振り返ってみよう・・・
今年のテーマは、素敵な一年にする決断。
この大きなテーマをもとに動きました。これが大きな石。
小さなテーマ(小さな石)は、a 感謝は選択。 b できることを、持っているもので、置かれた場所でする。
最初に起こした行動は、二月の学び支援のシンポジウム、そしてYA説明会。
シンポジウムは、学習障害と英語教育のこと。
この時はまだ、LDがこの一年のこんなに大きな石になるとは思っておらず。。。
YOUNG AMERICANSは姪が参加したんだけど、同時に私もスタッフとして仲間に入れていただき、濃い三日間を5月に過ごしました。楽しかった。
同時にドールハウスの記録もエクセルで始めました。
全くエクセルを触ったことがなくて、数字も苦手の私。Danielの助けでここまで来れました。
3月の御復活祭からは、所属教会で委員の二年目。
今年は委員長で評議会にも出席しました。
他の委員会とのやり取りで戸惑ったり、他の教会とのやりとりがあったり、同時にたくさんの情報が来ると困る私には、なかなかチャレンジングでした。
同じ委員会のメンバーさんに助けられながらやっとこさっとこ12月になりました。
あと3か月。
とっても良いメンバーで、お願いしたことを快く引き受けてくださって、個性豊かで、なかなか素晴らしい経験をしました。(日本の時間がかかったりする文化にはキレそうになりつつ)
少し、教会内の「完全参加と平等」に近づけたと思う。何年もかかったけれど、これが最高の達成。
旅行業の試験のためには、コースを受ける際も、試験当日も主催団体の方々と講師の方々には大変お世話になりました。
私は、障害を持つ生徒も海外を経験してほしい。
もちろん、学び支援で知ったLDやアスペルガーなどの子ども達もだけど、体の不自由な生徒に、自由を経験してほしい。
健常者と障害者が同じ権利を持ち、同じ話題で盛り上がり、たまには差別ギリギリのジョークを楽しむのもいいじゃない。
お酒を飲み明かして4AMにタクシーで帰ってきて、次の日二日酔いでも記憶がなくても・・・若いんだから。(ハハハ)
引き続き頑張る。
8月には、あまり深い理由もなく(たまたまその日が空いてた…)、入管訪問に加わりました。
行ってみたら、結構社会学だった。
まだ2回?しか行けていないけれど、できるだけスケジュールがあえば行きたい。
入管と全く関係なく、社会学にも関係なく(あるかも?)、
帰国してから、自分がどういう風に生きているか、
実は自ら小さくなっているかも、と振り返るきっかけにもなりました。
二度目の岡山。
初めて二分脊椎の子どもとご家族と二日間過ごしました。
私は親との関わりが薄く、二分脊椎のことも留学するまでよくわかっておらず、進路も10歳で勝手に決めちゃう人だったから・・・
子供たちには、別次元の人(宇宙人)だったかもしれない。
秋は人生で一番忙しい日々でした。(新生児のときを除き)
委員会で最も忙しい月。ロザリオの月と、研修会の企画と準備、聖書週間。
学びの秋で、大阪と埼玉へセミナー参加。
ついでに関東で、友達と会いまくり(笑)殺人的スケジュール。
インターネットでwebせんせい養成講座を受講。
マインドマップは懐かしくて、ジャグリングはめっちゃ難しい。
脳は神秘的・・・
ここらへんから、学び支援に本格的に気持ちが関わってきた気がする。
二分脊椎と自閉症スペクトラム。
学ぶ権利は、社会参加の権利でもあると思う。
待降節(アドベント)は黙想会の準備。そしてクリスマス。私も、レッスンも、世間も。
日々の勉強と友達とのcatch up。
相変わらず一日4回の服用と、痛みと吐き気とめまいと。
だからONの日とOFFの日を作らないといけなくて、生産的な時間が少なくて、とても悔しい思いはそのまま・・・
ドクターは、私はとても充実した日々を送っているとおっしゃったし、コーディネーターさんは「私より時間が動いている生き方をしてる」っておっしゃってたけど。
学び支援のセミナーも、YAも、旅行業のコースや試験、教会の評議会や委員会。
痛みを逃すために、一人床に座ったり、寝転がったり、
考慮していただいたこと、そういう場に身を置けることに感謝しながら・・・
薬を探し求めたり、オペを繰り返したり、代替医療を試したり・・・
あきらめたくなったり、まだ”生きた”かったり・・・
ひと月ほど前、姿勢のスペシャリストさんと出会いました。
私は医療にかかわる人が苦手。
自閉的だから、そして医療者に誤った態度やメンタリティーで触られた経験があるから、
触られるのも苦手。
体がつらい原因が、健常社会で無理をするからってわかっているから、
無理をしなければ参加できないようなシステムになっていることに憤りを感じるから、
健常から与えられる「良い」とされるものは、できるだけ拒否。
(結局、短下肢装具はほとんど真っ新のままクローゼットにあるし。)
今座っているこのせざぶとんは、ゆったり座れる。(お尻が下がる?はまる?&背中に沿うのかな?)
