外来は一瞬で終わり。
今回からカマグなし😀
業者の方がいらして、やはり電極と通信できず、
復旧作業中。←一時間
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それから一時間充電😑
それが無理だったら入れ替え手術。
これは小さいオペだけど、1週間入院。
だるい。
復旧しますように。
アーメン。
今回からカマグなし😀
業者の方がいらして、やはり電極と通信できず、
復旧作業中。←一時間
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それから一時間充電😑
それが無理だったら入れ替え手術。
これは小さいオペだけど、1週間入院。
だるい。
復旧しますように。
アーメン。
今日は第二朗読。
訳が違う聖書しか持ってないので、ほぼ初見?
まあ大丈夫だろうけど。。。
しかし電池切れの影響が数日前から出てきて、頻脈&痛み。
先週まで薬だけで大丈夫だったので、
もう電流なしで行けるんじゃない?
と思ったが甘かった。
昨日お稽古の後で打ち合わせがあり、
既にお稽古で疲れている&初めての人2人&騒音&人込み&4方向に飛び交う会話&数字の話&痛み&長時間同じ姿勢
というコンビネーションで、
8時ごろ撃沈、
3時半起床。
まだ体中が痛くて死ぬほどしんどい。。。
そして今日はミサ後委員会。
今日も撃沈決定だな。
訳が違う聖書しか持ってないので、ほぼ初見?
まあ大丈夫だろうけど。。。
しかし電池切れの影響が数日前から出てきて、頻脈&痛み。
先週まで薬だけで大丈夫だったので、
もう電流なしで行けるんじゃない?
と思ったが甘かった。
昨日お稽古の後で打ち合わせがあり、
既にお稽古で疲れている&初めての人2人&騒音&人込み&4方向に飛び交う会話&数字の話&痛み&長時間同じ姿勢
というコンビネーションで、
8時ごろ撃沈、
3時半起床。
まだ体中が痛くて死ぬほどしんどい。。。
そして今日はミサ後委員会。
今日も撃沈決定だな。
脊椎刺激装置の充電が昨日からできなくなった。
最近、旅行時を除いて、
薬だけでほぼ電圧を1くらいで流すのみだったので、
充電が月に一度くらいで良かったので、
先月まではできていたのに。。。
朝から電極会社(?)に電話したり
かかってきたり。
結局トラブルシューティングに書いてあることでもなにもできず
電子音が空しく鳴り。。。
結局解決せず、
次の外来で会社さんが来てくださり作業だそうで。
電流ゼロになったら単なる金属の塊だから大丈夫か
だけ心配だったのだけど、
それは大丈夫。
電池は9年もつはずで、今ほぼ4年だから、電池切れではないはず?
mmm
最近、旅行時を除いて、
薬だけでほぼ電圧を1くらいで流すのみだったので、
充電が月に一度くらいで良かったので、
先月まではできていたのに。。。
朝から電極会社(?)に電話したり
かかってきたり。
結局トラブルシューティングに書いてあることでもなにもできず
電子音が空しく鳴り。。。
結局解決せず、
次の外来で会社さんが来てくださり作業だそうで。
電流ゼロになったら単なる金属の塊だから大丈夫か
だけ心配だったのだけど、
それは大丈夫。
電池は9年もつはずで、今ほぼ4年だから、電池切れではないはず?
mmm
昨日は寒かった。
稽古場までは送っていただけたので、
家から稽古着来て、ダウン着てもこもこ。
で、稽古場に着いたら冷えたのか?
