Penguin Home

"Life is either a daring adventure or nothing at all"

大爆発

2007年12月30日 12時51分51秒 | 二分脊椎
ついに爆発、寝込み、落ち込んでいる・・・というか、泣き過ぎて疲れているのに、ずっと断続的に泣いている

装具や杖のこと、とりあえずは来月代母に付き添ってもらい、整形外科を受診することになったが・・・

なぜ杖や装具をそこまで嫌がるのかわからない周囲。

そこまで嫌なら「いままでのままを続行」という選択肢も「あり」だと病院からメールが来た。の気持ちがついてこないのに、無理に受け入れようとしても、効果があがらない、と。

「一人で抱えきれない」というのは本当。
でも、杖も装具も嫌だ、心から嫌だ、というのが本音。

はペンギン歩きをしているけれど、じょくそうが無ければ、そして日本がバリアフリーだったら、ずっと車椅子に乗っていると思う。歩くこと自体が恥ずかしく、嫌なこと。
NZにいる二分脊椎の友達も、歩くのが嫌で車椅子にずっと座っていたためにまったく歩けない。幸い彼にはじょくそうはない。なので、一般の靴を履いて、車椅子で過ごしている。そのくらい、歩くことそのものに嫌悪感がある人もいる。
そこに杖と、ごっつい装具が加わるとなれば、もうストレスは限りなく

は二分脊椎なんて気にしてない。大丈夫だよね」と小さい頃から言われてきたし、いまさら実はどれだけ苦しんでいるかを家族に言っても、おたがい傷つけることになってしまう・・・導尿のときによくわかった。
気持ちを凍らせれば考えずに、落ち込まずに傷つかずにすんだ。

「良くなるための治療プラン」なので、周りは一生懸命に話してくれた。
装具と杖でどれだけが歩きやすくなるか、とか、
人はそんなに注意してが杖をついているとか、車椅子だとか見ていない。とか。
特に代母・・・
一生懸命の体のベストのことを考えて、いろいろ説明、説得・・・

その優しさと熱意、ときに厳しさに、は「わかったよ」と言った。そして話し合って話し合って、整形外科に一緒に行くことにした。

受診する決意に変わりはない。
ただ、は、いくら利点を説明されたも、普通に喜んで装具や杖を受け入れることなんて出来ない。

本当に悩んだ。
病院からのメールももっとも。周囲の意見ももっとも。代母の意見ももっとも。
でもやっぱり嫌なものは嫌・・・そして昨日爆発。大泣き

、ねぇ、ホントにそんなに嫌だったら、今のままでもいいんだよ。の人生の主役はなんだから」
「でも、せっかくさんも、病院の人も、みんな一生懸命考えてくれたし、の体にはベストって分かってるのに、受け入れないと悪いじゃん」
「ねえ・・・、杖も装具も受け入れる、整形に行くって言ってるけど、本当は嫌なんでしょう?一人で抱えきれないっていうのもあるかもしれないけど、嫌なんでしょう?言ってみて」
「・・・・」
「あのね、私はが何をしでかそうと、逆に何もしなくても、の決定には、いつも横にいるんだよ。いつも言うけれど、信じてないみたいだけど『のためにはこうしたほうがいいのになあ』と思うことがあっても、の人生なんだから、自身の決定で私や人が離れていくっていうことは無いんだよ。だって実際するのはなんだから」
「本当は杖も装具もめっちゃ嫌だよこのままがいいよでもじょくそうのこと考えたら全て受け入れなきゃいけないんだもん。負担だよ。一人ですべて受け止めて考えて決定して、なんて出来ないよ。頭では、なにが体にベストかって分かってる。でも嫌なんだよ。それでも、いやいやでも受け入れるって事はできる。導尿だってそうだった。好きでやる人はいない。でも嫌でもやれるんだよ。ただ、杖ついて装具つけて、『喜んで受け入れてます』なんてこと、私にはできないんだよ
号泣
「わかった。わかった。今、そうやって説明してくれたからわかった。大丈夫だから。言ってくれないとわかんないよ。言ってくれないと、また神戸みたいに誤解が膨らんでいくよ。言ってくれてよかったよ」
「だって言ったらいけないと思ってたんだもん。一人でやらなくちゃいけないと思ってたんだもん。だってとっくの昔に(二分脊椎を)受け入れてることになってるし、ほかの二分脊椎の人で私と同世代の人は、ちゃんと受け入れてるんだよ」
「そうか・・・でも、事情が他の人とは違うんだから、は自分と他の人と比べなくってもいいよ

