”という予想が登場したのは、黒川氏の著書である「リーマン予想の探究」(2012年、技術評論社)でした。しかし、この新たな”深いリーマン予想”の研究は断片的になされてただけで、世界には十分普及してるとは言えず、日本を中心に研究が行われてるのが現状です。
そういう事もあり、”深リーマン予想”と聞いてもピンとくるものがなく、半信半疑でした。実は前回で紹介したのもレビューを参考にし、軽い気持ちで書いたに過ぎません。
しかし、何でも書いてみるもんです。すぐに、深リーマン予想に関する詳しい?コメントが届きました。
そこで今日は、前回”3の8”の補足版として寄せられたコメントを元に”深リーマン予想の謎”を簡単に?紹介したいと思います。
6千字を超えますが、関数式は殆ど出ないので、一気に論破します。
リーマンの粗雑な計算
リーマンの明示公式(素数公式)はオイラー積を始点としましたが、その過程で偶然登場したのがリーマン予想でした。
この偶然に得られた予想を当時のリーマンの言葉で語れば、”実際この(臨界)領域内(0≤Re(s)≤1)に、ほぼこれと同じくらい多くの根(零点)があり、しかもそれらの根が全て実根である事は極めて確からしい”(訳:平林幹人)。
この予想は誰もが知っている、”リーマンゼータの解の実部が1/2である”という非常にシンプルなものです。
しかし、当のリーマンはこの予想の重要性には全く気がついてませんでした。というのも、リーマンの明示公式は主要項と周期項と誤差項で成り立つんですが、リーマン予想を含む周機構がなくても、ガウスの素数定理よりもずっと精度が高いものでした。
リーマンは、”勿論、この事についての厳密な証明を試みようと思い、少しばかり粗雑計算を試みたが、思う様な成果は得られなかった。故に、この証明には手をつけないでおく。なぜなら、私の研究の目的の直接の対称にはなり得ないと思えるからである”とは言いつつも、2、3のゼータの解の値を求めてはいました。
言い換えれば、”もっと時間があり、きちんと計算をすれば、リーマン予想は証明できるであろう”という風に聞こえますね。
つまり、オイラーすらも見通せなかったゼータの零点をリーマンは、”粗雑な計算の試みによっても到達出来る(レベル)”だろうと主張してるようなもんです。
この”粗雑な計算”の物語は、リーマンの死の50年後に幕を開ける。リーマンの後輩であるカール・ジーゲル(1896-1981)がゲッチンゲン大学に眠っていた”粗雑な計算”を発見します。そこには奇遇にも、リーマンの未発表の草稿が残されてた。
ジーゲルの驚くべき洞察力により、リーマンの”粗雑な計算”が甦ります。”リーマン・ジーゲル公式”と呼ばれるとても複雑な計算式は、リーマンゼータの零点計算に驚異的な威力を今でも発揮し続けている。
アダマール(1896)により、リーマンゼータの零点が0<Re(s)<1(臨界領域)内にある事が解り、同時に、リーマンですら成しえなかった素数定理の証明も成し遂げられました。
素数分布の謎とゼータの零点探査
オイラーがバーゼル問題を解いた1735年を”ゼータの発見”と見れば、1859年はリーマンによる”ゼータの幕開け”です。
リーマンはオイラーの威光を全面に受け、ゼータの扉をこじ開け、素数の全容解明に後一歩という所まで到達しながら、この世を去りました。
以後、オイラーやリーマンの遺産を頼りに多くの数学者の奮闘は続き、リーマン予想だけを除き、リーマンの主張は殆どが証明されました。
しかしそれから160年間、リーマン予想には本質的進展が殆どありません。というのもゼータの臨界領域(零点領域)が0≤Re(s)≤1から0<Re(s)<1に変わっただけなのだから。
そこで、リーマン予想の検証で忘れてならないのは、Re(s)=1/2上(臨界直線)だけの零点だけを調べても不十分だという事です。
つまり、リーマンゼータの零点はどこに?どれだけあるのか?が重要となってきます。
ゼータの零点は0<Re(s)<1内にある事が判っていました(1896)。そこでヨルゲン・ペダーセン・グラムは、この臨界領域の長方形における零点の個数を重根の重複度も含め数え上げ、長方形領域における零点が全て臨界線上にあり、単根である事を示した(1903年)。
この”グラムの零点”により、伝説のガウス以来数学者の心を惹きつけてた素数分布の謎が、(グラムの)零点探査にとって変わるようになります。リーマン予想への執着が大きな執刀を振う様になったのも、これ以降です。
1950年、アラン・チューリング(英)により考案された評価法と電子計算機の発達が零点探査の更なる加速を招きます。
しかし皮肉にも、リーマン予想の反例を示そうと躍起になってたチューリングは大きく裏切られます。
因みに、グラムが発表した零点は15個、チューリングで1054個(1936年)に伸び、レーマーのお陰で25000個(1956年)に飛躍した。今では10兆個もの零点が発見されてる(2004年)。
この様に、素数とゼータ関数の歴史を振り返ると、生涯の大半を投じゼータに挑み続けたオイラーの存在の大きさは欠かせない。
リーマン予想から160年以上経つが、未だ本質的進展すら見えて来ません。つまり、”ゼータ関数の零点の分布”をリーマン以上に精確に見る道具とそれを語る言葉を、現代の数学者は持ち合わせていない様にも思えます。
しかし、その道具と言葉をオイラーが持ち合わせてたとしたら?
