今日のミサのあと、講師の神父様がうちの教会に来て、主に終末の患者さんへのケア(as in physically, emotionally, psychologically, spiritually, socially and totally)の講演があって聞いた
病気になったとき、お医者さんと看護婦さんは身体的に、カウンセラーや精神科医、臨床心理士は精神的に、ソーシャルワーカーは社会的に。ではSpiritually。。。
NZの大学には、チャプレンという宗教的な人がいたけれど、言ってみれば私たちみんなSpiritualなケアは、宗教に関係なく出来る。いくら専門の聖職者でも、たとえ親子でも相性

というものがあって

相性があわなければむずかしい。。。

ホスピスや病院の中の患者は特別な宗教を持つ人はほとんどいないわけだから、こちらの価値観を押し付けることなくケアするには、とにかく相手のペースに任せる。。。自分で答えが出せるように、心をこめて心を開いて聞く。


むずかしいよ
私が噴きだした

のは、その神父様が、「たとえばあと何ヶ月の命、と宣告されたら怒りの感情が出てあたりまえ。たとえ(何かの)信者でも、神をうらんだりいかったりするのは当然。たいていの信者は、それをいさめたりするけど、神は人間の弁護はいりません、恨まれてもあちらはノイローゼになりません。」


結局、喜怒哀楽をすべて出せるようにして、本人が納得できるというのがSpiritual Careなのかな、と思ったし、終末でなくても、死に直面している人(精神的な病とか)にもいえることだなと思った。私も体験があることだけど、もうだめだ

、と思ったときに「そんなこと言わずに、○○も★★もあるじゃないの

」とか、たとえ善意で言われても、そのひとはもう、そんなことは考えていられないくらい、落ちてるんだから、聞くというのがいかに難しいのか。。。

と考えさせられた。
よく病気や困難に面したとき、泣かない

、我慢する

、耐える

とか言う話しを聞いて、気持ちは本当は、泣きたくて苦しいのに

我慢したり

って多かったから、今日のお話は、「そうか、やっぱり泣いて、とか感情をだせるようにしてあげるのがケアなんだ

」と思った。
実際そこまで聞いて上げられるかどうかは、相性もあるし難しいんだけれど
松本信愛神父さまのSpiritual Careのページ
http://www2u.biglobe.ne.jp/~shinai/pastoral.htm