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"Life is either a daring adventure or nothing at all"

トラベル・留学アドバイザーのこと

2012年07月14日 09時34分16秒 | 旅行業管理者

昨日、今度は総合旅行業のほうの、世界地理のコースに行ってきた。

 

前回とは違う女性の講師で、やっぱり「国内実務で科目合格したら、来年はそれが免除になるので、めいっぱい法規などに時間を使えます!」わかってるんだけど、その実務が、運賃計算なんだよね。

コース終了後、私がなぜこの試験を受けようとしているかという話になり。。。
別にアドバイスするだけなら資格はいらないんだけど、あったほうが得。
ここまで勉強したので、とるつもり。

 

「大手にバリアフリーデスクってありませんか」と言われたので、
私は今まで使ったことがないこと、
あまりかゆいところに手が届かないこと
15年前の留学は、「健康であること」が仲介業者を利用できる条件だったこと。

それから、チケットを取るときの質問やお願いの仕方(ドクターのかかり方みたいな)を、こちら側もよくわかっていないことがあると感じたこと
需要と供給にものすごく隔たりがあると感じること

留学も旅行も、きっと障害があったら大きなことで、自分自身の健康やアクセスを考えたら、億劫で選択肢に入っていなさそうなこと。。。


きっとホームステイなんかしたら人生変わるのに。
旅行も、準備の仕方もある。

そういうことを伝えていきたい。
添乗員は無理でも、ここから、たとえば「あちらの大学にはサポートがあります」
「○○エアラインはサービスが良かった」
「○○空港は、降りた時は自分の車椅子じゃないとえらいめにあう」とか・・


とりあえず試験ですな。

mmmm

 

 

 


When BAD Things Happen to GOOD People

2012年07月11日 17時39分36秒 | カトリック

届いた!

まだ序章だけど『この本のタイトルはWhyじゃなくてWhen』というところに共感。


著者はユダヤ教のラビ(司祭みたいな方)です。

息子さんがプロジェリアという早く老いていく難病にかかって亡くなり、その経験を通して書かれた本です。

1970年代からベストセラーで、邦訳も「なぜ私だけが苦しむのか」という題で出ています。(なんか英語とだいぶイメージが違う訳・・・それで英語を買いました)

 

「神がいるのに、なぜ善い人々に悪いことが起きるのか」

「私が何をしたっていうのか」

そんな哲学的なテーゼと取り組む本のようです。どうやら、うちの神父さまがおっしゃったことと似てるような気もする。

 

なぜ私が二分脊椎で生まれたのか

なぜ私の家庭環境はタフなのか

なぜ私はいじめにあったのか

なぜバリアフルな日本のあの時代に生まれたのか

なぜ私はサバイバーになる経験をしなければならなかったのか

なぜ私は信仰者なのか

なぜその苦しみのときに神はいなかったのか

 

と生身の人間の私が感じてきたことにスパイスを与えてくれるような予感。

わくわく。

 

この前教会で、シスターが「なぜ」じゃなくて「なんのために」と聞くといい、とおっしゃった。

発想の転換って素敵、この本もWhenだしね。

 

 

 

 



カトリックのジェンダー

2012年07月05日 10時03分27秒 | カトリック

昨日、委員会があった。 

平日の昼間にあるので、主婦の女性が多い。退職した男性がいてもいいようにおもうんだけど。 

委員会は滞りなく終わり、お茶をしているときに、誰かが「キリストの死」を人に説明しにくいと言い出して、そこからFr○○の臨時入門講座みたいになった。 



私は旧約聖書の一番最初の「創世記」で、女性のエヴァ(イブ)が、男性のアダムの脇腹から造られたっていうのが、どうも納得がいかない! 
脇腹うんぬんより、アダムが「一人だったら良くない」からって、そのためにエヴァが造られたって!! 