事実、オイラーですら断念したゼータの奇数値の問題は、300年を過ぎた今でもなお未解決どころか、手つかずのままです。
ゼータ関数は想像以上に奥が深く複雑です。しかし、21世紀のオイラーが現れ、リーマン予想の重い扉を開けるとしたら?
その21世紀のオイラーの道具と言葉こそが、リーマン予想の重たい扉を開けたとしたら?
そこで、仮にオイラーが生み出したオイラー積こそがリーマン予想の重い扉を開ける事が出来るとしたら?と考えたのが、”深リーマン予想”ですね。
オイラー積と深リーマン予想
前回”3の8”でも書いた様に、リーマン予想では領域(1/2<Re(s)≤1)でゼータ関数を解析接続し、この領域内ではゼータの零点(解)が存在しない(ζ(s)≠0、非零)事を主張していた。
これに対し”深リーマン予想”とは、この非零領域にRe(s)=1/2を加えた領域(1/2≤Re(s)≤1)でもオイラー積をそのまま使えるという事です。
因みに、このアイデアは1950代にティッチマーシュにより指摘され、論文にして提唱したのが1980年代のゴルドフェルドです。
そして、明確な予想としての形で定式化されたのが、2012年の「リーマン予想の探究」内で黒川重信氏が主張した”深リーマン予想”でした。
この日本版の”新しいリーマン予想”では、難解な複素解析は用いず、無限級数の収束といった高校生レベルでの記述が可能です。
それに、(旧来の)リーマン予想では成立する理由自体がそもそも理解できませんでしたが、深リーマン予想ではゼータ関数(L関数)が領域(1/2<Re(s)<1)で非零である(零点が存在しない=解がない)理由を、この領域内でのオイラー積の振る舞い(収束性)を使って説明できます。
もう1つ、リーマン予想では素数の性質を説明する為に、非常に難解なリーマンの明示公式を経由する必要があったんですが、深リーマン予想では素数分布と直接的に関係している。
深リーマン予想とはリーマン予想をさらに深めた予想であり、リーマン予想が未解決な理由がその予想の”命題が最終的な真実を言い当ててない”事にある。
つまり、予想に関する命題が中途半端過ぎたんですが、その命題を明確な表現にしたのが深リーマン予想なんですね。
深リーマン予想とは先述した様に、ゼータ関数の非零領域(1/2≤Re(s)≤1)でオイラー積をそのまま使える事ですが。リーマンゼータ関数よりもL関数=L(s,χ)=Σχ(n)/nˢ、Re(s)>1の一般形にした方が考え易い。
因みに、オイラーのL関数L(s)=1/1ˢ−1/3ˢ+1/5ˢ−1/7ˢ+・・・(Re(s)>1)もゼータ関数の一種ですが。χ(n)=1とすれば、L関数L(s,1)はゼータ関数となり、オイラー積(ζ(s)=∑ₙ[1,∞]1/nˢ=∏ₚ(1−p⁻ˢ)⁻¹、Re(s)>1)を満たすのは明らかですね。
「オイラーのL関数L(s)のオイラー積がs=1/2で√2L(1/2)に収束する」事が深リーマン予想の命題となりますが、オイラー積が√2に収束するのを説明するには長くなりすぎるので、ここでは省きます。
オイラーのL関数L(s)では、n≡0mod2→χ(n)=0、n≡1mod2→χ(n)=(−1)^(2/(n−1))となり、L(s)=∑ₙ[1,∞]χ(n)/nˢ、Re(s)>1となる。
但し、この時のnは、2を除く奇素数pになる事に注意です。
故に、L(s)のオイラー積はL(s)=∏ₚ(1−{(−1)^(2/(n−1))}/p^(1/2))⁻¹、Re(s)>1となり、深リーマン予想の命題は、「s=1/2の時にL(s)のオイラー積は収束し、lim[x→∞]∏ₚ(1−{(−1)^(2/(n−1))}/p^(1/2))⁻¹=√2L(1/2)を満たす」となる。
ここで、s=1/2はオイラー積の収束範囲をRe(s)>1から左へ拡げた領域にあるが、仮に深リーマン予想が正しければ、その途中段階であるRe(s)=α(1/2<Re(s)<1)での収束が示せるので、リーマン予想が得られます。
リーマン予想と深リーマン予想
つまり深リーマン予想から見れば、リーマン予想とは、深リーマン予想の途中段階にある以下の命題に相当します。
