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"Life is either a daring adventure or nothing at all"

工場見学

2006年10月30日 19時50分01秒 | Weblog
の幼稚園のバス停のママたちと子供たち、10人強で、吹田のアサヒビール工場に見学に行きました

マンションから歩いて駅まで行って、バスそれだけでもちょっとした騒ぎ

工場では、想ったより子供たちは見学できた
は、工場のビールを缶やビンにつめて、王冠やプルトップを打つ場所が「(気圧の関係で)人間は入れない」と説明されたのに、目ざとく機械の点検中の男性を発見「あれ人間じゃないの

大人は面白かったし、こどもたちも、動く機械を見たりするのは楽しかったよう

予想外だったのは、工場でエスカレーターがあっての車椅子を載せるのに、ボードが三枚ほど平らになってあがり、速度もゆっくりになったり早くなったり調節できるのだけど、それを子供たちは「ほぉー・・・」と観ていた。

最後におつまみとビールをいただいて(子供はジュース)帰宅。
楽しい一日だった

Spiritual care

2006年10月29日 14時40分17秒 | カトリック
今日のミサのあと、講師の神父様がうちの教会に来て、主に終末の患者さんへのケア(as in physically, emotionally, psychologically, spiritually, socially and totally)の講演があって聞いた

病気になったとき、お医者さんと看護婦さんは身体的に、カウンセラーや精神科医、臨床心理士は精神的に、ソーシャルワーカーは社会的に。ではSpiritually。。。

NZの大学には、チャプレンという宗教的な人がいたけれど、言ってみれば私たちみんなSpiritualなケアは、宗教に関係なく出来る。いくら専門の聖職者でも、たとえ親子でも相性というものがあって相性があわなければむずかしい。。。ホスピスや病院の中の患者は特別な宗教を持つ人はほとんどいないわけだから、こちらの価値観を押し付けることなくケアするには、とにかく相手のペースに任せる。。。自分で答えが出せるように、心をこめて心を開いて聞く。むずかしいよ

私が噴きだしたのは、その神父様が、「たとえばあと何ヶ月の命、と宣告されたら怒りの感情が出てあたりまえ。たとえ(何かの)信者でも、神をうらんだりいかったりするのは当然。たいていの信者は、それをいさめたりするけど、神は人間の弁護はいりません、恨まれてもあちらはノイローゼになりません。」

結局、喜怒哀楽をすべて出せるようにして、本人が納得できるというのがSpiritual Careなのかな、と思ったし、終末でなくても、死に直面している人(精神的な病とか)にもいえることだなと思った。私も体験があることだけど、もうだめだ、と思ったときに「そんなこと言わずに、○○も★★もあるじゃないの」とか、たとえ善意で言われても、そのひとはもう、そんなことは考えていられないくらい、落ちてるんだから、聞くというのがいかに難しいのか。。。と考えさせられた。

よく病気や困難に面したとき、泣かない、我慢する、耐えるとか言う話しを聞いて、気持ちは本当は、泣きたくて苦しいのに我慢したりって多かったから、今日のお話は、「そうか、やっぱり泣いて、とか感情をだせるようにしてあげるのがケアなんだ」と思った。

実際そこまで聞いて上げられるかどうかは、相性もあるし難しいんだけれど

松本信愛神父さまのSpiritual Careのページ


http://www2u.biglobe.ne.jp/~shinai/pastoral.htm





話し方(英語)

2006年10月25日 11時05分27秒 | Weblog
英語はYouを誰にでも使うからか、丁寧な敬語がないと思われがち・・・でも、いくらでも丁寧な言い方はある。

~していただけませんか?~してもいいですか?だけでも、Would you mind.../I wonder if .../Could I...May I ...とバリエーションはいっぱい。
だいたい長々と文章をつなげたら丁寧になりがちだけど、Snobに聞こえたり、慇懃無礼に聞こえたり、おばあちゃんに聞こえるから、聞かれるとそのひとの日本語の話し方の雰囲気と意図、年齢や状況を考えて伝えないといけないので、むずかしいなーと思った。

英語が話せても、話し方はかなりむずかしく、英語でも皮肉やトーンだけで意味合いが変わっちゃうものがあったり、言い回しやらなんやらで学校で習わないことが多く、いざ聞かれたら、文法より単語の意味より、より自然なはなしかた、その人らしい話し方というのを伝えるのは至難の技だなと感じた

文法はあっていても、変に聞こえるときもあるし

かつてNZでお天気の日に掛け布団を干すのに、くもの巣みたいな洗濯物干し(・・・)を占領していいか聞きたくて、

 Can I put my duvet on the line under the sun? (掛け布団を物干しにかけて日にあてていいですか、みたいな)