そして夜中、「~が嫌、~が恥ずかしい、~はわかってる」などなど吐き出してしまってほっとしたのか、体調を崩した。
今朝は教会に行く予定だったけど、おとなしく家でお休み・・・

明日から一週間、茨木市の黙想の家に、代母と行く
家から離れて、ゆっくり考えたいと思う。










プスンプスン

2007年12月28日 23時07分29秒 | 二分脊椎
今日、教会ではプスンプスン怒ってた
そして意地をはって途中までじょくそうの痛みを耐えて座った。でも途中でギブアップ。
左に座ってくれる代母にいつももたれると、右が除圧されるので、もたれさせてもらって座ったり、寝転んだりするのだけど。
、このあと、お話があるんだから、もたれるか、寝転ぶかしなさい」
「いや
「どうしたのよ。何怒ってるの?」
「怒ってない」
「ふ~ん。まあ好きになさい」

そして
「やっぱり寝転ぶ」
「ほらごらん」
・・・」

今日は雨
教会の10時のミサに出るのに、最上階のから下を見ると、御用納めとが重なって、大渋滞。

8時前にタクシーを予約
そしていつも送迎してくれる代母にで、「車が混んでいるから、タクシーで行きます」と言い、出発。(早めについてトイレに行かなきゃいけないし、レインウェアを着替えないといけないし)

傘をさせないので、はLL Beanで、雨の日の新聞やさんみたいな、ジャケットとパンツのレインウエアを着て行った。

一階で着替えていると、皆さん続々と到着・・・

の教会は2階建てで、トイレも車椅子用のがあって、教会のみなさんも、の体調を気にしてくださったり、「元気?調子はどう?」と聞いてくださることはあっても(ありがたい)、特別に二分脊椎や私の体の状態を細かく聞いてくる人はいなかった。
なので、母校のように、自分が人と違うからということも意識しなくてよかったし、自由だった。「障害者」なのに、意識の中での障害、が最小だった。

ところが最近、「どこの病院に行ってるの」「なんで通ってるの」「どうして○○病院に通ってるのに治らないの」・・・
そういう人は世間にはたくさんいる。
でも、あんまり自由でそういうシチュエーションも忘れていた。

善意で聞いてくださっているのだろうけれど、のプライベートな部分を(二分脊椎の「症状」はにとってはプライベートなこと。)言うのは、親しくないと言いたくなくて

適当に返せばいいのだろうけれど、それがは出来ない。
結果、いちいち答えたくないことまで答えてしまい、落ち込んだり。

今日はついにプスンプスン怒ってしまった言い返せない自分や、「なんでそんな細かいことまで聞かれるんだろう」と・・・

年上の方が多いし(しかもよく知らない)、善意から聞いてくださっているので(こういうときどうしたらいいのかわからない)
「病気のことについてはお話したくないんです」と言っていいものかどうか・・・
(英語だったら言うけれど)

教会は、NZみたいに、唯一「障害」を意識しないで過ごせる空間だったものだから、よけいショックを受けてしまった

そして今日、「雨の日は体調は悪くなる?足や体は痛みますか?冬場はどうですか?大変ですね」
・・・整形外科の問診を思い出した

プスンプスン

適当に流せばいいものを
「いえ、梅雨どきも教会来ますし、外出もしますし、大変じゃありません。慣れてます。元気じゃないと外出できないし」

・・・性格悪ぅ・・自己嫌悪。

「全能の神と兄弟の皆さんに告白します・・・」


通院問題 その後

2007年12月27日 11時03分01秒 | 二分脊椎
脳外科と泌尿器かは妹の運転でなんとか行けた。
でも一緒にいてもらうのは苦しいので、(妹はEasyな性格だから「ついてこなくていいから適当に待ってて。」というと適当に待つ)受診は一人で。