故に、リーマン予想を言い換えると、「α>1/2に対しL(s)のオイラー積はRe(s)=αの時に収束し、lim[x→∞]∏ₚ(1−{(−1)^(2/(n−1))}/p^(1/2))⁻¹=L(s)を満たす」となる。
この時、左辺の無限積は非零(L(s)≠0)を含むので、この命題を更に言い換えると、「領域Re(s)>1/2でL(s)≠0」となり、リーマン予想が得られます。
このリーマン予想の言い換えと深リーマン予想を比較すると、L(s)と√2L(1/2)の収束値の違いだけです。
√2はs=1/2の時だけ発生しますが、実際に深リーマン予想からRe(s)=1/2上でもオイラー積の収束が得られますが、s≠1/2では√2は登場せず、以下の命題が成立します。
「深リーマン予想が成立てば、Re(s)=1/2かつs≠1/2なる任意のsに対し、lim[x→∞]∏ₚ(1−{(−1)^(2/(n−1))}/p^(1/2))⁻¹=L(s)を満たす」と。
但し、左辺が0に収束する時もその無限積は収束し、その時L(s)=0が成立する。
リーマン予想では、Re(s)=1/2上には非自明零点(虚根)があるが、この臨界線ではオイラー積が0に収束するので、「Re(s)=1/2上ではオイラー積表示が有効」になる。これこそが深リーマン予想の核となる主張です。
深リーマン予想の命題としては、リーマン予想の精密化と一般化の2つの側面を持ちます。
まず精密化の側面とは、深リーマン予想がリーマン予想が主張する「Re(s)>1/2で非零(ζ(s)≠0)」における”非零”を”オイラー積が収束する様な非零(L(s)≠0)”と精密に特化した事です。
次に一般化では、リーマン予想が非零(ζ(s)≠0)と主張する領域Re(s)>1/2を境界(臨界線)を含むRe(s)≥1/2にまで拡げ、Re(s)=1/2上の非自明零点にても然るべき解釈をしたものが深リーマン予想です。
この2つの面で見ても、リーマン予想は深リーマン予想の一部であり、深リーマン予想がリーマン予想の一般化となってますね。
冒頭でも述べた様に、深リーマン予想という考え方が定着したのは2010年代以降である。それまでは、オイラー積は絶対収束域のRe(s)>1のみで考えられてきたが、唯一の例外が1960年代のバーチとスィンナートン・ダイヤーによる楕円曲線のL関数に対する、以下の研究(予想)である。
「楕円曲線のL関数のオイラー積は、s=1で(零点を持たない時は)収束する」
楕円曲線のL関数は絶対収束域がRe(s)>2であり、sとs−2で対称となる関数等式を持ち、(リーマン予想での)臨界線はRe(s)=1となる。つまり、この予想でのs=1とはオイラーのL関数のs=1/2に相当し、今で言う深リーマン予想に一致する。
同じく冒頭で述べたゴルドフェルドの研究とは、この予想から楕円曲線のL関数のリーマン予想が得られる事を示したものだ。
この研究から解るように、臨界領域内におけるオイラー積は収束する事自体がリーマン予想をも含む強い命題になっている。
最後に〜未来から過去へと深化する数学
素数定理はRe(s)=1で非零(ζ(s)≠0、解なし)である事を証明すれば導けますが、リーマンはそれをさらにRe(s)≥1/2まで押し拡げ、ゼータζ(s)が非零である事を主張した。しかしその主張の理由が明確ではなかった。
そこで、オイラーのL関数を使えば、この領域(1/2≤Re(s)≤1)内で非零である事がオイラー積を使う事で明確に出来ます。
事実、リーマンの明示公式を導き出すのはとても厄介です。その明示公式を回避して素数分布を解明できれば、それこそ複素解析を使わない”リーマン予想の初等的証明”となるんですね。
素数定理の証明もリーマンの複素解析を使った証明は、とても困難で複雑を極めました。初等的な証明は後出しとなりましたが、とてもシンプルで明確です。
素数の謎の歴史を遡る事で、リーマン予想からオイラー積を眺める事で、リーマン予想が解決できたとしたら、これこそペレルマンに並ぶ大きな偉業と言えます。
ただ、オイラー積からリーマン予想を眺めてると、その繋りがイマイチ掴めない。
リーマン予想には、本当にオイラー積が必要だったのか?って。
そういう事もあり、リーマンの謎ブログは前へ進めなかったんですが、逆に深リーマン予想からオイラー積を眺めると、より明確なリーマン予想の実像が浮かびるんですね。
