前にも書いたとおり、このプログラム、私は実はそんなにびっくりしませんでした。
いきなり見たんじゃなくて、少しずつ情報を集めて行ったからというのもありますがそれ以上に。
私が初めてまともに大ちゃんの演技を見て、そして激しい衝撃を受けたシアター・オン・アイスの「ノクターン」。あれを見たときから、この方向性は見えていたような気がするからです。
【1】新しいスケートの表現
私がしつこいくらい「フィギュアスケートのファンじゃない」と書いているのにも理由がありまして。
なんていうかその、ずっと違和感を感じていたのです。「スケートの技を見せる」ということと「踊る」ことが分離している気がしてまして。違うものを無理やり組み合わせてモザイクにしているような、どうも今一「私が思ってるのと違う」という感覚。
だけど、「ノクターン」は自然でした。
スケートで「滑る」という行為が、違和感なく踊りの中に溶け込んでいる。それがスケートであることを見る方には意識させない、それでいてスケートでなければ不可能な「踊り」。
こういうことを可能にできるということは、スケートを自在に操れる高度な技術と、それを「踊り」としてイメージを広げて応用できる柔軟な感性を両方持っているに違いないと、そう思いました。
そしてそういう人ならば、「フィギュアスケートとはこういうもの」という固定観念を軽くクリアして、その人独自の新しい表現、それもあくまで「スケートの表現」としての新しさを提示できるんじゃないかなと感じた訳です。
【2】恐怖系
優しい、もの静か、切ない、繊細、そういったイメージで語られることの多い「ノクターン」ですが、正直私は怖かったです。
深淵、或いは悪魔のステップ(激痛注意)
この辺の昔の書き込みでも語っていますが、直接的な恐怖ではなくて、もっと根源的な恐怖というか。自分の世界に対する認識が揺らぐことによって、世界そのものが揺らいで行く恐怖というものを感じました。
そして悟った訳です。芸術って怖いものなんだと。
芸術とは、観る者に問いかけ、意識を揺さぶるもの。普通にしていれば見えない真実をさらけ出し、突きつけるもの。そういうものは、大抵、怖い。普段は目を閉じ、見て観ぬ振りをしてやり過ごしている恐怖を、「真実から目を逸らすな」と言わんばかりに突きつけられるのだから、そりゃ怖いでしょう。
この人の目には、世界は一体どういう風に映ってるんだろう、と思ったものです。業の深い人だとも。
ともかく、そんな「ノクターン」の世界を更にクリアに、エッジの効いたものとして発展させれば、「怖い」EXになるのは自然なことかな…と思いました。
「バチェラレット」を見た友人から、こんなメールが届きました。
「旨く言えないけど、見ている側の何かがえぐられる感じがする。何が、ってのはよく分からないけど。」
多分、人間自身、見ている私たち自身の心の奥底にある「何か」を突きつけられてるんじゃないのかなあ…と思います。だからあれだけ攻撃的な表現なのにも関わらず、内へ内へと向かって行くように感じられる。
牙を剥いているのは、私たち自身の中にある「何か」なのだと…。
なんてね。
私は「ビョーク」も「バチェラレット」も知りませんでしたが、以上の2点を持ちまして、このプログラム、1年以上前から私が待ってたものだったんだなあ…と独り合点して喜んでます。
寧ろ意外だったのは、この表現に宮本さんの手が入ってることですね。センスのある人だとは思ってたけど、まさかここまで深く食い込めるとは。嬉しい誤算でした♪
***
追記。
だからこの表現、分からない人にはやっぱり分からないと思います。
怖いものを見たくないのなら、見えないフリをしてやり過ごした方が良い。
自分が分からないものを「ダメなもの」と決めつけなければそれで良い。
このプログラムに限った話ではないですが、「好き」「嫌い」は個人の感情であり、自由です。他人がどう言おうが、その人に取っては真実。しかし、自分の好き嫌いがそのまま世の中の善悪に直結すると思う思考は、正直病んでると思います。
そもそも現実には、100%良いものや悪いものなんて存在しない。どんなものにも良い側面と悪い側面がある、それだけのことです。
以上、自戒の念も込めて(笑)。
更に追記。明日から3日ほど家を空けます。多分ネットにも繋げないと思います。