私も机で字が書ける。
私もラップトップが人並みに使える。
今日は、昨日ずっと車椅子に座っていたのにも関わらず、
ミサで入祭の歌から閉祭の歌まで全曲歌って、すべての文言を言ったのにも関わらず
(=カトリックは1時間弱のミサの中で結構歌う。それに加えて、卒業式の呼びかけのように、司祭と会衆が交互に文言をいう、かなり参加型。私はいつも途中で休憩か、ヘロヘロになるか、めまいで倒れる)
今、元気。私もミサに与かれる。
だけど、たぶん・・・またこれに座れなくなっても、きっと大丈夫だと思う。
もう、一人で抱え込まなくていいかもしれない。
それが、一番うれしい。
出会ったすべての人に感謝し、チャンスを見る目に感謝し、
痛みと障害に制限された身体で時間を有効に使えたことに喜んで、
来年もさらに素敵な一年にしたいと思います♡
みなさんまたお茶しましょう♡
昨夜、せざぶとん(背座布団)がP.A.S.さんから届いた。
年を越すと思っていたから、びっくり!
夕食後、急なお客さまがイギリスからいらして(妹の同級生夫婦)、半分できあがっていた私は、「その場通訳」をしていた。宅配にも気が付かなかった。
お帰りになったあと、部屋に戻ったらベッドの上にでっかい箱!
差出人も見ずに開けたら「せざぶとん」でした。
びっくりした。いっぺんに酔いが醒めた。
座った感じは、前の座布団は空気調整タイプだったからか結構フカフカ感があって、せざぶとんはおしりの部分は、お座布団みたい。
バックレストは、カーシートのよう。
お尻を奥まできゅっと入れて、かつソファのようにもたれてみる・・・
オフィスで試させていただいた時のように、身体の力を抜けているかはわからないけど。。。
背筋は良くなったと思う。
もたれているのに背筋が伸びて、パンテーラ(超軽い車椅子)なのにひっくりかえらない。
昨日はそこまで確認して寝ました。
今朝はいよいよ年賀状40枚ほどを書く・・・
ここ数年、タイプや字を書くときは、床にうつぶせになって書くか、身体が柔らかい私は前屈して書いていた。なのでたくさんは書けないし、字は乱れる。。。
パソコンはベッドの上で、壁に置いたクッションにもたれて、膝の上でしていました。
今日は食卓で年賀状を書いて、インターネットもラップトップを食卓に置いてしたよ。
一般人みたい!
数年ぶりに何時間も座っていました・・・
背中をあずけ、お尻をはめてみると、自分のゆがみがわかる。
あるいみ矯正されているのもわかる。ただ、コルセットとか装具のように辛くない。
神に感謝・・・座れるってなんて幸せ・・・
なんでもできる気がする。
午後、市役所から助成の決定通知書も届きました。
偶然か、お計らいか・・・
年末に素晴らしいプレゼントがありました。
ちびはさっそく私がトイレに行ったすきに車椅子に乗り・・・
「おおお!」と言ってた。
姿勢が悪いちびも、背筋が伸びてた。
お昼寝から起きてみると、ちゃっかりせざぶとんを車椅子から外して、こたつで座って勉強していました。(それはもたれたらひっくりかえるわ。)
「なんで~。こんなんやったらモールドにしたら良かったのに~」(ちび)
むむむ。説明できん。
母校でのミサの後、ティーパーティーで中高の先生にお会いする・・・
「教頭先生に会った?」
教頭先生は、教科の音楽の先生で、担任は受け持っていただいたことはないけれど、プライベートも、音楽の授業もとてもお世話になった先生。
(♪読めないのに。中1の一学期、ずうううっと「先生、ソはどこですか」と聞き続けたのを覚えてる。なぜかソ)
卒業してからも、洗礼を受けるときも、いろいろとお世話になった。
教頭先生はハンドベルで飛び回ってらして、一瞬だけ「おめでとうございます」が言えただけだった。
だけど、その先生としばらくお話しできた。
その先生も、私は直接受け持っていただいたことはないんだけど、なにせ小さな学校。
数学・・・かな?
