今日、教会で、ブックマークに入れさせていただいている矢車草さんに、このバッグをプレゼント
していただいた
装具をつけて歩いて外出するときに、下の4点セットがの必須アイテム。
右手に杖をついて、肩掛けかばんをかけ、左手でじょくそう用のクッションとシープスキンを掴み、バランスを何とかとりながら歩く。
これに聖歌集やプリント、紙袋などが増えると、クッションは滑って落とすし、拾い上げるに装具は曲がらないし、なにかといらいらしてやっかいだった
それを見て矢車草さんが、クッションを入れるバッグがあればいいな、と考えて、なるべく軽く、大きくて、肩からかけられる持ち手の長いバッグを見つけてくださった。このもち手は伸びたり縮んだりする。
頂いたとき、頂いたことももちろん嬉しかったけれど、矢車草さんがのことを思っていろいろ考え、工夫してくださったことに胸がいっぱいになって、嬉しくて嬉しくて思わず抱きついて泣いてしまった
このブログも読んで下さっていて、教会でもさりげなく見守ってくださったり、ちょっとした一言に元気付けられたり。の二分脊椎への想いや、二分脊椎大変なことも理解してくださっていて、でも二分脊椎だからこのバッグを探してきてくださったというより、
が持ちにくそうにクッションを抱えていて、心を配ってくださって。
は先週の二分脊椎の話し合いが思うように行かなかったことや、二分脊椎についてうまくいっていない家族のことや、「手伝って」と言い出しにくい私の性格、もういろんなたくさんの思いがパッケージを開けたときにあふれ出した。
実は話し合いの後、は家族と二分脊椎にうまく向き合えなかったこと、家族以外の周りのたくさんの方からのサポートをうけていることについて意見が食い違い、とても苦しい思いをしたばかりだった。
確かに理想論ではそうあればいいのだけれど、はやっと周りからのサポートを素直に「ありがとう」と受け入れられるようになって、やっとやっと二分脊椎も肯定的に受け入れられるようになってまだ数年。矢車草さんは
さんのように「助けて(とか拾ってとか・・・)って言うんだよ」といってくださる方。
の性格を知ってくださっているので、そのへんの人が同じことを言うのとは意味が違う。そして、その言葉の逆を
は30年以上やってきたし、ニュアンスはちょっと違うけれど、話し合いでは矢車草さんからのような周りからのサポートに対してあまり肯定的な雰囲気ではなかったので、考えさせられるものがあった。だからこそ、そのプレゼントの後ろにある優しさに泣いた。
世界には愛がたくさんあるのに、ずっと闘っていたら見過ごすこともある。闘うことも、一人で何でもできることも必要だけど、どっかが不完全だからっていっても、人間、完全な人はいないんだし、も助けることができ、助けられ、回っていくものだと思えるようになった。それもわかってくださっている方だったから、上から下に(言葉悪いけど)やってあげるとかいうプレゼントでないことももちろんわかっていて、うれしかった。
その場で開けて見て、早速教会で使い始めた。トイレに行くときもかけられるし、手が自由になるし、歩くのもずいぶん楽。
そもそもこのクッションは車椅子用のクッションなので、私のように装具で歩いて杖をついて歩いている人は持ち運びが大変実際、以前に海外旅行に行ったとき、機内に入る際と降りる際に、係りの方に持っていただいているうちにどこかに行ってしまったことがあり、それ以降、クアラルンプール経由でペナンに行こうが、香港経由で行こうが、国内でスポーツバッグを抱えてようが、いつも左手でクッションをつかんでいた。
それがこのバッグのおかげでこうなったもし、私のように歩けるけれど、じょくそうがあって、クッションを持ち歩いている人は、これはすばらしい。矢車草さんの愛に感謝
に撮ってもらったら余計なものまで写っていて格好悪いけれどごめんなさい。