おなかが動き出す。
イヤーな予感がしたけど、
とりあえずお稽古開始。
トイレに飛び出す可能性をお伝えして、
やっぱりトイレへ。
そこら辺のものを巻き込んで行く私。
「急いでるのは分かるけど、物をよけてから行きなさい」
はい。。。
やっぱりこれは
運動しておなか動かしたら、やばい感じ。
お部屋に戻って、
お部屋の外の更衣室から見えるので、
そこから見させてください、動いたらガスが出そう、
と私。
別に部屋で見ててもいいよ、
と言われたけれど、
「おならが私臭いんです」
と今から考えたら訳の分からないことを言う私。
「みんなおならはくさいの」
と先生。
「大丈夫よ、気にしなくても」
とクラスの方に言っていただくも、
やっぱり恥ずかしいし気になるので、
更衣室で見とくことに。
「そこでやりなさい(踊りなさい)」
「はいっ!」
フロアの続きが始まって、唐突に先生に
「そこ寒いで」
私「大丈夫です!」
先生「風邪ひいたとか言わんといてや」
私「大丈夫です!」
←風邪ひくかしらんが、そこで見させてもらえるならなんでもいい
ふりも進んで、
狭い場所で見てるから回転はできなかったけど、
家でするみたいな想像回転で。
いつもなら、
おなかがおかしくなった時点で
帰る
とかしてた私。
でも、
いままでおなかおかしくても、
おなか壊しても、
膀胱炎になってても、
アクシデントもなくお稽古できてきたので、
(帰らず)見学させていただけたら嬉しいな
と思って言ってみたんだけど、
結果的には
おなかひねったり
上半身前後に揺らす振りもしたけど、
大丈夫だった。
終わってから、
今までなら帰ってたけど帰らなくて良かった、
と言ったら
「稽古場に来たら、お稽古するの。
今まで、とか考えなくていいから。
前だけ向いて」
まぁ、まだほかの場面じゃ怖いから帰るだろうけど、お稽古はできそうだな。
稽古場までは送っていただけたので、
家から稽古着来て、ダウン着てもこもこ。
で、稽古場に着いたら冷えたのか?
おなかが動き出す。
イヤーな予感がしたけど、
とりあえずお稽古開始。
トイレに飛び出す可能性をお伝えして、
やっぱりトイレへ。
そこら辺のものを巻き込んで行く私。
「急いでるのは分かるけど、物をよけてから行きなさい」
はい。。。
やっぱりこれは
運動しておなか動かしたら、やばい感じ。
お部屋に戻って、
お部屋の外の更衣室から見えるので、
そこから見させてください、動いたらガスが出そう、
と私。
別に部屋で見ててもいいよ、
と言われたけれど、
「おならが私臭いんです」
と今から考えたら訳の分からないことを言う私。
「みんなおならはくさいの」
と先生。
「大丈夫よ、気にしなくても」
とクラスの方に言っていただくも、
やっぱり恥ずかしいし気になるので、
更衣室で見とくことに。
「そこでやりなさい(踊りなさい)」
「はいっ!」
フロアの続きが始まって、唐突に先生に
「そこ寒いで」
私「大丈夫です!」
先生「風邪ひいたとか言わんといてや」
私「大丈夫です!」
←風邪ひくかしらんが、そこで見させてもらえるならなんでもいい
ふりも進んで、
狭い場所で見てるから回転はできなかったけど、
家でするみたいな想像回転で。
いつもなら、
おなかがおかしくなった時点で
帰る
とかしてた私。
でも、
いままでおなかおかしくても、
おなか壊しても、
膀胱炎になってても、
アクシデントもなくお稽古できてきたので、
(帰らず)見学させていただけたら嬉しいな
と思って言ってみたんだけど、
結果的には
おなかひねったり
上半身前後に揺らす振りもしたけど、
大丈夫だった。
終わってから、
今までなら帰ってたけど帰らなくて良かった、
と言ったら
「稽古場に来たら、お稽古するの。
今まで、とか考えなくていいから。
前だけ向いて」
まぁ、まだほかの場面じゃ怖いから帰るだろうけど、お稽古はできそうだな。
先日の皮膚科で、頭皮の乾燥を診ていただいたとき、
私がかきむしってかさぶただらけにしたのを見たドクターにげらげら笑われた。
子供の膝小僧みたいだからか笑
お稽古の前に時間がなかったとき、
お風呂上りに鏡台の前で上目遣いに、
膝を支点にして薬を塗ろうとしたが全く見えないわ、
バランス崩すわで
断念。
母にお願いする。
頭皮を見た母にげらげら笑われる。
その話をしたら、先生に
「げらげら笑われた方がいいやん、泣かれるより」
確かに笑いを提供したってことで。
そういえばうちの両親って、
二分脊椎のことで私の前で泣いたり、
悲しそうな顔をしたことがないな〜
リウマチの母に紅茶やらもっていったりしたら
「うちはリウマチと身体障害者手帳2級が一番動く笑」
とか言ってジョークにされることはあるけど。
ほったらかしな両親だったけど(だったし?)
