Penguin Home

"Life is either a daring adventure or nothing at all"

クッションのバッグ。

2008年04月27日 23時23分16秒 | 幸せ

今日、教会で、ブックマークに入れさせていただいている矢車草さんに、このバッグをプレゼントしていただいた

装具をつけて歩いて外出するときに、下の4点セットがの必須アイテム。

右手に杖をついて、肩掛けかばんをかけ、左手でじょくそう用のクッションとシープスキンを掴み、バランスを何とかとりながら歩く。

これに聖歌集やプリント、紙袋などが増えると、クッションは滑って落とすし、拾い上げるに装具は曲がらないし、なにかといらいらしてやっかいだった

それを見て矢車草さんが、クッションを入れるバッグがあればいいな、と考えて、なるべく軽く、大きくて、肩からかけられる持ち手の長いバッグを見つけてくださった。このもち手は伸びたり縮んだりする。

頂いたとき、頂いたことももちろん嬉しかったけれど、矢車草さんがのことを思っていろいろ考え、工夫してくださったことに胸がいっぱいになって、嬉しくて嬉しくて思わず抱きついて泣いてしまった

このブログも読んで下さっていて、教会でもさりげなく見守ってくださったり、ちょっとした一言に元気付けられたり。の二分脊椎への想いや、二分脊椎大変なことも理解してくださっていて、でも二分脊椎だからこのバッグを探してきてくださったというより、が持ちにくそうにクッションを抱えていて、心を配ってくださって。

は先週の二分脊椎の話し合いが思うように行かなかったことや、二分脊椎についてうまくいっていない家族のことや、「手伝って」と言い出しにくい私の性格、もういろんなたくさんの思いがパッケージを開けたときにあふれ出した。

実は話し合いの後、は家族と二分脊椎にうまく向き合えなかったこと、家族以外の周りのたくさんの方からのサポートをうけていることについて意見が食い違い、とても苦しい思いをしたばかりだった。

確かに理想論ではそうあればいいのだけれど、はやっと周りからのサポートを素直に「ありがとう」と受け入れられるようになって、やっとやっと二分脊椎も肯定的に受け入れられるようになってまだ数年。矢車草さんはさんのように「助けて(とか拾ってとか・・・)って言うんだよ」といってくださる方。の性格を知ってくださっているので、そのへんの人が同じことを言うのとは意味が違う。そして、その言葉の逆をは30年以上やってきたし、ニュアンスはちょっと違うけれど、話し合いでは矢車草さんからのような周りからのサポートに対してあまり肯定的な雰囲気ではなかったので、考えさせられるものがあった。だからこそ、そのプレゼントの後ろにある優しさに泣いた。

世界には愛がたくさんあるのに、ずっと闘っていたら見過ごすこともある。闘うことも、一人で何でもできることも必要だけど、どっかが不完全だからっていっても、人間、完全な人はいないんだし、も助けることができ、助けられ、回っていくものだと思えるようになった。それもわかってくださっている方だったから、上から下に(言葉悪いけど)やってあげるとかいうプレゼントでないことももちろんわかっていて、うれしかった。

その場で開けて見て、早速教会で使い始めた。トイレに行くときもかけられるし、手が自由になるし、歩くのもずいぶん楽。

そもそもこのクッションは車椅子用のクッションなので、私のように装具で歩いて杖をついて歩いている人は持ち運びが大変実際、以前に海外旅行に行ったとき、機内に入る際と降りる際に、係りの方に持っていただいているうちにどこかに行ってしまったことがあり、それ以降、クアラルンプール経由でペナンに行こうが、香港経由で行こうが、国内でスポーツバッグを抱えてようが、いつも左手でクッションをつかんでいた。

それがこのバッグのおかげでこうなったもし、私のように歩けるけれど、じょくそうがあって、クッションを持ち歩いている人は、これはすばらしい。矢車草さんの愛に感謝

に撮ってもらったら余計なものまで写っていて格好悪いけれどごめんなさい。

 

 

 


報道のあり方

2008年04月24日 10時18分46秒 | Sociology的
には二分脊椎のほかに、大人になってから数年前にわかった「障害」がある。
障害といっても、自身が診断前にえらい困っていた、というだけで、周りはきっと「へんな子・・・」ですんでいたようなものなのだけど。
個性として見られてしまう程度のものなので、家族もいまだに認めてないし、ごく一部の人にだけカミングアウトした。

