車をとめるときに、日なたしか空いてなくて、
あーあ、って思ったけどしょうがなく止めといた。
帰ってきてドアを開けたら意外と暑くない。
そのあとも窓を開けて走ってたら、風が気持ちよかった。
まだ油断できないけど。
そうだ、うちの車って、
バンパーとボディのすきまによくクモが巣を貼る。
お盆前、しばらく車を使わなくていやな予感がしたので、
いちおう見といたほうがいいかなあと思って見てみたら、
ゴミだかなんだか、遠目に見てびっしりなにかがついている。
おそるおそる近寄って見てみると、無数のクモの子。
ちょっと考えた結果、そのままほっとくのはまずいような気がしたので、
とりあえず、クモの巣だけは取っておくことにした。
ごめんごめんって言いながら、クモの巣だけをティッシュで取る。
ほんとにクモの子を散らすようにどっかに消えていく。
まあ行き先はそのボディとバンパーのすきまだったり、
車のどっかだから、それはそれで心配ではあるのだけど、
まあ、そんな人口密度の高い状態でずっといるわけでもなかろうし。
で、お盆明け。
車を見ると、また同じところにクモの巣。
もやもやっと「なにか」があるのも同じ。
いやだなあと思って近寄って見ると、
こんどは無数の小さい虫。
それはそれでイヤだわ。
そのまんま乗っていくのもイヤだから、
またティッシュで取る。
ぜんぶ死がい。前に見たよりも少し大きい巣のヌシがいた。
巣に引っかかった獲物は全部自分たちでなんとかしやがれ。
まあ、すうっとそれをティッシュで取ったはいいけど、
ティッシュ一枚だと透けて見えるくらい大量の虫の死がい。
そのへんに捨てていくわけにもいかないので、
結局、厳重にくるんで戻ってくるまで足元に。
それもあって、ずっとなんか足元がカイカイって感じ。
でも、車にはよっつ角があるのだけど、
ふしぎなことにクモが巣をつくるのはそこだけ。
照明が当たるのはその方向だけど、ほかの角には作らない。
よくわからんけど。
「進化論の最前線」を読む。
ネオ・ダーウィニズムと本能。
ネオ・ダーウィニズムですべてが説明できるわけでもないけれど、
進化論そのものを否定しているわけではないっていうのは、
けっこう難しいと思う。
キリンについて「高いところにある葉っぱを食べるために、ワシの首伸びたんやなー」
みたいに考える人はふつうにいるはずだし。
で、たぶんそれが進化だと思っている人もいるんだろう。
ただ、本能と思われるものが、自然淘汰で生き残ったのとは違うとも言い切れないような。
寄生バチにしても、たまたまそういう行動をしたものが生き残ってるだけで、
それをしないものは生き残ってない。
中間のものがいないのはあたりまえなのかなあとも思うし。
むずかしい。
まあ、クモの行動にもなんかあるんだろう。
「坊っちゃんの時代」読み終わった。
ふつうに明治の知識人の話かと思ったら、
第4部はまるまる大逆事件の話でびっくりした。
まあ、そこはそのころの人たちにしたら、
大なり小なり関わらないわけにはいかないものだったんだろうな。
どこまで史実かわからない。
明治天皇にうらみがあるわけでもないし、
皇后にも皇子にもうらみはない。
でも、日本の未来のためには陛下には死んでもらわないといけない。
と考える人たち。
反対に、知りたいものしか知ろうとせず、瞬間的に一喜一憂し、
焼き討ち事件まで起こしてしまう大衆にまだ国をまかせるわけにはいかない、
って考える人の気持ちもわかる。
主義者も若かったし、政府も若かった。
おとなりの国がいま同じことをやっているように見える。
そこに追い打ちをかけるのが、
大衆迎合から自縄自縛に陥って真実を報道できないマスコミ。
国全体がわあって盛り上がって一つの方向に走り出す。
日本はそのあと自分を測りそこねて、
身の丈に合わない相手と戦争をして身の程を知ることになる。
おとなりの国はどの道を選ぶのか。
GSOMIAを破棄した先になにがあるのか。
『我が代表堂々退場す』の先の日本になにがあったのか。