悲壮感もなく助かったわ。
あんまり悲しそうな顔やら一緒に泣かれると、
私単純だから
本当に悲壮なのか
と思って育ったかもしれない。
私がかきむしってかさぶただらけにしたのを見たドクターにげらげら笑われた。
子供の膝小僧みたいだからか笑
お稽古の前に時間がなかったとき、
お風呂上りに鏡台の前で上目遣いに、
膝を支点にして薬を塗ろうとしたが全く見えないわ、
バランス崩すわで
断念。
母にお願いする。
頭皮を見た母にげらげら笑われる。
その話をしたら、先生に
「げらげら笑われた方がいいやん、泣かれるより」
確かに笑いを提供したってことで。
そういえばうちの両親って、
二分脊椎のことで私の前で泣いたり、
悲しそうな顔をしたことがないな〜
リウマチの母に紅茶やらもっていったりしたら
「うちはリウマチと身体障害者手帳2級が一番動く笑」
とか言ってジョークにされることはあるけど。
ほったらかしな両親だったけど(だったし?)
悲壮感もなく助かったわ。
あんまり悲しそうな顔やら一緒に泣かれると、
私単純だから
本当に悲壮なのか
と思って育ったかもしれない。
皮膚科。
褥瘡。
なぜかものすごく良くなっていて、旅行前よりずっと良い。
ポケット埋まってるし、瘻孔も数と長さが減った。
もう普通の生活していいって♡
でも、頭皮が乾燥していて、ここ数日24時間、
ジガジガジガ。。。
とかゆく、
診ていただいたらすごい乾燥で
(頭皮だけ?手なんて脂性で嫌なのに)
ひっかき傷とかさぶただらけ。
次回の外来はひと月後。
YATTA!
でも頭皮のローションたっぷり出される。
当分、髪は染められないな。
目下ごま塩頭?っていうのかな。
あまり世間様に出られんなー。
褥瘡。
なぜかものすごく良くなっていて、旅行前よりずっと良い。
ポケット埋まってるし、瘻孔も数と長さが減った。
もう普通の生活していいって♡
でも、頭皮が乾燥していて、ここ数日24時間、
ジガジガジガ。。。
とかゆく、
診ていただいたらすごい乾燥で
(頭皮だけ?手なんて脂性で嫌なのに)
ひっかき傷とかさぶただらけ。
次回の外来はひと月後。
YATTA!
でも頭皮のローションたっぷり出される。
当分、髪は染められないな。
目下ごま塩頭?っていうのかな。
あまり世間様に出られんなー。
私は両親、特に母に複雑な想いを抱えていた。
父はメイゴが生まれた直後くらいまで、
アンガーマネージメントの課題があり、
昭和ということもあったのか、いまだと虐待に入るような感情の爆発があった。
しかし数年前、父はそのことについて謝ってくれた。
父は母子家庭で育ち、父親というものを知らず、
働きに出ていた(私たちには)祖母に代わり曾祖母に育てられた。
貧しく、大学は諦め、就職も時代は母子家庭では難しかったらしい。
母はサラリーマンと専業主婦の祖父母の元、高校からは私立の女子高で寄宿舎生活。
その後、大阪で就職し、父と出会う。
家事も料理もしたことがなく、寄宿舎のあとは寮生活で、食事も出ていたらしい。
若くして結婚し、若い母親、もちろん二分脊椎のことなど分からない。
父は、私より、障害がある子を産んだ母が心配だったらしい。
母の最初のに二分脊椎のニュースの反応は
「仕事を辞めないといけないのかな」
だったそうだ。
小児病棟に入院していた私を置き、買い物に出かけたり、
他の母親が泣いたり落ち込んだりしていた時に、買い物や用事に出ていたらしい。
確かに私は看護師に見守られているし、四六時中いる必要もない。
だだ、看護師さんたちはびっくり!(笑)
結局母は、育休(の間に私は2回の手術は終え)の後、
まるでNZ人のような家事育児をする父と、両方の祖母、
母の友人の助けを借りて、仕事に復帰した。
私は地元の保育園へ。
偶然当選した公団があった市が、統合教育推進地域だった。
仕事もあり、信頼していたドクターが転勤し、短下肢装具を作る以外、私を病院に連れて行かなくなった。