・暗黙の了解がわかりにくい
・時間の連続性がわかりにくい(いちいちリセットするので、いちいち驚くとか、毎週のわかりきった待ち合わせがわからないとか)
・音や光に過剰に反応する
・暑い、寒い、空腹などがぎりぎりまでわからない(おなかすきすぎて倒れそうになり、やっとおなかがすいているとわかって、食べたら食べたで食べ過ぎて満腹で動けない、とか)

だから待ち合わせや、暗黙の了解がわかりづらいときは自身が困り、小さいころは忘れ物の王様だったけれど、これも困るのは私。
(時間割が理解できなかったので、教科書やノートをあてずっぽで持って行っていた・・・中学になって母校ではオリエンテーションがあり、各教科の先生が教材を見せて説明してくださり教室の場所まで説明があったので、中学1年で初めて何曜日の何時間目に何の科目がどの教室であって、この先生が毎週おしえてくださるから、時間割表のこの曜日に書いてあるんだと理解した。そこから成績はのびた・・・)
困っても「私はなにかおかしい、人と違う」ということはわかっていたので、誰とも確認が取れなかった。だからオリエンテーションは目からうろこだった!

しかしたとえば去年、マレーシアのちゃんちに行ったときに、シャワーを浴びたら浴室の床が濡れたときなど、いままでだったらパニックになり(パニックになっている事実も隠すので、無表情に見える)なんとか乾かそうとしたりしたのだけど、ちゃんには告白していたので
「床が濡れた・・・」と正直に言ったら
「そりゃシャワーを浴びたら床は濡れる」と言われて
「な~んだ」と思った。でも、そうやって確認できるようになって、失敗もするけれど、自分自身ずいぶん対処できるようになってきた。

届かないシャンプーやリンスを床にはじめに置いてしまうことや、教会にさんが行かれるかわからず不安なまま待つより、電話をかけて確認できるようになった。
「これからはわかりきっているときは電話しないからね」と言われるまでの1年間は、本当にその曜日にミサがあるのかわからずどきどきしながら待っていたので、「毎週金曜日、土曜日、日曜日教会ってわかりきっていることだったんだ!」と口に出して思わず言ったら
「あなた1年間もそんな不安なまま毎週私を待ってたの」とびっくりされてしまった。

のまわりの人々がきっとあきれるようなことを私はきいているだろうし、面倒だと思う。
でもその確認につきあってくれて感謝しているし、その問題ゆえのとんでもない、でも害のない勘違いは一緒に笑ってくれるので二分脊椎をうけいれるよりも、問題なくこの障害を受け入れられた。(コーヒーは黒いから男性の飲み物、紅茶は赤いから女性の飲み物、みたいな思い込み)

しかし診断が下ったときは「犯罪と結び付けられることが多いから、なるべく言わないで済む人には黙っておいたほうがいい」と言われたのでできるだけ黙っている。

今回ここで書こうかなと思ったのは、私を直接知ってくださる方でこれをよんで下さっている方は、このことを知っても特に私を犯罪と結び付けないだろうとわかっていたし、やっぱり報道のあり方に疑問をもったから。

大学の社会学で散々メディアについて勉強して、メディアがどう一般大衆の価値観に影響するか学んだ。だからこそ怖いと思う。

<岡山突き落とし>少年、アスペルガー症候群と診断 
↑こういう見出しがあって、記事を読まないで見出しだけ読んだ人がいたら、絶対この事件はアスペルガーだからだったんだと思うと思う。
その記事を開いたら
「アスペルガー症候群は広汎性発達障害の一種で、コミュニケーションや共感性など対人面や社会性に困難があり、物事に固執する傾向がある。ただ、集中力や記憶力で優れた能力を発揮する人もおり、犯罪傾向とは無関係とされる。」
とあるのだけど、最後の行に犯罪と無関係と書いても、
「じゃあ最初から報道のときにそういう風な書き方はしないでほしい」と思う。

アスピィが犯罪を起こすときは、きっと普通の人や二分脊椎の人が犯罪を起こすのと可能性は一緒くらいじゃないかな・・・
もちろん生育歴がそれゆえゆがんでしまったために、犯罪に走ったということはありうるけれども、それはアスペルガーが原因ではなく二次障害だとおもう。

幸いは理解してくれる人が周りにいて仲良くアスペルガーと暮らしているけれども、世の中には本当に私の困り感より切実な困り方をしている人がたくさんいるのだから。




いちねんせい

2008年04月23日 18時14分24秒 | こども
は一年生。

今まで許可されていなかった家の電話の使用も認められ、なにやらクラスのお友達と待ち合わせなどやりとりをしている。

そんな、昨日、友達と家の前で15:30に待ち合わせ。
時計は~時ジャストと、~時半だけ読めるが、そのほかは「長い針が・・・」のレベル。もちろん、5分がどのくらいの時間の長さかはわからない。

「約束さ~。3時半だけど早く遊べたら早く遊ぼう。じゃあ・・・長い針が5と6の間で待ち合わせね!」
3分くらいしか早くなってない!!

