TBA

(仮)

敬老の日のプレゼントは…

2018-09-17 | 本と雑誌

きょうが祝日なのは、敬老の日だったからなのか。

いま知った。


というわけで、特になし。

でも、いちおうきのうは、

父親の好物のまぐろのおさしみを買った。

特売だったけど。半額だったけど。

おいしいおいしいって食べてくれたからいいかな。


まあでも、両親に「敬老」っていうのはまだなじめない。

自分も年を取ったしあたりまえのことではあるんだろうけど。




いまは26℃くらいだけど、

まだ湿度が80%もあると、なんか空気が重いし、

ちょっと肌寒いのになんか暑いっていう、

すごく気持ちわるい感じ。

まだ調子は悪いし、肩もこっててあたまも痛い。


今の家がすめなくなって、

どっか九州のあたりにあわてて家を借りる夢を見る。

急だし、あまり予算もなくて、

ろくな物件を紹介してもらえなくていらいらする。

目がさめて安心した。




「新・リーダー論」というのを読んでみる。

対談の片一方の方がいまだによくわからない。

右と左に簡単に分けてしまうのもどうかとは思うけれど、

たいていの人はどっちかに分かれてしまうのも事実。

インテリジェンスを売りにしているだけに、

いろいろ当を得ていると思えるところもあるのだけど、

で、なんでそうなる?と感じる部分もある。


伊勢志摩でサミットをやって、伊勢神宮を見せないほうがおかしいような。

別に参拝を強要したわけでもなし。

日本の文化はそれほど劣っていてけがらわしいものなのかな。


もしドイツのケルンでサミットがあったとして、

日本の首相が大聖堂に連れて行かれてなんの問題があるのか。

もし「一神教」の人たちが偏見を抱いていて、

異文化に対して寛容でない態度をとったとしたら、

そのほうがはるかに問題で、先進国などと言っていられない。


受け入れるかどうかはまったく別の問題で、

見てもらえる機会があって見てもらうことになんの問題が。


自動車のプレゼンも同じ。

今の政府のやることにはとりあえずケチをつけたいのかと思えてしまう。


エリート主義を批判しているのはさすがだと思うけれど、

やはり、リーダー論とは少しずれてしまう感じ。




いま、自民党の総裁選まっただなかだけど、

『正しい』『多くの国民が賛成してくれる』政策しかやらないのなら、

リーダーはいらない。


リーダーが必要になるのは『正しくない』ことをしないといけないときや、

多くの国民から賛成は得られないかもしれないけれど、

やらなければいけない難しい選択をしないといけないとき。


責任をとるべき時にとれるかどうか。

まさに、EU離脱のときに国民投票をしたのは無責任だし、

リーダーであることを放棄したことになる。


うまくいってる時にはよけいなことはしなくていいけど、

うまくいってない時にはなにかをしないといけない。

で、そのときにちゃんと責任を果たせるかどうか。


リーダーに必要なのは、

みんなの意見を聞きましょう、とかいうのではなくて、

自分ならこうするというヴィジョンであり意志の表明。


だからといって頑固で他人の意見を聞かないのも困るし、

逆に他人の意見に影響されすぎるのはもっと困る。


で、それが選挙民から支持されなければ選ばれないだけだし、

なにをするのか具体的に示されないのでは、そもそも支持もされないはず。

「誰がやっても同じ」な状況ではないのだから、

選挙民もそんな人は選ばないほうがいい。


とはいっても、アジェンダやらマニフェストやら、

ご大層に発表されたところで守らないのなら意味がないし。

「そうでしたっけ」とかとぼけられても、あとの祭り。


そこは国民もしっかり勉強してから投票しないと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする