ゆうべは寒くってとうとう毛布を引っぱり出したし、
丸まって寝てもまだ寒いくらいだったのに、
きょうは車乗ってたら暑かった。
ごついの着て出なくてよかった。
とうとう熱中症予報もなくなったけど、
台風は近づいてきてる…
重用はちょうようって読みたいな。
なんとなく、だけど。
ゆうべは「100分de名著」見た。
谷崎潤一郎。
何冊かは読んだことあるような。
意外と図書館では見つからなかった。
全集とかはあるんだけど、そんなぶあつい本借りても読めないし。
で、iphoneの無料ブックで見つからなかったから、
まだ著作権切れてないのかと思ったけど…?
「色好み」っていうのはわからんでもないけど、
それが特徴みたいに言われても。
紫の上を連想するのもわかるけど、
「マイ・フェア・レディ」の紳士がいつまでも紳士だったかどうか。
あと、だいぶ事情は違う「みゆき」や「うさぎドロップ」
このへんですら賛否両論あったみたいだけど、
一番近くにいる他人の異性に魅かれるのはそんなにおかしいことなのかな。
フィンランドの校長先生がどうとか、
出羽守みたいな西洋崇拝はいまでも続いている。
この小説のテーマって性癖のことな気がするから、
男尊女卑教の敗北っていうのはちょっとずれてるように感じる。
そして「自分の思いのままに自由にふるまう女性」を嫌う男性、とな。
自分の思いのままに自由にふるまう男性を許容することを男尊女卑としてるのかな。
じゃあ、女性なら「自分の思いのままに自由にふるま」っていいんだろうか。
それはそれでなんか違うような気がする。
で、それが女性の解放という解釈だったけど、
さんざん持ち上げられ甘やかされ、
教養もなにも身についてない状態で放り出されて、
勘違いしたままで「解放」させられたとして、
ナオミはそのあとどうやって生きていくんだろうか。
若いうちは男にちやほやされてもそのあとは?
まあ最後は結局、男女が入れ替わっただけの、
女尊男卑みたいになってるみたいだけど、
そもそも、この小説ってプライベートの問題であって、
社会全体のことのようにそんな大きくとらえるものでもないような気もする。
男性が女性にほれ込んで一生を捧げるのもありだし、
女性が男性にほれ込んで一生を捧げるのもありなはず。
食事をしてる夫の横で妻が立ってる写真を見て大騒ぎするほうがおかしい。
それこそ夫婦の形は多様であって悪いはずがない。
そして、女性だろうが男性だろうが、
誰の理解も共感も得られなかろうが、自分の好きに生きればいいはず。
男性のあるべき姿や女性のあるべき姿っていう、
固定観念にしばられてるからこそ、
逆に「解放」なんて言葉が浮かんでくるのではないのかなあ。