Welcome Home! ヒースロー空港。
http://www.youtube.com/user/lifesforsharing
Welcome Home! ヒースロー空港。
http://www.youtube.com/user/lifesforsharing
「響き」の問題なんだけどね。
今回の本もそうだけど読めなく”ても”、書けなく”ても”」とか
障害を”克服”するとか
車椅子”でも”オシャレにするとか
どうしても納得できないのよ・・・
その響きが
”ても”とか”でも”までの条件と、それ以降の因果関係って、そもそもないような・・・
そもそも完全参加と平等じゃない、尊厳がないように感じるんだよねえ。
実は二年くらい前に買った車椅子を壊しました。
コートを巻き込んだりしないようにある(たぶん)サイドガードが、最近車載のとき、固くて・・・
あらくたいもんだから、エイ!!って抜いてたら、ねじが・・・
前輪のゴムがすり減っているのも気になっていたのよね。
ここらへん、舗装が悪いし、坂ばっかりだし。
でも痛いとそれどころではなくて(だってまだ走れるから)。
あと電話がね・・・非常に苦手でね・・・
例文があるといいんだけどね・・・
Can I have a taxi pleaseみたいな・・・
でも電話しても、私のシナリオどおりに返答がくるって限らないのよね。だからメールの方が楽なんだけど、それも意図がはかりかねる時もあるし・・・
それから、伝わるように伝えるのも苦手でね・・・
(あんまり伝わらないけど、べらべらしゃべるのは、慣れたらマシンガントーク)
ついでに「正式に」喋ったり、依頼したり、理解したりそういうのも苦手かな。
国語の成績と日本語コミュニケーションは違うのね。
日本語習ったことがないから苦手や。
それから病院が苦手(致命傷)。
遠い。
業者さんが来る曜日が決まっている。
そこのドクターが苦手(致命傷2)
この先、私、どうやって生きていけばいいんだるう。
恒常的な痛みから解放されたら、「生きる」ことになるのよ。
だけど、私は、さっぱり誰に助けを求めたらいいのか、わからないのよ。
(身体のドクターはいるけれど)
19歳でニュージーランドに行くまで、
装具を作って、褥瘡の手術をなぜか整形外科でやった以外、
もちろん赤ちゃんのときの基本的なオペ以外、
二分脊椎で病院に関わったことがなくて。
ニュージーランドで自分の障害を理解しました。
生活を良くするためのネットワークもあった。
でもここは日本。
ドクターが身体を見てくださったら、あんまり死ぬことはないし、
痛みがなくなってきたら、生きてくってことだし、
関わっていきたいライフワークも見えて、
生きる意味も見えたら、
生きるんだよー・・・・
パニックになった。
ねじが見つからない。
サイドボードはなくても困らないけど、なかったら着る洋服が制限されてくる。
擦れる音で集中力が途切れる。
前輪はネットで買えそうもない。
でも、多分、「そこしかない」(と思ってた)業者と病院に行けないのは、
私のわがままやし・・・
相当困りました。
何か月も困ってた。
ネットでも検索したけど、その病院やドクターや業者さんが苦手で部品交換ができない人なんて、出てこないし。
で、いよいよ前輪のゴムがえぐれたり、外れそうになったり。
↑こんなアホなこと書けないし(今は終わったので書いてるけど)
普段の生活を良く生きるのは、得意なんだけどね。
で、「部品を壊したけど、病院に行くのが面倒。」ってつぶやいた。
ユーザーから「面倒だよね」っていう反応がくる可能性はあった。
「面倒」ってたぶん、一般的に共通する感情なんじゃないかなと思ったから。
「困ってる」は、きっと私が困っていることは、ベーシックすぎるような・・・
そしたら姿勢のスペシャリストさんの会社(PAS)で、車椅子の部品も取り扱ってくださるらしく・・・
わざわざ自宅まで来てくださいました。(即日)
かたじけのうございます・・・
PASさんだったら物理的には行けるんだけど、
私、もう一つわかっていなくて、まざかやっていただけるなんて・・・夢にも思わなかった。
HPに車椅子はあるけれど、「義肢」っていう名前じゃないし、
コンセプトはわかったんだけど(?)
