きょうはいい天気。
予定よりもだいぶ早くに目がさめたので、
家を出るまえにがんばって、
シーツを洗ったり布団を干したりしたらとっても疲れた。
でも、今日やっとかないと。
こないだの台風のときも、そのなん時間か前までは、
なにごとも起きないかのように晴れてたんだよなあ。
早めの備えをって言われても、
なにをすればいいのかとまどうばかり。
とりあえず電池と懐中電灯と水くらいは用意しとかないと。
ゆうべは「アメトーク」も「徘徊」もあんまり。
もっとはやくから「なんばしようと」にしとけばよかった。
週に一試合になってしまったNFLの放送なのに、
ひいきチームが劣勢ではつまらない。
リードHCはイーグルス時代から好きだったけど、
アレックス・スミスがいないのでは…
途中で寝たから結果は知らないけど。
友近さんの「エンカメ」も終わっちゃった。
ずっと見てたわけではないけど、
見ようと思えばいつもやってた番組がなくなるとさびしい。
「薔薇の名前」はまだ読み終わってないのに、
「100分de名著」を先に見てしまった。
そういえば一般教養で論理学っていうのを一生懸命取ってたっけ。
ぜんぜんわからなかったけど。
ショーン・コネリーと三上博史さんのイメージがつながらない。
映画も見てみたくなった。
日本ではあまり取り上げられない、中世ヨーロッパの暗黒時代って感じ。
「ベルセルク」とか「純潔のマリア」みたいな。
いまどき情報はネットを見れば、って考えがち。
でも、今、起こってることを知るには便利だけれど、
検索すればなんでも分かるってわけではないし、
すべての情報がオンラインになっているわけでもなし、
ネットにない情報のほうがはるかに多いはず。
読まれるくらいなら…
この4月だっけか、古いホームページがごっそり削除されて、
情報が一気に消えてしまったときはちょっとおそろしかった。
もちろんあやふやなものも多かっただろうし、
裏付けのないものも多かっただろうけど、
ネット初期のころに個人HPを立ち上げていた人って、
相当なマニアの人が多かったはずで、
そういう人たちが厚意で公開してた情報って貴重なものも多かったのでは。
ブログで書いてる人もまだいるし、Wikipediaも参考にはなるけれど、
まとまった情報が消えてしまったのはもったいないなあ、と。
そういうのも「知」というか、
好奇心に取りつかれてるってことなのかもしれないけど、
それが驕りとまでは。
「知」への欲求があるから科学が進歩したのだろうし、
好奇心があるから世界は広がっていく。
情報の独占や封印、隠蔽しようとしたから暗黒時代が訪れたのであって、
閉ざされた壁の中でなにも知らされずに生きることが幸せかどうか。
また、ヒトは世界を理解しようとするために、
いろんな手段方法を使うのだけど、
ヒトである限りヒトとしてしか世界を理解できない。
だからってヒトであることをやめてしまうと理解の形も変わりそう。
まさに『ネットは広大』ではあるのだけど…
まだ最後まで読んでないけど、
新本格なんかではこういう結末ってなくはないような。
もういろいろやりつくされてしまってるのかもしれないけど。
で「自然の真実にはそのまま触れることはできない」からこそ、
世界を作ろうとしたっていうこともあるのかな。
日本の創作で言う「世界観」っていうのは、
自由に創作するためのルールを自分で設定したもの、
っていうニュアンスもある気がするし。
そういうのって、能とか文楽とか歌舞伎とか狂言みたいに、
伝統芸能の世界にもともとあったものかなあとも思うし、
茶道とか日本庭園なんかにもそういう部分がありそう。
で、また、基本的に日本人って枠組みとか型を作って、
そこに自分からぴたっとおさまることがきらいじゃないんだろうな。