近況を聞かれたので、発達障害とディスレクシアについて話してみた。
最初、頭は良いのに読み書きが難しいということの(その周辺のことも)リンクがぱっと繋がらなかったみたいだけど・・・
「・・・?でも、理解できるんでしょう?それだったらなんとか方法はあるんじゃないのかな・・・」
私「でも、先生。例えばここ(母校)だったら入ってしまったら、支援してくださるかもしれないけど、日本には(読んだり書かなきゃならない)入試があるでしょう。。。」
「なるほどね・・・」
そうなんだよ。
高校に入っちゃえば、後は単位が取れるような支援があれば、今は多様な代が入試方法があるのよ。。。
今日は段ボール1箱の過去の領収書が来るんだけど、それって想像もつかない量・・・
それまでジャグリングとディスレクシア関係の本を読みましょう。そうしましょう。
私、絶対理数系のLDだったと思うわ。
いまだから言うけど、数学の単位落としたもん。
理科は・・・実験は好きで、生物とかは分かったように思うんだけど(式がなければ)、あとは「理屈」はわかるんだけど、やっぱり「式」がだめだったな。
それに伴い、音楽は苦手。♪が読めないから、合奏はいつもハンドベルで同じベルの子の後ろに立って真似をするか、リコーダーでした。ナンチャラ長調にしなさい、とか作曲しなさい、とかくらくらきてた。
それでも自分がだめなやつって思わなかったのは、得意な教科には点数がとれなくても自信があったし、(国語の変格活用とか嫌いだった。。。英語も留学するまで現在完了がわからなかった)
不得意な教科でも、点数が取れなくても、(たとえば万物の生命の不思議とか、美しさとかを)学ぶのは好きだった。
あと不得意な科目の先生が、私の人間性を否定しなかったのも、大きいように思う。
もちろん、体育できないしね。だけど授業でやったテニスとかバスケとか、結構好きだったな。
その1
妹が、私の車椅子をよけて「ちょっと私の方が先に出かけるから、ちょっとどけて」
私「今日は出かけないよ。この時点でミサ遅刻やん」
妹「私の中ではあなたは出かけるのが前提やからな」
その2
ブレーキかけたまま、船漕ぎして喋ってたら
「それはやめて」と”正式に”言われた。(I am officially telling you...)
理由を聞いたら、バランス崩したら危ないって。
私「でも、私ジャグリングの練習してるんだよ」
友達「ジャグリングは何の関係もないでしょ」
友達が教えてくれた、あすはな先生。
ダメもとで説明会と面接を申し込みました。車椅子って言わずに。(ややこしいから)
久しぶりの履歴書、何書いていいんだか。
本町までは行けたんだけど。。。予定の一時間前に駅に着いたのに、迷いまくって若干遅刻。その前に、迷いまくって3回も事務局に電話しました。
この時点で車椅子云々でなく、だめだと思った。
挙句に最終的に迎えに来ていただいた。世話のかかる・・・
面接は、私の障害について聞かれるかと思ったけど、理念や方針に同意できるかどうかだった。
先生業は巡り合わせだし、事務局側も、車椅子って見たらわかるわけで、その辺は考慮していただけることになった。いまのところ、一日ONしたら、次の日OFFにしたり、一日を半分に区切ったりして生活している。そのことも伝えて、事務局側からも子ども側の急な変更(風邪とかね)も私が考慮することも、合意した。
私はソーシャルスペースが興味があるな。
もちろん個人情報になるから私自身の洞察になるんだけれど。
あすはな先生も、最初は家庭教師で始まったんだって。
他の地域でも可能なはずね。
私は手話ができなくて、不登校について良く知らないので、それはいまのところパス。
数学はもう全くわからないので、国語と英語かな?
