Penguin Home

"Life is either a daring adventure or nothing at all"

白菜

2012年01月31日 19時41分57秒 | NZ
NZ人の友達D.ただいま一人暮らし。

数日前のある日彼からメールが来て
「白菜って何?どうやって食べるの?」
私「あなた日本に10年もいて白菜しらんの???」とメール。

しばらくして嫌な予感。

私「あなたもしかして、白菜まるまる一個買ったの? 一人暮らしには巨大だよ!」

・・・浅漬けと、ピリ辛痛めにしたらしい。まめやな。
でも、まだまだ消費しなくては。

私「鍋とかさぁ。鍋の定番やで。スーパーでアルミに入ってる一人鍋買ってきてさ、白菜とか野菜足したらいいやん」
彼「ああ、それにご飯食べたら二回に分けて食べられるな」

・・・炭水化物が欲しいなら、べつにうどんとか入れたらご飯食べなくても一食で済むけど。

彼「お弁当のこと考えてるんだよ」
私「ポットジャーなの?あんまり鍋の残りをお弁当に持っていく人知らないけど。汁タプタプやん」
彼「ううん、普通の外人男性のお弁当箱やで」(No, it's just a normal Gaijin male lunchbox.)

私、男っ気ない生活送ってて、彼以外お弁当作ってる男性知らないんですが。
しかも、その「普通の」は「外人」にかかるんですか、なににかかるんですか・・・
どんな弁当箱やねん。

彼「容器」(←日本語)

ますますわからん。


Asia Downunder

2012年01月25日 08時45分14秒 | Sociology的

Asia Downunder

ニュージーランドの番組の最終回です。(英語)

この10~15年でどうニュージーランド社会が変化してきたか、「違う」ということを当事者が「いいんだ」と思えて、二つの文化を持つということが豊かなことであり、でもアイデンティティはニュージーランド人の若い世代は、オールブラックスも好き。
そんな番組。

数ヶ月前、イスラム教徒のニュージーランド人の記事も読んだ。

そしてニュージーランド人の友達が性転換者の話を(さも新しいコンセプトで、これから議論が必要、みたいに)したとき
「でもあなたの国って、私がいたとき性転換だかなんだかの議員がいたじゃん」と私が言ったら
「1996年ごろから変わってきたんだよ。それ以前のニュージーランドは保守的だった」

ほんとに~??

大学に行く前のポリテクニックの語学学校の校長先生(男)はゲイだった。
そういえばスーパーで出会ったとき男性と歩いていて This is my wife. と紹介されて結構混乱した。
彼がゲイってことは知っていたけど、Boyfriendっていうんだと思っていたので、まだまだ私は「常識」に縛られていたんだね。
さすがに「妻ってどういうことですか?」とはきっと聞いたらダメだろうとおもって、黙ってた(笑)

当時私はアメリカに行くつもりで、高校卒業から9月入学までの間、ニュージーランドで語学留学をしていたので、現地人と知り合うことに必死でした。語学留学だけしてたら、ホスト以外知り合うことがないから。

それでポリテクの本校の掲示板で見つけたボランティアに参加した。
麻薬の回しうちをして、その針を広場やトイレとかに捨てちゃう人がいるので、針を回収するのが主な仕事。
回収ったって、DANGERと書いてる黄色い箱を針が捨てられそうな場所に設置したり、
性教育をしにいったり、C型肝炎や性病の予防アウトリーチ教育。

社会学を専攻する前で、私は①ニュージーランド人と知り合う ②教育者になるためのちょっとしたコースを受けるので、証書がもらえる から参加したという、きわめて博愛精神から離れた計算高いもの。

そんな中で関わるのは、性的マイノリティが多かった。
大学に入っても、そんな専攻だから、性的マイノリティは普通に存在するわけで・・・

だからニュージーランドって言うのは、多様性があって、違いが認められてきた国だと思ってた。
でも、どうやら私が初めて行った頃に、社会が変わったらしい。
何が発端で変わったのかはわからないけど、とにかく短時間で劇的に変わった。
「違ってていいんだ」って言えるまでに、1996年までかかったのかも知れないけど、でももう16年前。