まさに数学の歴史は過去に遡る事で進化、いや深化する。
勿論、上で述べた深リーマン予想に関する命題が全て正しいという条件付きですが、リーマン予想の命題を明確にするという意味でも期待できそうな気もします。
オイラー積を振り返る事で成し遂げられたのが深リーマン予想だとしたら。そして、もしこの深リーマン予想が証明され、素数の研究の歴史が現代から中世に、いや古代に遡る事で”素数の謎”が解けたとしたら。
数学という学問は”歴史的に見て上から下へと深化してる”事になる。
我々は進化という言葉を未来に対して使いたがるが、本当の進化とは過去へ向かって使うべき言葉だろう。つまり、過去への考察こそが未来への確かな洞察に繋がる。
数学という学問では、過去に偉大な研究が様々に行われてた事を、我らサピエンスはまだ知らなさ過ぎる。
そういう事を教えてくれた深リーマン予想である様にも思える。
深リーマン予想の命題はそれなりの計算をしてオイラー積の収束値をはじき出してるだろうから、そこまではないんだけど。
つまり、リーマン予想の命題をどれだけ明確に一般化し、そして精密に再現できるかがこれからの課題になってくると思う。
自分でも書いてて途中から”何だかなぁ〜”てのが少しだけありました。
勿論、深リーマン予想のアイデアは歴史もあるし、著名な数学者も提唱してますから、異論を挟む余地は全くないんですが。
ポアンカレ予想の明確化された命題としてのサーストン幾何化予想とダブってしまいます。多くの数学者がこの命題を追いかけ、頓挫しました。
でも、今一度オイラー積を振り返るという視点はやはりユニークですね。個人的にはレーマーの考察によるリーマン予想の反例に興味がありますが。どうなることでしょうか。
ゲーデルの不完全性定理にあるように
数学には必ず矛盾があるの
でも深リーマン予想でリーマン予想の明確化や一般化を突いた所は一応の評価はすべきじゃないかしら^^;
どんなに完璧に見える命題も矛盾が含まれるとしたら、その矛盾を導き出したほうがとも思うんですね。
Hooさん言われる様に、リーマン予想の命題を明確化したという点では、深リーマン予想は素晴らしいとは思いますが、それが正しいかと言えば全くの別問題ですね。ひょっとしたら矛盾があるかもしれない。
私がピンとこないのはそういう所なんですが・・・難しいところですね。
リーマン予想を深リーマン予想に置き換える所は少し強引すぎるのかもしれません。
オイラー積は実空間で存在するものであり、リーマン予想は複素空間で存在するものです。いくら高校生が理解できるリーマン予想と言っても、理解と証明は別物ですから。
勿論そういう事も全てわかりきってて、黒川さんも小山さんも主張してるわけですが。
しかし曖昧な部分は見え隠れしますね。それこそが深リーマン予想の謎なんでしょうか。
コメント引用してくれて有難う。
同じく100%正しいと考えられてたサーストン予想を回避してポアンカレ予想を証明したペレルマンのケースを考えてしまう。
もしリーマン予想がリーマンの過程の上で成り立つ野心的な予想だとしたら?
ひょっとしたら、転んだ君の反例の予想が当たるかもしれません。
オイラー積もそうですが、ペレルマンがやったように全く新しいアイデアも必要かもしれません。
まさに深リーマン予想の謎ですかね。
深リーマン予想が第二のサーストン予想になりはしないかと。
リーマン予想の延長上にある深リーマン予想と、ポアンカレ予想の先にあるのがサーストン予想。
深リーマン予想は野心的ではないにせよ、リーマン予想が野心的な予想だとしたら?って事ですよね。
でもリーマン予想を明確に理解する為の深リーマン予想と考えれば、とても上品な予想でもありますか。
となる所がよくわからないんだが
自然数nが偶数(n≡0mod2)の時はχ(n)=0で、奇数(n≡1mod2)の時はχ(n)=(−1)^(2/(n−1))ですね。
故に、nが奇数の時はL(s)=∑ₙ[1,∞](−1)^(2/(n−1))/nˢ=1/1ˢ−1/3ˢ+1/5ˢ−1/7ˢ+・・・となり、ζ(s)と同様にオイラー積を持ちます。但し、自然数nは奇数のみより、素因数分解には2が現れず、故に(2を除く奇数である)奇素数pを渡るオイラー積となります。