自分が入門講座にいた時は、当時の神父さまも、私がジェンダー専攻で、絶対そこにひっかかることはわかってらしたみたいで。。。 
ちょっと詳細に読んでから 
「人が造られて、そのあともう一人造られて、 
それから最初の人を男、次の人を女って名づけられたんだよ。 
だから逆もありえたんだよ」みたいな説明を受けて、それなりに納得した 

・・・気がする。その時は。 

女性が司祭になれないのも、キリストの弟子に女性がいなかったから、とか、 
でも、バチカンに男だらけで、システムが聖職者は男女の役職が分かれていたとしても 
(だって司祭やシスターやブラザーご本人は、それを承知でそういうお仕事をを決めたんだから) 
一般信徒自身が「分業やん」っていうことはないと思うし・・・ 


世代的なものもあるのかもしれないし、私が外国に行ったからかもしれないんだけど、 


スイカの話をしました・・・(しつこい) 

神父さま笑ってはった。「性別関係ないね」 
ほら! 
切り方があるらしいんだけど(きっと人数を割ったときの1玉の%) 
「包丁をつかって切って、お皿に載せて、冷蔵庫に入れる」のは性別関係ないぞ! 

そして、やっぱり、意図的に、口にはださないけど、教会内のお仕事?を、男女平等にしようとされているのがわかった。だって先日の評議会のときに、あるグループが女性ばかりになっちゃった。そしたら「バランスが大事だから、男性にも入っていただいて」って。 
そのときに、あれ?とおもったんだけど、やっぱりそうだった。 

そういえば評議会も、奇数だけど若干半数くらいかな、。 
まだ、司祭としては50代で、若いほうっていうのもあると思う。 

ついでに、創世記の話も。(しつこい) 
そしたら、さらっと「男性が考えたからね・・・」わお。認めはったわ。めっちゃびっくり。 
そりゃああんな文章を書いて、書物に残せるのなんて、歴史的にみて女性はまだ教育が受けられてないんだろうし、男性に決まってるやん。 

でもスイカは関係ないのよ。(しつこい) 信徒も努力しないと。。。 


そして、”消化不良つながり”で聞いてみた。 

例えば、私がなぜ二分脊椎で生まれてきたのか、とか(信徒はよくヨハネ9章を持ち出す)、 
なんでしなくてもいい経験をしたのかについては 
「わからない。たくさんわからないことがある。教会は”わからない”ということに対して 
謙虚になる必要があると思う」 


そして宣教の話になって、 
「じゃあ神父さまは、赤道の向こうの、アフリカ大陸の、コンゴからはるばると、こんな日本の、小さい教会までやってきて、どんな神を、どんなイエスを伝えたいの?それも、はっきり”これ”、って一言では言えないの?」と聞いてみたら 
  
「わからない。でも、豊かに生きられるようになるってこと。いろんなアプローチがあるけど、豊かになる」 


それやったら私もわかるわ!性別も障害も関係ないし。 

はたと気が付いた。 
システムは、聖職者の性別の分業があるけど、 
私が出会ったカトリックの聖職者、司祭なり、シスターって、そんなに「男性はこうあるべき」、とか、「女性はこの仕事」、とか言わない。 
自炊してる司祭も多いし、金づち持つシスターも多いし。 
女子高だったけど、性別でうんぬん言われたこと、あったかな? 

私の障害の理由も、前の司祭は「胎児のときになんかあったんでしょうね」とおっしゃったし(そらそうや)、学校のシスターも「なんででしょうねえ」とおっしゃった。 


もうちょっと信徒が主体的に動けば、なんとか少しずつでも変わっていくんじゃないだろうか。。。 



スイカとか。 


トマ

2012年07月03日 21時13分38秒 | カトリック

今日は聖トマの祝日。

カトリックでは聖人の日があって、自分の洗礼名の聖人の日は、霊名記念日という。(ちなみに私の洗礼名のカシアの聖リタの祝日は5月22日。
おめでとうっていうくらいだけど。)

Anyway。
トマは、キリストの弟子だったんだけど、復活の時にいなくって、ざくっと「見ないと信じない」と言った人。

昨日ちょうど、父が「なぜ宗教を信じないか」ということを語っていた。
私も無神論者の時は、信仰者の友達に語ったわ。そのころには理屈があった。
父は「もし神がいるんだったら、せっかく復活したんだからまた死なずに、ずっと生きたままみんな治せばよかってん。リタのことも治せないのに奇跡?」とかなんとか。

