暑い。
きょうもぐっすり寝られるかなあと思ったけれど、
エアコンなしで寝ているので、
台所で煮炊きをされると一発で目がさめる。
というか、蒸される。
そして、すごく不快に目がさめる。
「むかしばなし」見られる!
と思って見たら、この時期は怪談だった。
まだ今週のはましだったけど、来週のはやばいやつ。
そういうときに限って早く起きそうだけど。
EDの子たち、いいかげんやめて、とか思ってたりして。
で、昼ごはん食べてうたた寝。
たまにはこういうのありかな。
鑑定団のあと、小泉孝太郎さんのドラマやってた。
とうがらしのシャツ着てたけど、
あのトマトのシャツもひょっとしてこれの関係?
壇蜜さんも出てたけど、寝ちゃったから犯人わからない。
そのあとの「どこいこ!?」の途中で目がさめた。
これもゆっくり見るのひさしぶり。
黒田さんの奥さんの話がおもしろかった。
たまねぎをきつね色に炒めてと言ったら、
図鑑を持ってきてどのきつねの色か聞かれたとか、
あさりの砂抜きとか干しシイタケを戻すのをずっと見てたとか、
なんか、うん、いい人と結婚されたんだなあ、って感じ。
あと、やすよさんが黒田さんを雑に扱ってるのもおもしろかった。
「そんなんできんの、つよっさんとあんただけやで」みたいな。
「タバコの flavor」でうわっ!てなってちょっと避けてたんだけど
「COLORS」あたりから宇多田ヒカルさんはわりと好き。
アルバムを買ったりはしないけど、
ラジオでかかってると聴くし、切り取ってくりかえしても聴く。
「サントオリー」はなんか気持ち悪くて、
さっとチャンネル変えるかミュートするけど。
『宇多田ヒカルと海外文学、「自由」と「責任」』
この記事おもしろかった。
自由って好き勝手とは違う。なにをしてもいいのだけど、
それは自分自身でその何かを選ばなければいけない、ということでもある。
そしてそこには、必ず責任が伴う。
ある人たちは「自由」だけを振りかざす。
でも、自由に発言・表現すればリアクションがあるのはあたりまえ。
それを封じてしまうことは、言論弾圧でしかないし、
自分たちだけが「自由」にふるまえると思っているとしたら、
それは自分たちを特権階級と見なしているのと同じ。
自由に行動するのは勝手だけど、責任から逃れることはできない。
自分で選んだことならば自分で責任を負う必要がある。
「自己責任」の議論が起こるたびにいつも思う。
自分の現状に不満があるとき、その状態を誰も強制しているわけではないのに、
なぜ自分自身で変えようとは思わないのか。
自分の責任を放棄することは自由を放棄すること。
なにをするのか、なにをしないのか。
自分で決められることなはずなのに、なぜ他人のせいにするのか。
自分で決めたことに誇りを持って、
不安があっても、後悔しない、そして他人のせいにしない。
「アリとキリギリス」のキリギリスは、
キリギリスとしての生き方に誇りを持ってもいいと思う。
そんな勇気は自分にはないけど。