と言ったら大笑いされて、五歳児みたい


どうも『お布団、おひさまでぽかぽかにしたいけどいい?』みたいに聞こえたらしい

そういう微妙な感覚ってむずかしいんだよね~~~




リニューアル

2006年10月23日 21時11分07秒 | Weblog
母校(http://www.assumption.ed.jp/)の恩師からお手紙が来ていて、校舎がリニューアル、12月には完成し、エレベーターもつくので遊びにいらっしゃい、とのうれしいお手紙

入学したときは階段で、は歩行も出来るから特に何も希望しなかったのだけど(階段とわかって受験しているし)、3月の受験から4月の入学までの短時間に、校舎の全階段(講堂の舞台に上がるたった5段くらいの階段にも)手すりを付けてくださって、洋式トイレにも手すり。
一度校門の溝に突っかかって転んだら、すぐにコンクリートで一部埋めてくださったり、在学中には車椅子トイレがついたりした学校で、それが今回、校舎にエレベーターますますうれしい

体力がなく、入院通院が多かった学生時代、保健室の常連だったけど、高校の単位をとるために、さまざまな工夫をしてくださって、は卒業できた。きっとはこの学校じゃなかったら中卒かも・・・
かばんが(皮の学生かばん)重くてリュックで通い、体育は車椅子で参加したり、レポート。遠足などは車椅子を借りて参加。
体育祭というものはなくて、球技会と競技会があったけど、オリンピックみたいに得意な子が得意な科目に参加するような形で、全員参加は応援合戦と、玉いれとかそういうもの。疎外感もなくいい学生生活だった

それなりに人間関係や学生並みの問題はあったけれど、部活も学校生活も委員会も楽しく送れた留学も反対もされなかったし、時々就学問題など見聞きすると、こんな学校がほかの子供たちにも見つかればいいなと思う

Hug

2006年10月22日 20時11分47秒 | Weblog
の寝る前、Hugをするのが習慣。
NZで、Hugの習慣が付いて、さすがに日本では、なんか気恥ずかしくて普段はしないけど、海外経験のある友達とは結構するほうかも。

NZでも行くとHugをしたら帰ってきたな~と思う大人でもする。友達同士の男女でもする。年齢が違ってもする。

先ほどの就寝前、はHugの儀式をした。
Night-night
Night-night
Sleep tight

Don't let the bed's bugs bite!(ベッドの虫にかまれないようにね)

それをが眺めてるので
『な~に~HUgしてほしいの

もちろん冗談半分、本気じゃなかった

ところが『うん』



もびっくり

なんか妙なきぶんだな~~~やっぱりも日本人だ

外来

2006年10月19日 20時22分50秒 | 二分脊椎
今日は脳神経外科の外来日
は病院嫌いというより、病院不信

脳神経外科も、高校時代の同級生のお父様のつながりで紹介していただいて、やっと今年、行き始めた。なんとなく行かなきゃやばいな・・・と思って。

NZでは女医さんがGPといって、なんでもかんでもみてくれてたから、総合病院に行くこともあまりなく、病院と白衣がだめなには、日本では行くだけでも大騒ぎ

小さい頃から病院は一人で行かなければならなかったので、余計足が遠のいた
そこまでして二分脊椎とつきあって生きていこうとは、まったく思ってなかったし。

今回めぐり合った脳外科医は女医さんで(女医で脳外科医ってめずらしいような・・・)、しかも、母校の中高の入学当時の校長先生のシスターとお知り合いという(信仰が同じだった)、縁があってとてもよくしていただいた。

おまけとして、それが縁で、はそのシスターの校長先生とまたお会いできた。

そこの病院では二分脊椎外来というのがあって、ほかの科も(泌尿器だけど)みてくれるので、今日はその予約に行った。

主治医と、専門ナースと、ケースワーカーと私で、のサポート体制を築く打ち合わせ。
の不安も全部きいてくれて、来月、診察で十分説明を受けてから検査に臨むことになった

最後に泌尿器科に行ったのは16年前で、そのときに本当にいろいろあったのだけど、その不安を一掃してくれ、検査にはナースもきてくれることになった(感謝

その上、Sydneyに脳神経外科の知り合いがいるので、紹介状まで書いていただけるようになった。

今日、無事に病院に行けて、「生きよう」とおもって病院に行ったとわかってくれた人々は、とてもよろこんでくれた

たかだか病院とおもわれるかもしれないけれど、16年ぶりに挑戦する二分脊椎外来は、本当に二分脊椎を私の一部として、否定せず受け入れ、一緒に生きていこうとしはじめた私には、大きな大きな一歩だった。