社会と理科は・・・理科?忘れちゃったわ。
勉強ね。楽しい♡
PASで話しておもしろかったこと。
私は、数式でXやYがでてくると、なんでアルファベットが数字になるかが謎。
「四角だったらいいの?」って聞かれて・・・四角だったら許せるかも。でも鶴と亀はいや。
理科も、H2Oで水、とか、なんでアルファベットと数字足して液体になるねん。
「聖なる秩序で保たれている」(惑星の軌道とか?)ことに関しては感動するけど、
It's not my cup of tea. どなた他の方にお願いいたします。
さあ、お勉強よ~。
痛みが脊椎係留だとわかって、膀胱拡大術をして、抗癲癇薬を飲んで6年。
ODやめて、ご飯を食べるようになって、
洋服も靴も買いに行けるようになって、
どんどんアクティブに動けるようになって、
二分脊椎も、ついでにアスペルガーも、前向きにとらえられるようになりました。
歩くことは、もういまさらいいの。だって車椅子の私のほうが素敵だから。
でも、せめて人並みに座れるようにはなりたかった。
でもね、係留は微妙なところにあって、取れないところがあるし、
薬は最大量だし、この身体でなんとかすることを覚えた。
学びはとても良いこと。
だけど、健常者の社会にお客様として参加するんじゃなくて、私が私のまま参加したい。
なまじ、そのような国で5年も6年も過ごしてしまったら、
そうできない現状が、とてもとてもつらかった。稼ぐことも含めてね。
「どうせ」が大きくなったように思う。
たくさんクッションも試して、車椅子もいいのを買って、
どうにか「生きる」方向性に自分を駆り立てて。
でも、基本、一人で抱え込むことを基準としていると、
案も尽きて、いわば現状維持から悪化を受け入れる感じ。
だから、動けるうちに、お金に少し余裕があるうちに、経験を積みました。
良かった。
医療者とうまくいかないのは、自分でもわかってる。
サバイビングの過程のなかでのトラウマ、
自己肯定の低さと、
自分がなにを求めているかが明確にわかっている事実との折り合い。
だから、整形外科に行くのはやめたし、リハビリは術後の数日しかしたことがありません。
こんな私が行こうと思ったのが、ピー・エー・エスさんという業者さん。
私の知っている人が次々行ったことと、
私が関わる発達障害関連で、居心地良い空間を作ることもしてらして。
私の求めてるクッションと背もたれが、特に私に何かを求めて(強制)していないこと、
そして、そのセラピストさんと、スタッフさんが、
スクリーンの向こうから健常者社会を上映するのではなく、
客席側に来てくれそうだったこと。
うーん。
私はいつも、世界をとらえるとき、スクリーンで見ています。
私は客席に一人。
孤独感じゃなくて、一人感。
スクリーンのなかのようにしなきゃなって。
でもね、私は健常者ではないから、健常者のアイデンティティは持てないし、健常者になれない。だから、ある一定の線からは、自分の文化圏で意思表示をします。
健常者にはなりたくないし、私は障害者。
でも、それは要素のひとつで、でも否定できない。
その私が、「話せる」気がしたの。
Facebookで、セラピストの野村さんがお声かけくださって、
オフィスが割合に近所だったのもあり、行きました。
二日前くらいから気持ちが悪くなってきて、何度か離人までしてしまった。
気持ちは日本語で言えなくて、英語でつぶやいたら、野村さんがコメントくださいました。
グラウンディングできた。ありがとうございました。
でも、やっぱりオフィスについて、妙にテンションあがって、自分でパニックになってるなー。。。と思った。ははは
普通の話を長い間していただいて、私もかなり落ち着きました。
意外な方にもであった。世の中には何人か似てる人がいるのねええと思っちゃった。
私の成育歴、なにも否定されなかった。
ただ、私の身体を見ていただいて、身体がものすごく緊張していること
側彎や係留だけが痛みの原因じゃないことを知りました。
いまの私の体に必要なこと、これからどうするか。
私らしく生きやすくなるように、ここなら支えてくれるって思った。
(いわゆる普通のことに挑戦するに当たりね。シートつきの車椅子のままグランドキャニオンでスカイダイビングとかは、どうかと思うけど)
背もたれは必要だなと思っていたけど、整形外科にかからなかったら、私は整形難民。
医療に明るくないし、自分の勘だけ。
一つ一つ説明していただいて、身体も最初にお断りと、安全確認としていただきながらみていただいて、いろいろグッズを試しました。
オーダーメイドのモールドシートはすごく心惹かれたけれど、まだ採寸に自信がないので、
無難に、徐々に体に新しい姿勢を体に覚えさせてグレードアップさせる方法を選びました。
帰宅して妹に話したら、「どうせ最後はモールドにするんだったら最初からしたらいいのに・・・」とか言われた。そんな彼女はYouTubeをみてエプロンが気になります。
「そこって、健常者も行けるん」とか言ってた。
(ついでに姪は、学校から帰宅して「なんやシート変わってないやん」と)
とりあえず、新年度にはシートが手に入ると思うので、新しい生活も過ごしやすくなりそう。
帰りの駅で、ふっと鬱からもどった自分を見つけたよ。
感謝だね。