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"Life is either a daring adventure or nothing at all"

退院しました

2007年04月30日 17時10分10秒 | 二分脊椎
54日間の入院を終え、退院しました お天気も良く、久しぶりの外

3月に入院して一回目の手術前のレントゲンで、泌尿器科の先生はシャントのことをすっかり忘れていてシャントを発見二回手術をしなければならないことを説明された

(私の理解なので正確には分からないけれど)シャントは脳から発生する「ずい液」が、普通は体に吸収されて、要らないものは排出されるのだけど、私のような二分脊椎の人は「水頭症」という、そのずい液が脳にたまってしまう合併症を持っていることが多く、私も二歳の頃に脳からおなかへシャントチューブと呼ばれるチューブを入れて、おなかに流すようにしていた。

21歳目前でそのチューブがつまって(NZにいたために、英語が話せなくなったと思って、しばらくほってたら日本語まで呂律が回らなくなって病院に行った帰りに乗ったタクシーの運転手さんの娘が二分脊椎だったため、たまたま異常に気づいて緊急に運んでくれて、緊急手術をした)交換したのだけど、そのときは身長が伸びていたので?脳から首、首からおなかと首のところでコネクションがあるタイプになっていた。

今回は膀胱を拡大するのに小腸を使うので、そのおなかの傷が感染をもし起こすと、脳までチューブを伝って感染すると困るので、膀胱拡大術のときに、いったんおなかのほうのチューブを体の外に出して、廃液バッグをつけて、おなかが落ち着くまで一ヶ月、毎日バッグを取り替えた。
泌尿器科病棟に入院していたのは一ヶ月半くらい、毎日毎日、脳外科の先生がバッグ交換に来てくださった同世代の女医さんで、脳外科病棟に移ってからも安心して任せることが出来た。

そして脳外科病棟に移り、その外に出ているチューブをおなかから抜いて、首のコネクションのところくらいまで新しくしてもらった。

シャントがなければ1ヶ月くらいで退院できたのだけど、これで54日間の入院になり、二つの病棟とたくさんの看護師、たくさんの人々、ドクターからたくさん学んだ日々だった。

年末のエントリーの時は毎時間導尿し、夜中も三時間おきに導尿でノイローゼ気味になっていたけれど、今は毎食後と寝る前の一日四回の導尿と、残尿がほとんどなくなったので、自排尿で、トイレとトイレの間を3時間以上空けず、たくさん飲んだらもちろん行く、という随分楽なかたちになった。夜中も一回自排尿に起きるだけ。

膀胱拡大に小腸を使ったので、膀胱にひっつけても腸自身は自分(?)のことを腸だと思っているので、排尿すると消化するための粘液が出る。つまったら困るので週三回、生理食塩水、カテーテル、シリンジで洗浄する。
最初は素人は注射器というかシリンジを持つことがないので(素人でシリンジもってたら、糖尿病とかならまだしも、そうでなければ怪しい人だ・・・)水を入れるには入れられるけれど、入れた水を引けなくて、親指が吊ったりして大変だったけれど、ある看護師さんの指摘で「持ち方を変えればいい」ということに気づき、成功

試行錯誤で滅菌カップがいるとかいらないとか、方法が分からなくて途方にくれたこともあったけど、結局すべてうまくいき晴れて退院

いろんな出会いがあり、いろんな入院患者がいて、身寄りのないおばあちゃんや、言葉の出ない人、交通事故で記憶喪失になったひとを見て得たものもあったし、医療者と患者の隔たりがあって、その疑問を幸いにも言葉にして表すことが私には出来たので、問題提起をしてみたり、なかなか私自身の成長にもなった。

ほぼ2ヶ月間の入院生活、最初の膀胱拡大術が終わったときは、ほっとして号泣したけれど、ほぼ毎日次から次へとお見舞いにたくさんのひとが来てくださって、つらいこともあったけど、もう一回与えられた命、手術をして健康になることを決めた私に、こんなにも多くの人が遠くから何回も来てくれて、改めて生きるために最初は苦しんで決断したけど、この手術をしてよかったなと思う。

細々したことはまた、ぼちぼちUpしていこうかなと思っているけれど、


ただいま帰りました は元気です
ドクター、看護師さん、支えてくださった方々、友達、お見舞いに一時間もかけてきてくださった方々、みんなみんなありがとう

はまた、今年のいつか「じょくそう」の手術を受けることになりました。
でも今回、8時間の手術と、もう一個小さな手術を乗り越えられたのだから大丈夫だと希望を持っています