神融心酔 

中国茶・台湾茶を中心とした素敵な出会いの数々を綴っていきます

肩書

2018-09-09 | 茶話
広辞苑より
かた‐がき【肩書】
①氏名の右上に職名・居所などを書くこと。
②(名刺などで、氏名の右上に記すところから)地位・身分・称号などをいう。「―が付く」
③犯人・容疑者などの前科。


以前から書きたいと思っていて、なかなか書けなかったお題「肩書」。
名刺で氏名のそばに書いたり、HPなどのプロフィールで最初に書く「肩書」。

実は私自身、この「肩書」の記載にはずっと悩んでいて、
“中国茶インストラクター”を使っていたこともあるが、
今では“中国茶教室「Salon de Leecha 麗茶」主宰”のみのことが多い。

中国茶関係の方で多く使っているのは“茶藝師”資格ではないかと思う。
これは中国政府が認定する国家職業資格であるから問題はない。

他にも様々な団体が発行するディプロマがあり、それを書くことも問題はないと思う。

問題は、独自に編み出した言葉の肩書である。

世の中にはいろいろな「自称」の肩書の人々が存在する。
もちろん「自称」ではなく、その人のそれまでの業績に対し周りが自然と認定していくこともあるだろう。
プロとして活躍している人たちの肩書は当然その人の顔となる。

しかし、日本における中国茶の世界はまだまだ狭いし浅い。
確立された業界ではないだけに、自由度も高いし、それがまた魅力でもある。

自分の名刺を作る時、やはり肩書がほしい、と皆さん悩むのだろうと思う。
その中で恰好がつきやすいのが“◯◯家”という肩書だ。

中国茶家、中国茶事家、中国茶評論家、中国茶研究家、中国茶文化研究家・・・

私が目にしたことのある日本で中国茶に携わる方の“◯◯家”が付く肩書である。

日本にはたくさんの“◯◯家”が存在する。
料理研究家、格闘家、作家、評論家・・・既に「家」は市民権を得た言葉である。
日本の職業について“◯◯家”と名乗ることに、私は特に何も引っかかることはない。
ただ、中国茶に関係する場合、どうしても違和感を覚えるのである。

それが何故かということについては考えたこともなかったが、
ある中国語ネイティブの先生に中国茶文化について習う機会があり、
その先生が“◯◯家”と書いた友人の名刺を見て
「あなたは“家”と呼べる専門家なのですか?何か流派を成したのですか?」とお尋ねになった。

そこで自分の違和感の種がどこにあったのかが理解できた。
日本では全く問題ない言葉も、中国語では少し意味が変わってくるのである。
中国語学科で学んだことが自分の体にも染みついていたということだろうか。

中国では“家”という言葉は
(1) ある業種に従事する人や家族
(2) 専門家
(3) 学術流派
に使うとされる。
例えば「儒家」「墨家」などに象徴される言葉であり、
春秋戦国時代の「百家争鳴」という言葉を聞いたことのある人ならピンとくるだろう。

日本だけでこの肩書を使うなら特に問題はないと思うし、
中国語でのニュアンスの違いに気づかずに使う人がほとんどだろう。
中国でも新しい時代になって、言葉の使い方にも変化はあるかもしれない。
ただ、中国茶に従事するのであれば、中国での古くからの慣習にもある程度は目を向けるべきではないだろうか。

もちろん、“◯◯家”としての業績もあり、確固たる自信に裏付けされている方はこの限りではないが。

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