まあ、気持ちは分からなくはない。でもそれは。。。魔法使い。

奇跡が欲しい人の気持ちもわかる。特にがんとか難病とか。だから奇跡はあったらいいなと思う。
だけど、私の信仰はあんまり今そこにはなくて・・・
信仰者になる前も、いろんなところからお誘いはきたの。「足が治るよ」って。
うーむ。別に「足」はよくならなくていいんだけど。。。(ヒールがはける)

私は車椅子のアスピィの女性でいいのよ。
健常の女性と同じことができて、同じ権利と義務があって、同じ存在意義と価値があればいいの。
もっとさくっといえば、基本的人権が尊重されていて、対等ならいいのです。
奇跡がおこるなら、私はこのままで対等になりたい。
でも現実はそうじゃない。

ジェンダーを専攻したのは、マイノリティ学に一番近いと思ったから。
身体障害とアスペルガーと女性と、三倍のマイノリティ。
健常の女性よりも被虐待の率も増えるし、恋愛に関しても特殊な課題があると思う。

でも、権利は同等にあるのよ。存在価値も。
そう信じたくて、なんでこうなっちゃっているのか私なりに答えを知りたかった。

健常の女性の「ように」は別にならなくてもいい。それは私じゃないから。
でも、生きていくためには健常に近づく努力をしなくてはいけない。
私を捨てないでその努力をしなくてはいけない。
それには私は弱すぎて、ひとりではできなかった。私はトマだったと同時に、見ないで信じた部分もある。

いろいろ理不尽な思いもしたけど、私の「見ないで信じる」っていうのは
「いつか絶対、完璧にわかるときがくるから、それまで混乱しても笑って、泣きながらも頬笑んで、”何事にも理由があるんだよ”って自分自身に言い続けよう」
っていうことかな。





・・・だけど腹立つことも多いけどね~。私、短気だから!
Patience is a virtue...1・2・3.。。


サバイビング

2012年07月03日 16時07分04秒 | カトリック

別のところにちょっと前にアップした記事。限定公開にしているのだけど、ちょっと編集して載せます。

 

***注意:心を乱す表現があります*** 



カトリック六甲教会の片柳神父さまがFacebookで、先日、梅田の教会であったセミナーについて記事を書かれていました。 
欧米でのカトリック教会における性暴力、虐待をうけての研修だったそうです。 
どんな内容だったかは詳しくは書きませんが、虐待を受けた経験のあるサバイバーの方からのお話があったそうです。(教会は関係ない) 



私もサバイバーです。教会や家庭は関係ありません。大昔のことです。 




クライストチャーチに行ったとき、友達のお母さまが私の様子がおかしいのに気付いて、薦められてカウンセリングを受けました。 

だいたいの日常的な英語は話せて語学学校に行ったけれど、そんなカウンセリングを受けるほど詳細な、非日常の形容詞や言い回しは知らないし、セッションは私も、カウンセラーの人も大変だったと思います。(おかげで英語はうまくなった) 

帰国寸前まで受けて、抗鬱剤もたくさん処方されて、摂食障害になって、何回も救急車で運ばれて、大変でした。私も周りも。 
でも、友達にたくさん恵まれて、一人暮らしの時も様子を見に来てくれたり、家事をしてくれたり・・・ありがたかったなあ。 
命に不安を感じた時は、泊まってくれたり泊まらせてくれたり。感謝でいっぱい。 
大学も、専攻が社会学のジェンダーだったので、辛いときもありました。 




障害者と性、セクシュアリティについて考えたり、性別がないものとして(性の社会化)育てられたので、逆に女性性や男性性を外から眺めたりもしました。 
これをすべて英語でやったことが、私には良かったと思います。 
日本語に比べて直情的な言語、形容詞が多くて、相手に対しては罵り言葉もあるし。

そして、帰国してずいぶんたって、だんだん思えるようになってきたけれど、 
I am worthy. I am deserving. I am proud of myself for surviving. I can let it go.って日本語でわからない。 



でも、物理的な体調も、精神的にも耐えられなくなって帰国しました。 
ほんとはジェンダーでPhD取って、大学教授になりたかったな。 



帰国後もカウンセリングを受けました。 
でも、日本語だし、カウンセラーは母世代の女性だし、とてもむずかしかったです。あまりに辛くて記憶が飛んだり、英語しかしゃべれないときがあったりしました。そしてカウンセラーの先生も、私はこのままだったらきっと死ぬだろうと思ったようで、なにか信仰を持つように勧められて教会に行きました。 