・・・・・・・・・・・・・

そして今日。

「今日、○○ちゃんにまた!会った」
「へ~。また、って、どこで?」
「1年1組で」
「ちょっと待って。その子、1年1組の子じゃないの?」
「そうだよ」
「・・・また会ったんじゃなくてさ・・・と一緒で、その子も毎日学校に来てるからさ、会ったというか、会って当たり前なんだよ。」
「そうなんだ~。毎日くるのか~」



・・・・・・・・・・・・・・

初めての宿題。
線で結んで、色をぬるプリント。

終わったというので見てみたら、色を塗っていないところが・・・
「ここどうしたの?色塗ってないけど」
「いいねん。、もう終わってん」

「いやいや、宿題やから、が終わったとか決めるんじゃなくてさ、塗ってきてって言われたら、全部塗るんだよ」
「なんでやのん」



・・・・・・・・・・・・・・・

幼稚園まで自由人な部分があったからなぁ・・・
だいじょうぶか・・・


カード

2008年04月22日 12時39分31秒 | Weblog
日本って、本当にグリーティングカードが高い・・・

お誕生日のカードは一人ずつ日にちが違うし、最近はメールがあるのでめったに買わないけれど、まず海外に年賀状ほど送るクリスマスカード
NZの知り合いや「家族」の中にはパソコンがない人も多く・・・痛い出費・

そしてこの時期はホストマザー、Kiwiマザー、Kiwiブラザーの里親先のママ、そのブラザーの実兄のお嫁さんの養母(・・・とにかくお世話になった)「母の日」に含まれてしまう「おばあちゃん」へのカード・・・
(おじいちゃん、は父の日に含まれる)
自分の父とか母という関係というより、その人が父であったり、母であったりするというか・・・Keep in touchのいいチャンスというか。

でもカードの種類も豊富ではないし。

そして日本の母。
毎年悩むなー・・・ 
「なんでもいい」とか言われたらホントに悩む。
結局毎年同じケーキ(スポンジケーキに生クリームといういたって超シンプルなのがお好み)と毎年芸がない花束(かアレンジメント)になるのだけど。(誕生日も同じ感じ
生みの親でこれだけわからないのだから、義理のおかあさんとかってますますわからないんじゃないかしら。経験がないのでわからないけれど。

やっぱり今年もお決まりの花束になりそう花が好きだし。

さんは・・・なんでも喜んでくださるので、こちらも考え中・・・











お話

2008年04月20日 22時02分35秒 | 二分脊椎
二分脊椎協会の方々と会ってきた。

昨日はお掃除に行ったので気がまぎれたのだけど、今朝はやっぱり緊張してきて

午前中は教会で何人かの方とお話して、頭ではわかってはいるけれど
「会ってみてだめならそれはしかたない」と再確認。
もういちど自分に言い聞かせて、いったん帰宅したあとさんと出発。

さんはもう、の「母」。
日本でいうところの「代母」というより、海外で言うところのGodmother、いやmother
相手は数人、私は一人だと心細くて同伴をお願いしたのだけど、結果的に親子連れが二組いたので、本当にお願いしてよかった。

の生育歴はうすうす感じていたけれど、やっぱり特殊だった。
来てくださった方の中には、
二分脊椎のくらいの年齢の子供のおかあさんと、
世代の二分脊椎女性と
そのおかあさんもいた。

が今までそういう会に入れなかった理由の一つに、親子連れを見るのがつらかったというのがあった。
もちろんの両親も、当時できる範囲でベストを尽くしてくれたことはわかっているし、感謝もしている。
自立させるために、厳しかったんだというのも理屈では理解できる。

でも、それはそれ・・・
二分脊椎という病気をなかったことにしてきたことについては、とても複雑な感情があった。
たくさんけんかもした。でもまだ理解しあえていない。
時がきたら和解できるかもしれないけれど、今はやっと横においておく、手放すことができたのであせっていない。
でもそれはさんが、ドラマの中のお母さんみたいにいろいろしてくれたから・・・
(実は日本の「お母さん」という人も、ドラマじゃなくても困ったときに「助けて」と言えたり、健康や将来のことを話し合えたり、また台所で一緒に何かするような些細なことを一緒にできる、とか、なにかやらかしても気を遣ったりおびえなくてすむ、安心できると知ったのだけど、まあ私には起こらないと思ってうらやましがっていたので、いまだにドラマみたいだ)

