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"Life is either a daring adventure or nothing at all"

いよいよ

2007年03月06日 19時38分47秒 | 二分脊椎
今日は朝から二回目の、自己採血があった。

800cc採るので、日本人女性は一回400ccずつしか採らないらしく、二回行く羽目に
前回は、9時に病院と言われ、出来うる限り避けて生きてきたニッポンのラッシュアワーに巻き込まれかなり怖い思いをし、挙句に殺気立った方からは怒られてしまい、今日は11時にしてもらった

今日はボリュームを戻すのに?採血後、1時間点滴をした。その間は音楽を聴きながら、板チョコを食べて水を飲んで、「じゃ、あさって(入院)ね」と送り出された。

手術は月曜。絶食は日曜日の朝から。
どうも、入院してからは「残らない食事」を出されるらしいNASAの宇宙食みたいなものかな

前日の朝に外出で近くのミサに行くので、ドクターに「朝から絶食で、そんな歌ったり出来るんか?歩けるか?大丈夫か
はBreakfast Skipper
ドクター「ほんなら毎週そうなんやし、大丈夫やな

「入院に関して質問は?」「インスタントコーヒーとシュガーとクリープ持って行っていいですか?」ナースとドクター爆笑
はまじめだったんだけど・・・

NZでは毎日三回の食事のほかに、Tea Ladyが(よく考えたら差別用語だ)”Coffe,Tea or Milo?"(「コーヒーか、紅茶か、ミロのどれにします?」)と、10時ごろと、三時ごろ、そして寝る前8時半頃に回ってきて、ビスケット(日本で言うクッキー)が二枚付く。
そのたびに「お砂糖いる?」「何杯?」「全脂肪牛乳(パッケージの色でブルーミルクという)か、低脂肪(グリーンミルク)か」「ビスケットは?」の会話を続けていくと、日が経つとTea Ladyはや、長く入院している人のコーヒーや紅茶や、ミロの好みの飲み方を覚えてしまう
日本にそんなシステムはないだろうから、はできれば快適に過ごしたいので、自前でしようと思って聞いたのだった。

どうも皆さん、「手術しないといけませんか」とか「入院はやっぱりいやです」(いまさら言っても・・・)とか、細かいところでいえば洗面器の大きさや、面会時間などを聞くらしく、コーヒーの質問はかつてなかったらしい

ドクターが年度末で転勤らしく、かなりショック
手術は月曜だからしていただけるのだけど、入院は四月にかかると言われているし、予後のことや月一回の診察に行くのもやっと慣れたのに・・・この病院には脳外科の先生がいらっしゃるので、脳外科には通い続けるけれど、泌尿器はどうか・・・ドクターについていくか

でもうちの病院にはWOCナースという特殊なナースがいて、次の病院にはいらっしゃらない。ケースワーカーの制度もないらしい。厳しい選択だな・・・

でもとりあえずは手術。そのあと考えよう






黒一点

2007年03月03日 22時27分36秒 | ジェンダー
今日はひな祭り。

朝からにケーキを焼かせて(本人に焼かせるというのが何とも。。。でも、やりたがるし、も楽できるので)クリームを泡立てさせて「ピンクにする」というので、ターンテーブルでクリームまでをやらせて(早くまわすから目が回りそうだった・・・)、母にでデコレーションを頼んだ。(はそういうセンスはないを洗い、ヘタを切って立て半分に切る係。

そこまではいいのだけれど、毎年もめるのは男雛と女雛を左右どちらに置くか、ということ。
家は女系。マンションなので母の子供時代の雛人形も二体の箱入りオルゴール付き。のは二対で屏風と台座と白と桃の花があるセット。
が大学でジェンダーを専攻してから、余計毎年ネットで調べてはどっちに置くかでもめる。どうも、ひな祭りは昔、女の子がすくすく育つようにってことで始まったし、もちろん文化だし、ひな祭り自体はしっかりやる。
が幼稚園に入る前は、女兄弟のいない男の子をお呼びして、ちょっとお祝いした。

その写真を海外に送ると、「男の子の記念日はないの?」「あるんだけど、うちに男の子がいないから(かぶとや五月人形とかまじめなこいのぼりとか)そういう記念品がないんだよ