カトリックを選んだのは、中高がカトリックの女子校だったことと、教会が家から近かったこと(。。。) 
最初の日は母校の先生についてきて頂いてミサに行き、エレベーターもあって車椅子トイレもあって、いい感じのスタートでした。 


でも、キリスト教には疑問も、課題も山積みでした。 
荘厳で純潔を尊ぶし、それなのに欧米じゃ司祭は逮捕されるし、混乱の極み。 

洗礼を受けるのに(最初は軽いノリだった。”死ぬのをやめて”生きることができればそれでよかったから)勉強しても、納得できないことが多いし。 

ゆるしなんて、生き抜くこと第一の場合、それどころじゃない。 
隣人を「自分のように」愛しなさいって、自己肯定感がないのに、意味をなさない。 

肝心な質問には誰も答えてくれそうにない雰囲気。 

「あの時神様はどこにいたの?」「なんで私なの?」 

話しても「右も頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい」とかいうし、私、そんなん嫌!打たれた時点で逃げるよ! 
「ゆるす」ことを期待されて、「生きる」ことを前提にされている気がして、とてもとても難しい数年でした。 



私はなんで信仰者なの?             さぁ・・・?わかりません。 
きっと、これしかみつけられなかったから? 

でも、今の神父様は 
「神様は一緒に泣いて苦しんでいたと思う」「この世はある意味壊れているんです。クレイジー」「でも、あなたはそのままでとても美しく造られたの」「時間は未来に向かって流れているの。過去へは流れない。生きるっていうのは未来へ向かうこと」 

許しなさいとか、なんにも言われなかった。 
「絶対に、あなたのせいじゃないです」とも言ってくれた。 

うん。それが私への答えかも。みつかったかも。 
私は愛を見つけたし、この世界には生きてみる価値があるってことがわかったし。 

生きるって素敵だよ。 


虐待とかレイプって、一番悲しいのは心身が傷つくとかそんな軽いもんじゃない。 
自分には生きる価値がないとか、「純粋」じゃないとか信じてしまうことだと思う。 

でも生きれるようになる。 
魂って強いなぁ! 

癒えるのは一生かかると思うけれど、癒えることと、手放すこと・ゆるすことと、生きたくなることって全部違うことだと思う。 
赦せないことって罪じゃない。私はそれぞれのペースで、ここまで来たことを誇りに思ってる。 

I am worthy. I am deserving.  


ひとつひとつが奇跡で、私はお金持ちじゃないかもしれないけれど、周りの人々にはとても、とても恵まれたことに、日々感謝・・・ 
生きたい、って思うもんね。 

I am the happiest person alive.


あと70日。

2012年07月01日 16時06分45秒 | 旅行業管理者

先の記事が二重投稿になっていたのに気付かないほどの、余裕のなさ。

来週は総合旅行業のほうの運賃計算などの1日のコースに出ます。出題のウエイトは出入国管理などが重いみたいなんだけど…3日間コースはもう勘弁してください。

今年もパスは見送りました。でも、両方受験はします。

JRはなんとなく問われている傾向と対策はつかめたけれど、日数に対して体調と、薬とのめぐりあわせのタイミングがあまりよくなかったかな。来週のコースも、傾向がわかれば満足。

国内のほうは、配慮希望届をだして、協会からお電話いただき、別室受験になりました。総合も同じ形になる模様。

・・・・・

そして、この夏は岡山に行きます。二分脊椎の子供のキャンプにお邪魔して、レッスン(イベントの時みたいな感じになると思う)とお話し。帰りに倉敷に寄って帰るかな。

ボランティアのドールハウスも白菜の友Dと、いろいろ試行錯誤中。意外なところで消化不良だった知性を発揮できて、とても満足!

教会は最近いい感じ。空間も、居場所も、信仰も、位置?も。 

Facebookとmixiで知ったんだけれど、最近聖職者(修道者)に対して、虐待と性暴力について考える研修会があったんだって。日本でっていうのもさらに意外だったけれど、時代を感じたよ。