その私世代の女性のおかあさんに、どのようにが二分脊椎と育ってきたか、親子関係や家庭の状況などをいろいろ質問された。
は、答えていくうちに今はさんが一緒に二分脊椎を抱えてくれているけれども、つらかったことが思い出されて泣きたくなってしまった。
「いろいろたいへんだったんですね。つらかったね。」
と言われて、つらかったのはのせいだけじゃなかったんだ、と思った。

そしてお母さんの立場の方たちが、自分の二分脊椎の子供を育てるにあたっての思いを話してくださった。
話し合わないので、両親がどんな思いで私を厳しく突き放して育てたのかはわからない。
私はそのお母さん方の子供たちのように育たなかったけれど、逆にそのおかげで私立の学校に行く決断を自分でできたし、留学もできた。
そしてそのおかげで、微々たるものだが、アルバイト程度のお金はレッスンで稼げている。
でも今まではやっぱりつらかった。
どうして?という思いが私を苦しめた。

話し合いの間、本当に昔を思い出してつらかった。
さんは、私がつらいのがわかって
ちゃん大丈夫?しんどくない?)
「大丈夫」(うそ)
「私はしんどい」 笑

2時間近く話して、私も最終的に落ち着いて話せた。
緊張もだいぶとけた。
最初のは「話がかみあってない」感はずいぶんなくなった。

やっぱり、私の生育歴が特殊なのであれば、逆に私は入会しようと思った。
私の経験は、もしかしたら私だけの経験じゃないかもしれない。
もしかしたら、子供の障害がうまく受け入れられないまま「普通に、障害者じゃないみたいに」育てようとして、私と両親みたいに家族でうまくいっていない人がほかにいるかもしれない・・・
誰が悪いとか、誰を責めるとかじゃなくて、ただ事実としてつらかった私と、うまくいかなくなってしまった私たちがいる。
私自身は、時が来れば理解しあえるときがくるという希望は捨てていないし、それについて祈り続ける。
でも、現実体験として私はいろいろ経験してしまったから、それが私自身にも、ほかの人にも生かされるかもしれないと思った。
家族の問題以外に、今回の装具のことや、海外に頻繁に行く私は、もしかしたら私が当たり前と思っている知識も、ほかの障害者にはない情報かもしれないし。

とにかく話し合いは終わった。
これでひとつまた階段を上った。

帰りの車の中では、またの肩でワンワン泣いてしまったけれど。



近況

2008年04月19日 19時36分59秒 | 二分脊椎
今週、すべてのレッスンのグループの初レッスンが、1ラウンドした。
今年は水曜日以外は毎夕方、レッスン。

月曜日は4歳児と5歳児の5人組。全員ビギナー。
恥ずかしがってしまって、おとなしい初レッスンとなった。もABC(というか1から)からはじめるビギナーは3年ぶりで、どんな年齢の子供がどの程度、英語以前に物事を理解しているか忘れてしまい、調子狂ってしまった

火曜日は小学校2年生グループ。
木曜日はと同じ学年のグループ。
新しいメンバーもいたけれど、いい意味で張り合っていて、あっという間に終わった1時間。
ひとつ困ったのが、動物の家族のカードを配ってそろえていくゲームで、MotherとFatherはすんなり理解してもらえたのだけど、BrotherとSisterが難しかった。
ほとんどの子が一人っ子。
のママのSisterはよ」と言うと「おばさんのこと?」・・・そうだけど

金曜日は同じメンバーで、ちょっと新学期でなれていないのか、ここだけは大変だったけど、無事終了。

その間にさんと、二泊でさんの湖のへ・・・
起こしにくるもなく二人っきりなので、起きたら九時
も降ったし、ぼーっとしたり、お話したり、庭をいじったり、スーパーに行ったり・・・
最近、ちょっと不安定気味だった気持ちも、いろいろさんと話していく中で落ち着くべきところに落ち着いて、レッスンもフル充電でできた。

今日は兵庫県の修道院の森にさんにさそって頂いてお掃除へ。
森の中の、ルルドという池があるお祈りスポットの落ち葉拾いをした。
ちょっと土手、がけになっていて、灯篭がたっているところに落ち葉がたまっていたので、は杖を放置して灯篭の中にもぐりこんで掃除・・・
は150cmないチビなので、するするっと下におり、灯篭と土手の間にすべりこんだ。
さんちょっと心配そう・・・
ちゃん、ちょっとあぶないんじゃない?大丈夫?」
「平気
後で「どっかで安心してたけど、あんなに身軽だとは・・・再発見」
私は久しぶりに土手を登ったり、木に登って楽しかった。