だからさ、変えようと思ったら、社会は変わるんだよね。


素敵な一年の始まり。

2012年01月02日 10時04分22秒 | カトリック
あけましておめでとうございます。

昨日は所属教会の元旦ミサに与りました。
うちの教会は元旦に記念撮影をして、ホームページに載せます。
それが毎年苦痛で・・・

仁豊野巡礼の一件で爆発しちゃって、この元旦の記念撮影が心配で心配で。
ミサの後、聖堂の長椅子を祭壇の前に持ってきて、
神父さまを中心に、
足の悪いお年寄りと子供とかが長椅子に座って、後列に人々が立つ。
その時に「前に、真ん中に」コールが毎年降りかかる。
去年はトイレに行って、わざと遅れて行って、端っこに車いすをパーク。
その前は車いすから降りて最前列。結構小細工に疲れた。

仁豊野の神父さまに会いに行ったときに、この前の巡礼の写真のことと、元旦の記念撮影の事を話したら



笑われた。
(記念撮影があるから、元旦ミサに行きたくないと言った)

笑い事じゃないよー。

「私だったら、何言われても好きなところに座りますけどね」
ニュージーランドだったら私もそうしますけど、それができたら苦労しませんやん。



元旦ミサは悩んだけど、やっぱり一年の始まりだし行ってみた。
ミサの終わりに、(所属教会の)神父さまが「お年玉」として、
油を額に塗って祝福してくださった。
だから、ミサ~祝福~記念撮影。
ミサのあと、こっそり帰ろうかと思ってたんだけど、祝福して頂きたくて待ってた。(そのあと、記念撮影の前に帰ろうかどうしようか、まだ悩んでた)



そしたら、議長さん(だったかな)がマイクで
「このあと記念撮影を行いますが、今年は祭壇から撮影します。真ん中に寄ってください」




わ~い!




ミサに与っていた人で近くに座っていた人は、日曜学校の人達(だからかかわりがある)と、祝福の後に立ち話をしていた学校の友達。

ソファは写真に入らないので、車いすに移った。
だけど、祝福が終わって写真の位置に納まる人々の列の邪魔になっていたので、隣の長椅子に。
(「そんなん邪魔なんかならへんやん、(歩ける人が)よけたらいいねん」と言ってくださった方がいたんだけど)
友達が車いすを端っこに持って行ってくれて、彼女は私の隣に座った。



きっと、仁豊野巡礼のときに私が泣いて、それを翌日に説明した方々が、
今回のことも考えてくださったんだと思う。
幸せな一年のスタート。ここまで来るのに長い道のりだったけど、勝利の獲得のような気分。

そのあと、帰省中の同じ学校の子(健常の同世代)と喋って帰った。
「久しぶり~」みたいな普通の話。めったにできない「普通の」話。
喋れたことに感謝。



最寄駅まで出て、午後から祖母のお見舞いに行こうか、どうしようか考えつつ、ジャンクを食べていたら、また別の帰省中の学校のお友達からお誘いが。
お見舞いはまたにして、厚かましく元旦からお邪魔した。ひゃっほ~

なんか、うちにない「平和な日本の家族のお正月」って感じだった。
至れり尽せり、きっと実家に帰るってこんな感じなのかも?と想像。
おいしいものをいただいて、(きんとんやら久しぶりにバクラバ頂いた!アラビア人と付き合ってた頃以来だから、12年ぶりくらいだ)
さっき教会で喋っていた子も合流して、
こたつの中で姿勢ゆるゆるで、お茶頂いて
たぶん「リラックス」ってこういうことなんかも?
と思いながらいろいろ喋った。

新しい出会いに感謝。(私は「知ってた」子だけど、教会で年に数回会うだけだから)
ご招待くださった友達とご両親に感謝。



帰りはお父さまに車で送っていて(どこまで厚かましいんだ)
カーシートが温かくなってきてびっくりして、
素敵な素敵な一日・元旦・一年の始まりだった。


絶対今年は素晴らしい一年になるはず。。。