コーディネーターの人と少し話して「病院はいつまでも待ちますから、気持ちの整理がついたらまたはじめましょう」「でも新しいことにもジャンプすることも大切ですよ」

そして偶然にNZ人の脳外科の先生に会って
”You don't look happy today"と言われてしまった
そこで”I am having problems..."
”What kind of problem?"

コーディネータもいたので、が日本語で医師に伝えにくかったことを英語で話し、補足で日本語で話し・・・

そのKiwiの先生にI understand your feeling... Everything is so fast here...so New Zealand time. OK?と言われた

もし、長い装具が必要になれば、気に食わなかったらNZに行き、できるだけ近いものを作ってもらう。
杖はとりあえず一本、薬剤師の友達に注文してもらった。
でも腕にわっかがついている杖や長い装具は、どうもたくさんの「棒」が回りにあって、拘束されている感じや、小さい頃に装具でがちゃがちゃいったり、油が切れたらうるさかったりでいじめられたし、靴ずれを起こしたりするので、どうしてもデメリットしか見えなかった。

じょくそうに関しても、また新しいドクターに会うことや、手術しても、もう4回ほどじょくそうの手術をしたので、またどうせうまくいかないんじゃないかという諦めモードで、踏ん切りがつかなかった。

結局ものすごくしんどくなって、記憶は飛ぶし、物事が手につかないし、また代母と話し合い・・(話し合いというよりもがぐちぐちゃと、なぜ嫌なのか言って、代母がひとつひとつの利点を説明しても・・・が納得せず「もう、」となり、
それにも関わらず、また
「長い装具はガチャガチャ言うから嫌だ」
「杖は腕のわっかが嫌」

・・・懲りない頑固な

その繰り返しの中で少しずつも気持ちの整理がだいぶついた。

「結局が、自分の体を受け入れてないから大変なだけで、はたから見たら杖ついても、装具が長くなっても大して変わらないよ。今はパンツも(ズボン)千差万別なんだから、長い装具も隠せるよ。じょくそうもいままでまともに食べてなかったんだし、今は栄養状態も良くなってるし、座る時間も減ってるんだし、うまく行くよ。今より全てが悪くなることはないよ」

「私はそういうことも不安だけど、それを一人で考えて、一人で決断して、一人で受け入れるって言うのが重いんだよ。いっぺんに」

「じゃあ付いて行くから。最初だけ不安なのよ。何回か一緒に行けば慣れるよ」
うまくあたらしい義肢とはなしたり、ドクターと話すことが極端に苦手ななので、年明けにもういちど代母についてきてもらうことになった。

そのあとで教会で神父さまに出会ったとき
「あのね神父さま、、長い杖を2本つかなきゃならなくなるかもしれなくて、腕をわっかに入れて松葉杖みたいに歩いて、この装具も棒付いて長くなるかもしれない」

神父さま「でも歩きやすくなるんだったらいいじゃないですか」

・・・ガクッ

「それでもし、今みたいに(祭壇に向かって)前に座ってたら、杖を置いて(聖体拝領というキリストの体のウエハースみたいなパンを頂くとき)普通に御聖体いただけるけど、後ろに座るとき、杖ついて前に歩いて行ったら、(両手で御聖体を頂くので)杖が邪魔で両手出せないんです。典礼聖歌(聖歌集)持って、プリント持って(じょくそうの)ざぶとん持ってって出来なくなる。教会で身動き取れなかったら、ほかの場所でどうやってやっていけばいいんだろう」