地元の小学校では、筆舌に尽くしがたいいじめを受けた。
両親は、いじめられたらやり返せ、というタイプ。
でも相手は健常児。身体能力的にやり返すのは無理がある。
また両親は、最初からいじめられるようなことはするな、
馬鹿にされるなというタイプでもあったので、
イモウトが7つ下で生まれ忙しかったのもあり、両親には言わず。
また、「馬鹿にされていじめられている自分」を知られるのが恥ずかしかった。
高学年になると、身体能力も口もさらに発達してくるので、
階段から突き落とされたり、
身の危険も感じて今でいう不登校になった。
絶対にこの子たちと同じ中学にはいかない。度が過ぎて殺される、と思った。
不登校でも行ける、内申書のない、自力で通える母校を見つける。
学院時代はまだイモウトは保育園。
帰宅時にスーパーに行き、保育園に迎えに行き、
夕食を作って食べさせ、お風呂に入れて洗濯を回し、
干している頃に両親が帰宅。
就寝に厳しく10時だったので、数時間英語の勉強。
常にイモウトの友達が出入りしていたので、勉強どころではなく、
4時起きで勉強(英語だけ。笑)
入学の条件が「自分でお弁当を作る」だったので、お弁当を詰める
(まあ夕飯は私が作ってるんだが)
たまに見かねて父が作ってくれた。
母の同僚の子供たちは皆、やってる、と。
認められたくて、そしてなんというか、
五体満足で生まれなかった負債?を返したくて。
健常だったらいじめられず、税金で行ける公立に行けたのに悪いな、
と12歳の脳は思った。←イモウトは私立高校から短大。笑
(ちなみにイモウトは同じ頃、同僚の子供たちは・・・と同じように言われたらしいが、さすが下の子、冗談じゃないとやらず。笑)
とりあえず、申し訳なかったのだと思う。
学院に入ったとき、野放しで、障害がある私を心配した先生方が、
ある障害児施設を紹介してくださった。
そこから紹介された病院で、褥瘡が見つかった。
4年生くらいのプールでひどく打ち付けてから弱くなったので、3年くらい放置。
よく感染しなかったもんだよ。
(熱がよく出てて、風邪だと思ってたけど、褥瘡や膀胱炎だったのかも)
膀胱直腸障害のため、腎臓や膀胱を検査し、そこで暴行にあい、医療から離れていった。
いじめと同じ理由で両親には言えず、学校の先生方の善意が分かっていたので誰にも言えず。
そして、私の怒りだか憎しみだかよくわからないが、
許せない感情は、定期的に病院に連れて行ってくれなかった、
二分脊椎を理解できない両親へ向かった。
進路は、自力で行ける大学が日本になかった。
英語しかできなかったし、当時は車椅子でもなかったので、
アメリカに行こう、
と15歳の脳は思った。
90年代、ドラマはアメリカから来ていて、車椅子の人が出ていた。
結局クライストチャーチに行き、翌年シャントが詰まって緊急手術があったので、アメリカじゃなくて良かったのだけど。
人は(日本にずっといる日本人)
お母さんも精一杯だったんだよ。
お母さんもベストだと思ったことをやったんだよ。
私立に行かせてもらって、留学もさせてもらったんだからチャラだよ。
ご両親なんだから許さなきゃ。
家事も、ご両親が自立させるためにさせたから、留学できたんでしょう。
あなたも子供を持ったらわかるよ。
と言う。
*面白いことに英語人や外国にいたことのある日本人は違う反応
でも、私も、子を産んだイモウトも
母の行動が理解できずにいる。
私は産まなかったが、メイゴを就学まで育てた。
もしメイゴが二分脊椎だったり、何か障害があれば、
なにをかけてでも将来が楽になるように、
せめて病院には連れて行く。
先日、母校の交換留学や留学プログラムについて母と話していた。
ヨーロッパやフィリピンのアサンプションの中には、超絶お嬢様学校があったりする。
フィリピンなんかの子は、ドライバーがいたり。