いきなり見たんじゃなくて、少しずつ情報を集めて行ったからというのもありますがそれ以上に。
私が初めてまともに大ちゃんの演技を見て、そして激しい衝撃を受けたシアター・オン・アイスの「ノクターン」。あれを見たときから、この方向性は見えていたような気がするからです。
【1】新しいスケートの表現
私がしつこいくらい「フィギュアスケートのファンじゃない」と書いているのにも理由がありまして。
なんていうかその、ずっと違和感を感じていたのです。「スケートの技を見せる」ということと「踊る」ことが分離している気がしてまして。違うものを無理やり組み合わせてモザイクにしているような、どうも今一「私が思ってるのと違う」という感覚。
だけど、「ノクターン」は自然でした。
スケートで「滑る」という行為が、違和感なく踊りの中に溶け込んでいる。それがスケートであることを見る方には意識させない、それでいてスケートでなければ不可能な「踊り」。
こういうことを可能にできるということは、スケートを自在に操れる高度な技術と、それを「踊り」としてイメージを広げて応用できる柔軟な感性を両方持っているに違いないと、そう思いました。
そしてそういう人ならば、「フィギュアスケートとはこういうもの」という固定観念を軽くクリアして、その人独自の新しい表現、それもあくまで「スケートの表現」としての新しさを提示できるんじゃないかなと感じた訳です。
【2】恐怖系
優しい、もの静か、切ない、繊細、そういったイメージで語られることの多い「ノクターン」ですが、正直私は怖かったです。
深淵、或いは悪魔のステップ(激痛注意)
この辺の昔の書き込みでも語っていますが、直接的な恐怖ではなくて、もっと根源的な恐怖というか。自分の世界に対する認識が揺らぐことによって、世界そのものが揺らいで行く恐怖というものを感じました。
そして悟った訳です。芸術って怖いものなんだと。
芸術とは、観る者に問いかけ、意識を揺さぶるもの。普通にしていれば見えない真実をさらけ出し、突きつけるもの。そういうものは、大抵、怖い。普段は目を閉じ、見て観ぬ振りをしてやり過ごしている恐怖を、「真実から目を逸らすな」と言わんばかりに突きつけられるのだから、そりゃ怖いでしょう。
この人の目には、世界は一体どういう風に映ってるんだろう、と思ったものです。業の深い人だとも。
ともかく、そんな「ノクターン」の世界を更にクリアに、エッジの効いたものとして発展させれば、「怖い」EXになるのは自然なことかな…と思いました。
「バチェラレット」を見た友人から、こんなメールが届きました。
「旨く言えないけど、見ている側の何かがえぐられる感じがする。何が、ってのはよく分からないけど。」
多分、人間自身、見ている私たち自身の心の奥底にある「何か」を突きつけられてるんじゃないのかなあ…と思います。だからあれだけ攻撃的な表現なのにも関わらず、内へ内へと向かって行くように感じられる。
牙を剥いているのは、私たち自身の中にある「何か」なのだと…。
なんてね。
私は「ビョーク」も「バチェラレット」も知りませんでしたが、以上の2点を持ちまして、このプログラム、1年以上前から私が待ってたものだったんだなあ…と独り合点して喜んでます。
寧ろ意外だったのは、この表現に宮本さんの手が入ってることですね。センスのある人だとは思ってたけど、まさかここまで深く食い込めるとは。嬉しい誤算でした♪
***
追記。
だからこの表現、分からない人にはやっぱり分からないと思います。
怖いものを見たくないのなら、見えないフリをしてやり過ごした方が良い。
自分が分からないものを「ダメなもの」と決めつけなければそれで良い。
このプログラムに限った話ではないですが、「好き」「嫌い」は個人の感情であり、自由です。他人がどう言おうが、その人に取っては真実。しかし、自分の好き嫌いがそのまま世の中の善悪に直結すると思う思考は、正直病んでると思います。
そもそも現実には、100%良いものや悪いものなんて存在しない。どんなものにも良い側面と悪い側面がある、それだけのことです。
以上、自戒の念も込めて(笑)。
更に追記。明日から3日ほど家を空けます。多分ネットにも繋げないと思います。
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