「御聖体は後ろにが座っていたら、前に来なくても、私が席まで持って行きます。本とかプリントとかいろんなことはそのとき考えたらいい」

なんだか悩んでいるのがあほらしくなってきた。

そしてクリスマスの日、教会のエレベーターを降りて、プリントを受け取ろうとして、ひっくり返って、とっさにじょくそうを打っては大変、と体をよじって逆を強打した。
そのあとカーペットの繊維に躓き、長い長いミサでおしりが痛くなり、じょくそうをかばったため足と腰を痛めた。

これはホントに杖が要る。装具も要る。覚悟を決めよう。一人で受け入れなくて良くなったのだから、来月行ってこようと思う




不調です

2007年12月24日 22時35分23秒 | Weblog
ブログが不調です・・・

gooのメンバーでなくても見れるはずなのに、入ることすらできなかったり、携帯からはコメントできるのに、PCだとできなかったり・・・

新規投稿が下のほうに出ていたり・・・

私自身のPCでは問題なく見ることができるのですが・・・

ということで、ちょっとアドバイスを頂いて、テンプレートを変えてみました。
クリスマスなので。


ホウレンソウ

2007年12月23日 19時54分56秒 | ジェンダー
今日は妹(母)の誕生日。
昨日、都合で我が家ではクリスマスと誕生日をやってしまった。

が張り切ってケーキを作り、のまねをしてのクッキーにアイシング。デコレーションは妹のリクエストで、母娘大騒ぎして完成

祖母も来て一泊

そして今日、昼間に妹の車で駅まで送って行った
母、妹、はそのまま買い物へミナミへ・・・

は今朝、洗礼式に参列したので、お昼寝。。。

出かける際母が父に言った言葉・・・

「お父さん、今日は干物焼くからなんにもしなくていいからホウレンソウだけゆでといて胡麻和えは飽きたからおひたしね

・・・それって「なんにもしなくていい」ことないような・・・

結局買い物が長引いてと父二人の夕食

ドイツ語???

2007年12月17日 20時15分01秒 | カトリック
の家はだけがカトリック。(そんなに珍しいことではないと思う)
去年、洗礼を受けて、はだいたい教会に行き、姪のも幼稚園が教会の近くのカトリック園なので、お友達もいて、YMCAや母(=妹)が連れ出さないときは付いてくるときもある。
もっとも本人は「付いてきている」つもりは無いらしく、車を降りたら帰るまでかなり別行動

最近、街で流れるクリスマスキャロルが、聖歌だと気が付いた
お気に入りは「もろびとこぞりて」

「もういいよ」というくらい歌い続ける

先ほどが「が書いたの」と紙を持ってきた。
はカタカナが分からない。
この筆跡は妹の字。
妹はカトリックでもなく、カトリックの学校にも行った事が無いので、が歌ったまま書き取ったらしい。

見て思わず笑ってしまった

ドイツ語???

失敗

2007年12月17日 19時07分03秒 | 二分脊椎
先週、皮膚科は行けず、代わりに市役所に行って車椅子の申請書をもらって、今日、整形外科受診と義肢と話し合いのはずだったのに、行けなかった。

土曜日は教会で子供たちのクリスマスがあり、の生徒ちゃん達や、友達の子供、の友達やママ達などたくさん来てくれた。はちょこちょこ動く程度で、ソファに横になったり、なにしに行ったのかよく分からない感じで自己嫌悪・・・
「明日(日曜)教会行くの気が重い・・・」

結局日曜は代母の家でいじりがあったので、思いっきり不機嫌なまま教会へ。自分に腹が立って、気持ちの折り合いがつかなくて。

教会のあと、ラーメンを食べて(「何食べたい?」と聞かれて、本当は病院に行けなかったから、そういう選ぶとかは贅沢だと、許されない、と思ったのだけど、関係ないって言われるんだろうな、とおもったので、寒かったしラーメンと言ってみたら、通過した

代母の家に行って、結局隠しておこうと思ったのに、教会で頂いたチョコレートを出してきてくれて(バイキングと一緒で舞い上がってしまい、何を選んだらいいのか分からなくなる)、「どれがいい?」一番無難なミルクチョコレートを選んだら