母 「そんなんだと社会に出たとき困るでしょうに」
私 「日本人の障害児も似たようなもんだよ。
個人的なドライバーはいないけど、それが母親なだけ。
ずっと一緒の人もいるらしいよ」
母は、思春期の子なんて嫌がらないのかしら…なんて、健常児ママチックなことを言っていた。
まあ、まっとうな反応。
そしていきなり
「あなたもそんな母親が良かった?」え。
しばらく考えて
私 「そんなコアラかヘリコプターみたいな24時間べったり営業みたいな母親は気持ち悪い。
ノイローゼなるわ。
でも、病院だけは連れて行って欲しかった。
そしたら、膀胱拡大術もカテーテルをしてくれてたら防げたかもしれないし、もしかしたら、暴行も受けなかったかもしれない」
だいたいこの手のやり取りは口論で終わるのだが、その日は
「身体のことは、本当にかわいそうなことをしたと思ってる・・・」
と初めて言われた。
びっくりして言葉が出なかった。
13歳から、悩み、苦しみ、この言葉が欲しくていろいろやった。
思いがけない時に、思いがけない場面で祈りがかなえられた。
イモウトはまだ、同じ母親として
私の障害についての両親の在り方には思いがあるみたいだけど、
私は、
死ぬまでこの思いを抱えて、
このまま複雑な母娘関係でどちらかの死を迎えると思っていたので、
肩の荷がおりた。
この一連の人、両親はとばっちりを食っているが、
私に罪をおかした人に対して許せずにいる私に、
告解や神父様、シスター達は、
「神様、私は許せませんが、あなたが私のために許してください」
と、祈りなさい、と教えてくださったので
洗礼を受けて12年? そう祈ってきた。
もうその祈りも必要ないのだな。
許しは、自分のため、というけれど、
ただ「許そう」と思って許せるものではなく
時が満ちたとき、
与えられるものなんだな、
と思ったのでした。
父はメイゴが生まれた直後くらいまで、
アンガーマネージメントの課題があり、
昭和ということもあったのか、いまだと虐待に入るような感情の爆発があった。
しかし数年前、父はそのことについて謝ってくれた。
父は母子家庭で育ち、父親というものを知らず、
働きに出ていた(私たちには)祖母に代わり曾祖母に育てられた。
貧しく、大学は諦め、就職も時代は母子家庭では難しかったらしい。
母はサラリーマンと専業主婦の祖父母の元、高校からは私立の女子高で寄宿舎生活。
その後、大阪で就職し、父と出会う。
家事も料理もしたことがなく、寄宿舎のあとは寮生活で、食事も出ていたらしい。
若くして結婚し、若い母親、もちろん二分脊椎のことなど分からない。
父は、私より、障害がある子を産んだ母が心配だったらしい。
母の最初のに二分脊椎のニュースの反応は
「仕事を辞めないといけないのかな」
だったそうだ。
小児病棟に入院していた私を置き、買い物に出かけたり、
他の母親が泣いたり落ち込んだりしていた時に、買い物や用事に出ていたらしい。
確かに私は看護師に見守られているし、四六時中いる必要もない。
だだ、看護師さんたちはびっくり!(笑)
結局母は、育休(の間に私は2回の手術は終え)の後、
まるでNZ人のような家事育児をする父と、両方の祖母、
母の友人の助けを借りて、仕事に復帰した。
私は地元の保育園へ。
偶然当選した公団があった市が、統合教育推進地域だった。
仕事もあり、信頼していたドクターが転勤し、短下肢装具を作る以外、私を病院に連れて行かなくなった。
地元の小学校では、筆舌に尽くしがたいいじめを受けた。
両親は、いじめられたらやり返せ、というタイプ。
でも相手は健常児。身体能力的にやり返すのは無理がある。
また両親は、最初からいじめられるようなことはするな、
馬鹿にされるなというタイプでもあったので、
イモウトが7つ下で生まれ忙しかったのもあり、両親には言わず。
また、「馬鹿にされていじめられている自分」を知られるのが恥ずかしかった。