今年も置き方でもめたら、黒一点の父が「も~そんなんやったら縦に置いたり、向かい合わせに置いたら?」・・・

結局分からないまま、なんだか毎年交互に置いている

ジェンダーをしたとしては、端午の節句が祝日で、桃の節句は平日というところと、端午の節句の祝日の名前が「こどもの日」というのが、ちと引っかかるが、もちろん男の子にもすくすく成長して欲しいし、男の子の親に聞くと「こいのぼり出して人形やら兜飾って、かしわもち食べるくらい」との答えが大半で、男の子は逆にお祝いが華やか?盛大?でなくて、かわいそうかなぁとも思う。

ちなみには子供の頃、小さな手で持てるくらいのこいのぼりを買ってもらって(たぶん棒のところにお菓子が入っていたような・・・)しっかりこどもの日も祝っていた。(もちろん記念品はないけれど)

狭いChristchurch

2007年03月02日 21時33分12秒 | NZ
NZ時代、クライストチャーチにいた。

そしてカンタベリー大学社会学科で、と知り合った。きっかけは大学の先生がに「日本人の男の子にヘルプ」(私も新入生なんだけどなぁ。英語が問題?)まあとりあえず承諾したすると先生が「は矯正してるから」…(おいおい、社会学の数百人いる中から、アジア人の男の子探してに口開けさせるんかい)と思い、先生に「を探すほうが簡単ですから、そうに伝えてください。」と。そして翌週出会った。結局なんのヘルプか分からないくらい、英語は大丈夫だったし、と友達になった。
聞いたところ日本人はだったよう。

朝寝坊したり、しんどかったりすると同じ授業が夕方にあるので、それにもちょくちょく出ていた。そこで見かけていたのが ある日の後ろをNZ人と歩いていて、その人に名乗り、は心の中で(あ、日系人か日本人だ

そして後期。そのが、4科目中、社会学とアメリカ学とジェンダー学に現れた。さすがに三科目目では思わず手をつかんで、英語で「日本人?」はさすがにぎょっとして、でもやっぱり日本人であることが判明

そして社会学はのトリオ、アメリカ学は後数人、ジェンダーは

は当時、大学の寮に住んでいて、Open Door Policyにして、人の出入りが激しく、そのおかげで友人が増えたでも、と、の話をしても、なかなか二人は会えなかったが、数ヵ月後会い、実は親御さんの関係の共通の知り合いがいて、お互いの話を聞いていたことも知り、ビックリ

は卒業し、日本にしばらくいたがペナンへ結婚して行ってしまい、は日本に帰国、は修士課程に進んだ。でもで日々連絡を取っているので、あまり距離を感じない。

そしてで知り合った、日本にもクライストチャーチにも家があって、交互に住んでいるてるリンさん から数年後の日本で、ある日「知り合いの日本人の女性(パートナーはNZ人らしい)の裏に日本人一家が住んでいて、有名なラグビー選手だった父がいる」と聞いた。

父のことを知ったのは一年生の夏休みの帰国のの中。大量の日本語の紙 を読んでいるから取り上げて読むと、デミ・サカタ氏の本(後の「空とぶウイング」)の原稿用らしい。って、苗字坂田やなかった?」「うん」「お父さん?」「うん」「お父さんて、体育大学の教授やろ?プレイしてたん?」「うん」「今も?」「ラグビー部の監督もしてる」のおとうさんて、実はすごいんちゃうのん、なんで黙ってたん」「言う必要性がなかった」

は家族からか知っていたよう。
空港にを出迎えに来られた父は「確かにがっちりしててラグビーやってたって感じ」だけど、もう8ヶ月くらいから普通の家族の話をするように(当たり前だが)話すのを聞いて慣れていたので、いまさらでも、父も母も有名だとか何とかなくて、その後続く数年間のNZ生活で、NZにいらしたときはお食事によく連れて行っていただいた

その父と、てるリンさんの日本人ラグビー選手がなかなか結びつかなくて、当時はすでに日本、は修士だかなんだかに進み、確認も取れるような取れないような。でも同一人物だと知ったときはびっくりしたきっかけは、あの、が機内で読んでいた。大量の日本語の紙「空とぶウイング」だったような気がする。

は今はペナンで結婚生活、は他県で仕事、はここで日々を送っているが、人と人とのつながりって、偶然が偶然を呼ぶ、すごいなぁ、小さな世界だな~と思う