、どうしたの、いろいろあるんだからもっとInterestingなの食べたら?」と言われて「いいの」と答えたらばれた。調子が悪いと限りなく無難な

そして、もう全てが目まぐるしくて、病院に行くのも辛くて、でも行かなければ「もう知らないよ」となってしまうのが怖い、という話になった。
ビジネスはある程度解決、処理成功

「もし明日(月曜)病院にまた行けなくなったらどうなるの?」と私。
「どうなるの?」と聞き返されてしまった
「現状維持?」
「じゃあ悪くなるわけじゃないんだからいいんじゃない。本当に行かなきゃ行けない時が来たら行ける。医者だって患者が来なくても、そんな人はいっぱいいるって。がどうしたいか、周りはいろいろこうしたほうがいいのになって思うけど、終わりじゃないよ」

そのときには行けそうな気がしてた。

でも朝起きたら腹痛で動けなかった。自己嫌悪で引きこもり(今回は外出できないので)寝てしまった

起きたら3時
の帰宅時間 そしてまた自己嫌悪・・・

明日は妹がで同じ病院に連れて行ってくれる。
明日は脳外科と泌尿器科。導尿用具を受け取って、脳外科は問診。

とりあえずいっぱいいっぱい・・・今の状態を受け止めるだけで必死、自己嫌悪と後悔と不安と。
「いろんな人が一生懸命してくれて、考えてくれて、思ってくれてるのに・・なんではこだわってしまうんだろう。なにが怖いんだろう」
理屈で「大丈夫」って分かってても、装具や杖や、この先どうなってしまうのかという不安を抱えきれない。

ひと月にいくつ物受診科と、新しいドクターと、装具や杖、混乱している。

明日は無事に行けますように・・・

落ちてます

2007年12月10日 20時10分47秒 | 二分脊椎
治療プランが出来、帰宅してから数日。
足首のウエイトは購入して、なんとか20回ずつ上げられるようになり、今はうつぶせになると足が上がらないので、そのエクササイズ。

ただ、プールは水着になるのがどうしても抵抗があって、いまだに行けていない。
この夏、水着は買ったものの、不特定多数の公共のプールに行くのは別問題。

杖や支柱つきの装具も、将来必要になるかもしれないと言われ、「今」が精一杯な私には考えるのも気が重い日々だった。

じょくそうの手術も白紙に戻り、入院していた病院のじょくそうナースに診てもらっていたのだけれど、変にふさがってしまい、もう一度切開したほうがいいと皮膚科に回された。
これで脳外科と泌尿器科に加え、皮膚科と整形にまでかからなくては行けなくなった。

じょくそう、エクササイズ、プール、装具、杖、車椅子・・・
毎週の病院。

いっぱいいっぱいになって、例のごとく不安をにぶちまけたりしていたけれど、頭で「これがベスト」とわかっているから、余計気持ちに折り合いがつかなくて、不安と恐怖をどう表現したらいいのかわからず苦しんだ。

長い間座らなくてはいけない教会と、電車で移動するときのじょくそうの痛み以外、今のところ不自由はしていない。ただ、体が元気なのに痛みで人と同じことができないのが悔しくて、涙を流すことが多かった。

特に教会では1時間弱の御ミサでは座りっぱなしでは無いけれど、立ったり座ったりがあって、座ると痛く、たちっぱなちの場面では足が痛くなる。ここのところほとんど長いすで寝転んだまま参列していた。そこまでして参列したい私はわがままなんだろうか、他の人はどう思うんだろうか、体は元気なのに・・・

神父さまと代母さんが、「どんな姿勢でも自由、来るだけでもいい」
それでも気持ちは悔しかった。

この状態は良くない。二分脊椎を受け入れられないのは私だけなんだし、周りはどうも思わないのだから杖も支柱つきの装具も、エクササイズも、じょくそうの切開も受け入れなくては・・・