ドクターに『表情が明るくなったね。前向きに生きようとし始めた(昨日の誕生日をうけ)1歳やね』と言ってもらった

実際に検査を受ける段になれば、また不安になったりするのだろうけど、今日は昨日に引き続き、世界はよい人でいっぱいだなぁと感謝した一日だった





お誕生日

2006年10月19日 09時08分55秒 | Weblog
朝からにもにもメールが来て、誕生日を知らないはずの人からもおめでとうメールが来て

20歳の誕生日、初めてNZで迎えて、21歳のときは水頭症で死にかけ、緊急手術で入院、Christchurch Public Hospitalで迎えた。23歳の時は酔っ払ってローストチキンを落としてその油に滑って脳震盪&救急へ2年前は久々のNZでたくさんの旧知の友達、家族と祝った

ほかにもお誕生日はあったけど、このお誕生日は忘れられない

今年はいろいろなことが起きて、自分自身や周りのとらえ方もかわって、病院通いも、薬も飲むことからも解放されて、純粋に『生き延びたなぁ生きてるなぁ』お誕生日を迎えられてうれしいなぁ、と一番いい状態で30になった。

私に恵まれた人々と、自分自身の可能性に気づかされ、大事にしようって思った、素敵な素敵なお誕生日だった

大切なみんなありがとう

楽しむぞぉ~~~~

三十路

2006年10月17日 21時01分11秒 | Weblog
とうとう30周りの人は結婚・出産

は・・・Single歴5年まあ、現実問題の育児、レッスン、カウンセリング、教会の日々は男っ気がない

と言ってもを産んだわけではないので、単に育てただけ
NZのドクターには障害のため、産む力が無いからは帝王切開だと聞いたけど、他人事に聞いてた

NZの大学で、散々社会学やジェンダー論をやって、障害があっても恋愛結婚うんぬんとやったけど、『さすがNZ』とそれも他人事に聞いていた
ともだちと(健常がほとんど。二分脊椎という私の障害を持つ友人は、NZに一人しかいない。しかも男の子。女の子二人の友人の一人はキアリ奇形というもので亡くなり、、もう一人もなにか二分脊椎の関係で亡くなった)彼氏彼女の話をしても、は思えば知識を提供していただけで、自分に関係があるとは思っていなかった。

女性は女性らしく、男性は男性らしくというのが基盤にある社会の中で、障害を持つというのはジェンダーが無いように、少なくともも、の家族もとらえていたし、小さな頃から『は結婚できないから、勉強しなさい』と育ったのもあったのかな。
結局、年金とレッスンで得たお金で細々と生きているのだけれど英語の勉強はレッスンという形で役に立ったけど、社会学は物事のジレンマが解明できたけど、あまり経済的には役にたたなかった

今はそれなりに幸せだから、結婚しなくてもいいと思うけど、その可能性がないと言われていると不公平に感じたし、だからこそ、実際の周りの人は、も普通に恋愛、結婚、出産をし得ると思っていると知ったときのこの驚き

付き合っていたころ、『とくに断る理由が無いから』という理由で付き合って(いままで付き合った彼らごめんなさい)、結局失敗したことがほとんど『こんどはな人とお付き合いしなさいね』と最近言われたそりゃそうだ

そのとき、初めて、あぁ日本でも、人は私みたいな障害があっても恋愛とか結婚の可能性を考えるんだとびっくり。学生時代、母性講座とかいって病院に行って新生児見たりしたけど、めっちゃ他人事に聞いてたなぁ

いまのところわが身で精一杯だから、あんまり人生のパートナーとか考えていないけど、シドニーに行ったら人生なにが起こるかわからないと、最近気がついたまた帰国したらなにが起こるかわからないんだろうなぁ。

・・・と考えた三十路だった











三つのR

2006年10月15日 21時49分16秒 | カトリック
またまた黙想会で今回は一泊。

今回の収穫は、過去のトラウマの解放
三つのRといって再体験、解放、再統合。

昔NZや日本でも、カウンセリングでその傷害事件を再体験をしようとして、恐怖で失敗していたので、今回もできるか不安だった。でも、安全な場所で、安心できる環境だったので挑戦してみた。でも実際する前は、そこがどこで自分が何歳か訳がわからなくなり、ごはんもまともに食べられない始末。

再体験はイメージや言葉で、感じるのではなく、あたかもそのばにいるように体験する。これはもう、その事件をわざとフラッシュバックさせるわけだから苦しくて、つらくて、大変なことになった半分発狂
それから解放
がだいじょうぶ、そばにいるから、と言われて発狂しそうになりながら、恐怖、はずかしさ、つらさなどを出した
ずっと、しゃがんだり、にしがみついたりしたけど、いままで出来なかった恐怖や痛みを出せた

きっと今までそれが出せなくて、フラッシュバックが起こるとODやらえらいことになっていたんだとおもう
その昔の事柄と今現在がごっちゃになって。

このことは過去のこと。今は安全。
言われてつらかったことはうそだった。うそは信じてはいけない。じぶんを大切にする。

これからは再統合の時