とにもかくにも、電話もせずに、目下の悩みは解決。
PASさんに感謝・・・
ちょっと安心。
なんていうか。「診療科以外の医療(?)難民」にならなくて良いかもしれない。
いろいろ不安はあるけれど、もし問題が起こったとき、どこか助けを求めに「行く」ために使う「車椅子」と、それに「座る」ことに困った場合、
パニックになって鬱にならなくて良いってわかったわ。
実は。
生活がかなり変化しています。
ここに書いてるから、実は、とか言うほどでもないのかもしれないけど。
江坂に行った日は、
HANDSではスケジュール帳を見る前に、
北海道展、KALDI、姪の永遠のリラックマ選び、そしてミスド。
もっかいリラックマ(そして定規と鉛筆をご購入・・・)
スケジュール帳は、色だけの問題だったので即決。
そしてもう一度KALDIを見て、アイスを車椅子で食べて、電車で帰宅。
最寄駅ではイタリアンを車椅子で食べて(お昼のガバペン飲んで)、文房具屋さんとMUJI、雑貨屋さんと百貨店を見て、歩いて帰りました。(車椅子よ)
また、生駒に急に行きました。
もう一つの最寄駅から本町まで出て、中央線で生駒。座って!
座ってる時間は1時間半くらい?
以前医療センターに通っていた頃、おととしくらいはこの行程が痛くて座ってられなくて、妹の車か、タクシーでした。
一日中、ほんと夜までお邪魔して、椅子に(せざぶとんのせて)座ってしゃべりました。
新年初めてのwebせんせいのレッスンもありました。
今までは、1時間半座ることになるので、レッスンのある日は何もできない。ほぼ寝たきり。
今回は、普通に日中生活してみました。
夜のレッスン、二時間大丈夫でした。ドキドキやー。
ラップトップを机に置いてね、膝の上に置いてね、ほぼ寝転んだ状態じゃなくてね、レッスン受けれた。
ごそごそしなくて良くなれば嬉しいな。(画面に映るから)
昨日はこたつでレッスンしたんだけど、今日はテーブル。
それまで普通に生活してみよう。どうなるかな。
あとは委員会と評議会みたいな会議と、
セミナーを車椅子で受けれたら本望だな。(セミナーを探すか?)
あ、新年会も週末にある。一応ソファ席だけど。
これからは・・・
本棚とデスクを買って、本と床を整理して、
5年分くらいの床生活を車椅子レベルに上げる・・・。
(ものすごい本の量だよ・・・。)
そうしたら、1999年当時と同じに(一応)なる。
あーーー大学に戻りたいよー。
やっぱり私、かなり痛かったんじゃない!
よくこの痛みの中であんな生活してたよ。
単純に、痛みが「和らげば」良かったの。
ここまで生活まで変わるって思わなかった。(キャーごめんなさい。)
だって今までクッションもたくさん買ったし、コルセットもしたし。
だから外見は、あんまりどうでも良かった。
それが、背筋は伸びるし、
(言われて気が付いた)車椅子から立ち上がるとき、すっと(イタタとか言わずに)立てる。
でも、やっぱり、私にとって、一番良かったことは安全保障かな。
それがQOLにつながるから。
いま、できたことは、ひとつづつチャレンジしてる。
ものすごく怖いから。
まだ、「やっぱり(たとえば)ミサの後は痛いわ」って言うことを許したい。
今年のテーマ:straighten・・・ 姿勢でも使う言葉だな。
いままでは、痛みがあるから、オペ。痛みがあるから薬・・・とか「対応」だったけど、痛みうんぬんじゃなくて、ちょっと身体をいたわってみようかな。
せざぶとんが来た翌日と出かけた初日を(怖かったから)除いて、ボルタレンをやめました。
リリカ・ガバペン・テグレトールは飲んでる。
でも、もげそうな、爆発しそうな痛みはない。
あのしびれと右の嫌な痛みは、リリカとかが効いてるみたい。
でも、もしかしたらリリカで吐き気と眩暈がしてるんかな…
(友達はトラムセット飲んでるみたい。)
ちょっとリリカとか減らせるかな。
ミサは、いつものソファにせざぶとんを置いて、主日のミサに与ったよ。
何年ぶりでしょう。
すべて歌って眩暈なし!