でもこの総合的な治療プランは、前回の膀胱の手術みたいに「手術をすればトイレが楽になる」とかいう目に見える結果や、期限があるようなものではなく、「どうやって二分脊椎とつきあっていくか」という話で、二分脊椎を受け入れ切れてない私には、全てが重荷で、とんとんと決まってしまったことも目まぐるしくて、でもベストなんだから、と言い聞かせて、気持ちに反して「はい」と言った。

「はい」と言ってしまった事実、周りの意見、自分だけがこだわっていること、抱えきれなくなってしまった二分脊椎と治療プラン・・・

今日は皮膚科にかかり、切開も含めてじょくそうの治療プランを組む予定だった。

昨夜は一睡も出来ず、自分が手に負えないスピードで進んでいく話と、二分脊椎の重さに苦しんだ。
先週はがついていこうかとまで言ってくれたけれど、でもそれは治療プランをすすめるためで、私は受け入れられなくて、何回も話し合ったけれど私は納得できなくて、そうこうしてるうちにが今朝、私が行く前に電話を入れてくれることになった。

今朝、どうにもこうにも無理だと思って、コーディネーターにメールして、受診をやめた。
「じょくそうの痛みはどうするの?」
「もう教会で痛いって言えなくなる」
「せっかくドクターも周りの人も、私を一生懸命支えてくれたのに、わがままで答えられなかった・・・」
家族は私の外来を知っていたし、受診をやめたとも言えなくて、朝、受診時間に合わせて出かけた。
どこに行ったらいいか分からず、とりあえず車椅子は新しいのが要るので市役所に申請書を取りに行った。

途中、コーディネーターとに電話して迷惑をかけたことを謝り、
「私に謝ってくれなくてもいいのよ。ご飯食べないと元気でないよ。なにか食べなさい」と言われ、でも意地をはって、受診をやめてしまったから(罰として)食べたらいけない気がして、何も食べないまま市役所に向かった。
でも途中でパニックになりどこにいるのか分からなくなって、カウンセラーに電話した。
「一度にたくさんの変化がありすぎてパニックになっているのよ、車椅子の申請書も無理してとりに行かなくてもいいよ。1年前まで病院にも行けなかったんだから、生死に関わることじゃないし、ゆっくりしなさい」
人の流れについて行って駅を見つけ、駅員さんに電車に乗せてもらった。

でも、時間をつぶしてあたかも病院に行ったように帰宅しないと、説明がめんどくさい。市役所に行き、最寄り駅まで戻って、この気持ちをどうしたらいいか分からず、聖堂しか吐き出せる静かな空間が思いつかず、誰もいない聖堂に行ってしばらく一人で過ごした。

教会にはシスターがいらして「いらっしゃい~」と言われ、聖堂から出てきたときに偶然神父さまと玄関で会い
(混乱しているから「神父さまどうなさったんですか」ととんちんかんな事を口走ってしまった。神父さまは教会に住んでらっしゃるので、いて当然。逆にわたしが、平日のこんな時間にどうしたんですか・・・なのに。でも神父さまは「どうもなさらないのに」ちゃんと答えてくださった・・・)
本棚で本を読んでいるときに葬儀の関係の方がいらして、なんとなくお話した。

私が平日の聖堂に用事もなくふらっと来た理由を、私も言わなかったし、シスターも神父さまも、その方も聞かれず、でも私の心を読んだみたいに話の内容が合致して、シスターにはアメやクッキーを頂いて(笑)帰宅した。

無事に帰宅できたのでカウンセラーに電話し、2時間も寝てしまった。

月曜には整形外科に、車椅子の件だけ義肢と話し合う。
ベストとは言えないし、これから痛くても、自分が受診をやめたのだから「痛い」といえず無理するかもしれない。でも、抱えきれないものは置いて、今手におえる脳外科と泌尿器科、導尿、あまり座らないこと、足首のウエイトだけはまじめにサボらず続けていこうと思う。