さすがに帰りの車の後部座席で1時間も爆睡してしまい、おかげで家に着いたときは元気になってしまった
明日も教会で朝早いのに、今夜ねむれるかな・・・

そして明日はいよいよ二分脊椎協会の人とあう日。
車椅子の人が3人と、お子様、、そしてさん。

いろいろ悩んだけれど、明日とりあえず会ってみようと思う。





どきっとする・・・

2008年04月10日 08時41分42秒 | Sociology的
この春は、ママとの卒業式・卒園式、の入学式があった。
は座れないし、親でもないので参列はしなかったのだけど、聞いた話でびっくり。

ママも、と同じ市の公立の小学校を出て、はカトリックの女子校へ中学・高校とお世話になった。
ママは公立中学校に行った。

しかし、私たち姉妹は君が代を習ったことがないので歌えない。

が中学に入ったときに、たった一度だけ授業で君が代を歌う機会があったのだけど、当時はクラスでだけ歌えなかった。
当時はまだ正式に君が代は国歌ではなかったし、(今は結局国歌になったんだろうか)母校の併設の小学校では、「音楽の一環」として習ったことがあったらしい。

オリンピックでも曲は流れても、なんという楽器かわからないけれど、パオンパオンいうラッパ系の音がする楽器で流れてくるのを聞くだけで歌詞つきでないので、「きみがーよーはー」
までしか歌えない。やっぱり妹も同じだった。

ところがこの春、妹の卒業式では壇上に日の丸が飾ってあって、起立して君が代を歌ったらしく、母は初めての経験でびっくり。
妹は歌えないのが自分と留学生だけだったので、「もうひとつの日本の歌」の「蛍の光」を一生懸命歌った、と。
・・・違います。日本の歌じゃありません。
しかも留学生に「これは日本の歌で、下校のときとかスーパーの閉店のときに流れる」と説明したらしい
の時代、下校時は「遠き山に日が落ちて」だったし。
妹の学校は私立で、留学生もいるのに、日の丸と君が代なんだはびっくり

の入学式。
やっぱり君が代を歌ったらしい。問題もなく起立して歌っていたことに、妹はびっくり。

そして昨日。新一年生が我が家で遊んでいて、迎えに来たママたちと君が代の話になった。
が「テレビ以外で、生で(というのもなんだけど)日の丸を間近で見たことがないし、君が代も習ったことがないから出だししか歌えない。しかも歌詞も覚えてないし、意味もわからない」と言うとびっくりされた。
ただ社会科の授業で、君が代や日の丸の問題は中学に行ってから習ったから知っている。
「祝日にペケポンして日の丸あげなかった?」
日本の一般家庭って、そんな外国みたいなことやるの?
ベランダから掲げるのは、子供の日の小さなこいのぼりくらい
(うちは女の子ばかりなので、スーパーに売っている、柱の部分にお菓子がはいっているこいのぼりを買ってもらって飾っていた)

それから入学式の話になり、在校生の男の子で片手を反対側の胸と肩の間の位置に置いて歌っていた子がいた、と。
よくアメリカ人がする格好ですね。
それがアメリカ人の真似なのか、それとも日本も「そうやって歌いなさい」と習うのか、非常に気になるところ・・・
日本人が君が代でそれをすると、すごく滑稽に見えるのは私だけだろうか?

NZ留学中、よく「日本の国歌はサクラの歌でしょ?」と聞かれて、さくら~さくら~の歌が君が代より有名なことにびっくりしたと同時に、さくらさくらの方がは好きだなと思った。
NZ人には、国歌はあるようなないようなで(当時)、問題があって私は習ってなくて歌えない。サクラの歌は国民的愛唱歌みたいなもので、NZの「Po Karekare Ana」みたいなものよ、と答えておいた。

ちなみにはラグビー試合を見たり、いろんな場面でNZ国歌を聞いてきたのでマオリ語バージョンも英語バージョンも歌えます。イギリス連邦でGod Save Our Queenもあるようだけど、こちらは歌えません。
NZ国歌だったら、起立して胸に手をあてなさいといわれても、そこまで抵抗も違和感もないんだけどな~。国民じゃないからかな・・・

http://jp.youtube.com/watch?v=Z2ToGR1Sb98&feature=related

これはマオリ語バージョン。
歌詞はこちら。http://www.yoitabi.com/GodDefendNewZealand.htm

NZの国民的愛唱歌 Po Karekare Anaはこちら。
http://jp.youtube.com/watch?v=URcbg81WXOQ&feature=related