高学年になると、身体能力も口もさらに発達してくるので、
階段から突き落とされたり、
身の危険も感じて今でいう不登校になった。
絶対にこの子たちと同じ中学にはいかない。度が過ぎて殺される、と思った。
不登校でも行ける、内申書のない、自力で通える母校を見つける。
学院時代はまだイモウトは保育園。
帰宅時にスーパーに行き、保育園に迎えに行き、
夕食を作って食べさせ、お風呂に入れて洗濯を回し、
干している頃に両親が帰宅。
就寝に厳しく10時だったので、数時間英語の勉強。
常にイモウトの友達が出入りしていたので、勉強どころではなく、
4時起きで勉強(英語だけ。笑)
入学の条件が「自分でお弁当を作る」だったので、お弁当を詰める
(まあ夕飯は私が作ってるんだが)
たまに見かねて父が作ってくれた。
母の同僚の子供たちは皆、やってる、と。
認められたくて、そしてなんというか、
五体満足で生まれなかった負債?を返したくて。
健常だったらいじめられず、税金で行ける公立に行けたのに悪いな、
と12歳の脳は思った。←イモウトは私立高校から短大。笑
(ちなみにイモウトは同じ頃、同僚の子供たちは・・・と同じように言われたらしいが、さすが下の子、冗談じゃないとやらず。笑)
とりあえず、申し訳なかったのだと思う。
学院に入ったとき、野放しで、障害がある私を心配した先生方が、
ある障害児施設を紹介してくださった。
そこから紹介された病院で、褥瘡が見つかった。
4年生くらいのプールでひどく打ち付けてから弱くなったので、3年くらい放置。
よく感染しなかったもんだよ。
(熱がよく出てて、風邪だと思ってたけど、褥瘡や膀胱炎だったのかも)
膀胱直腸障害のため、腎臓や膀胱を検査し、そこで暴行にあい、医療から離れていった。
いじめと同じ理由で両親には言えず、学校の先生方の善意が分かっていたので誰にも言えず。
そして、私の怒りだか憎しみだかよくわからないが、
許せない感情は、定期的に病院に連れて行ってくれなかった、
二分脊椎を理解できない両親へ向かった。
進路は、自力で行ける大学が日本になかった。
英語しかできなかったし、当時は車椅子でもなかったので、
アメリカに行こう、
と15歳の脳は思った。
90年代、ドラマはアメリカから来ていて、車椅子の人が出ていた。
結局クライストチャーチに行き、翌年シャントが詰まって緊急手術があったので、アメリカじゃなくて良かったのだけど。
人は(日本にずっといる日本人)
お母さんも精一杯だったんだよ。
お母さんもベストだと思ったことをやったんだよ。
私立に行かせてもらって、留学もさせてもらったんだからチャラだよ。
ご両親なんだから許さなきゃ。
家事も、ご両親が自立させるためにさせたから、留学できたんでしょう。
あなたも子供を持ったらわかるよ。
と言う。
*面白いことに英語人や外国にいたことのある日本人は違う反応
でも、私も、子を産んだイモウトも
母の行動が理解できずにいる。
私は産まなかったが、メイゴを就学まで育てた。
もしメイゴが二分脊椎だったり、何か障害があれば、
なにをかけてでも将来が楽になるように、
せめて病院には連れて行く。
先日、母校の交換留学や留学プログラムについて母と話していた。
ヨーロッパやフィリピンのアサンプションの中には、超絶お嬢様学校があったりする。
フィリピンなんかの子は、ドライバーがいたり。
母 「そんなんだと社会に出たとき困るでしょうに」
私 「日本人の障害児も似たようなもんだよ。
個人的なドライバーはいないけど、それが母親なだけ。
ずっと一緒の人もいるらしいよ」
母は、思春期の子なんて嫌がらないのかしら…なんて、健常児ママチックなことを言っていた。
まあ、まっとうな反応。
そしていきなり
「あなたもそんな母親が良かった?」え。
しばらく考えて
私 「そんなコアラかヘリコプターみたいな24時間べったり営業みたいな母親は気持ち悪い。
ノイローゼなるわ。
でも、病院だけは連れて行って欲しかった。
そしたら、膀胱拡大術もカテーテルをしてくれてたら防げたかもしれないし、もしかしたら、暴行も受けなかったかもしれない」
だいたいこの手のやり取りは口論で終わるのだが、その日は
「身体のことは、本当にかわいそうなことをしたと思ってる・・・」
と初めて言われた。
びっくりして言葉が出なかった。
13歳から、悩み、苦しみ、この言葉が欲しくていろいろやった。
思いがけない時に、思いがけない場面で祈りがかなえられた。
イモウトはまだ、同じ母親として
私の障害についての両親の在り方には思いがあるみたいだけど、
私は、
死ぬまでこの思いを抱えて、
このまま複雑な母娘関係でどちらかの死を迎えると思っていたので、
肩の荷がおりた。
この一連の人、両親はとばっちりを食っているが、
私に罪をおかした人に対して許せずにいる私に、
告解や神父様、シスター達は、
「神様、私は許せませんが、あなたが私のために許してください」
と、祈りなさい、と教えてくださったので
洗礼を受けて12年? そう祈ってきた。
もうその祈りも必要ないのだな。
許しは、自分のため、というけれど、
ただ「許そう」と思って許せるものではなく
時が満ちたとき、
与えられるものなんだな、
と思ったのでした。
やっと感染前の状態まで塞がった褥瘡。
ひとつ瘻孔が完全に塞がったので、褥瘡横にできていたおできみたいなのが消滅。
先日会社でクッションを工夫していただいたのを見たドクターが、感心して、
また私ができるだけ厳密に除圧の努力をしているので
(お稽古に戻りたい一心で)
次の診察は再来週になりました。
(ここ3週は毎週)
ということは、今の生活が来月も。
このクッションでは踊れないので、お稽古はお預け。
それだけがストレスフル。
制限のある生活もクッションがあるため、今は
仕事と食事、移動も近くなら車椅子で可能になり、
かなりストレスは減ったが
それでもストレスフル。
治ってお稽古に戻れる事を希望に除圧生活も真面目に続けているが、
お稽古に11月も行けないのは結構ストレスで悲しい?悔しい?
そしてお稽古がストレス発散だったので、
このストレスをどうしたら良いのか、
それがやり場がない感じ…
鬱にならないように頑張ろう…
膀胱炎から免疫が落ちたのか、褥瘡が感染。
一ヶ月くらい座らないようにして下さいね、とドクターに言われて、一週間後の診察。
予想よりぐんと良くなったので、この際、坐骨の方までいった細いろうこうも、できる限り治してみよう!と、座らない生活2週間。
打ち合わせで出社する用事があり、杖で歩き、道中は友人に送って戴く。感謝!
一度友人宅に移動支援車に腹ばいになり、遊びに行った以外、家族以外と話す。
御ミサにも、お稽古に行けないので、仕事でも嬉しい。
さすが作業療法士が作れるクッション会社、即席でいろいろ考えてバパッと作ってくださった。感謝!
座面が高くなり足がフットレストに届かずバランスが悪いので遠出はできないし、ダンスは無理だが、食事と仕事が座ってできるので大変ありがたい。
一ヶ月くらい座らないようにして下さいね、とドクターに言われて、一週間後の診察。
予想よりぐんと良くなったので、この際、坐骨の方までいった細いろうこうも、できる限り治してみよう!と、座らない生活2週間。
打ち合わせで出社する用事があり、杖で歩き、道中は友人に送って戴く。感謝!
一度友人宅に移動支援車に腹ばいになり、遊びに行った以外、家族以外と話す。
御ミサにも、お稽古に行けないので、仕事でも嬉しい。
さすが作業療法士が作れるクッション会社、即席でいろいろ考えてバパッと作ってくださった。感謝!
座面が高くなり足がフットレストに届かずバランスが悪いので遠出はできないし、ダンスは無理だが、食事と仕事が座ってできるので大変ありがたい。