今年もあと少しです。やっぱり今年も色々ありました。
劇団The Voiceに参加しました。
20代の白人の臨月の妊婦で、夫に射殺される役を演じました。
心理サスペンスです。
相方の上海人J、プロデューサーG、NZ人の友人D初め、世界各国のメンバーと出会えて、いろいろ学び、くだらないことで笑ったり、世界情勢で大討論になったり、ジョークが差別ぎりぎりだったり、まるでNZにいた頃のように自由な時間が持てました。
超教派クリスチャン青年の集いに参加しました。
いろんな宗派を超えた同じクリスチャン仲間と出会いました。
同じ道を歩む若い世代がこんなにもいるというのは、私には驚きであり感動でもありました。自分ひとりで抱えていた悩みを打ち明けることで、一人じゃないと思うことができました。
障害を持つ日本人クリスチャンとして、また単なる肩書きナシのクリスチャンとして、自由な時間に感謝です。
この二つの自由は、障害からの自由です。
「真理は人を自由にする」
日本ではほとんど持てない、「障害を持っていることを忘れさせてくれる」時間でした。
その時間で得た力で、二回目の脊椎係留手術に臨めました。
ジムはアクアウォークに変えました。
感じるところ、意識できるところが増え、生活もしやすくなりました。
術後の回復も良かったです。
障害を持つ「お客様」は初めてで、普通のいわゆる健常者用のジムなのに、たくさん本やネットで二分脊椎のことを勉強して、私のためにメニューを考えてくださいました。
足場が悪いプールや、段差など、どうすれば私か過ごしやすくなるかも考えて下さったようです。
英語教師研鑽の会、OBKに参加しました。
英語という言語を教える仲間の中に、日々愛について考えたり社会について考えたりする人々がこんなにもいるという事に感動しました。
丸一日の研修に参加するに当たり、長時間座れない私のためにいろいろ考えてくださったスタッフの先生方、そして、ディスカッション中も床に寝転んでいて他の参加者の顔が見えていない私のために「アレ・ソコとかいう言葉は、○○先生(私)が見えないので具体的な言葉でおっしゃってください」と言ってくださるなど、私の想像を超える配慮の細やかさに感動しました。
次回もADHDなどの勉強会。今から楽しみです。
人生初、日本の首都・東京に行きました。
数年ぶりに、母校のシスターに会うことができ、また、数年ぶりに転勤していった友達に会えました。
日本の首都と人々の意識がここまでバリアフルだと知ったのも、この旅のおかげ。
泊まらせてもらった友人の名言;自己満(足)バリアフリー!!
今年のヒットです。
地元の教会の方で、東京と半々に生活なさっている方のおかげで、いろんなところに行けました。国技館やスカイツリーも見たし、憧れのイグナチオも行った。
残念なことに痛みが強くて術後まだ座れず、ヨーロッパの大雪のためか新しい車椅子はまだ来なくて、悩んだ挙句、聖堂に一人がけソファを上げていただくよう、お願いできました。
高校生の男の子が一人で抱えて二階に上げてくれたんだって!
私の生活の中で、最も重要なものになったミサと教会生活に光が見えました。
人の手を借りずに生きなさい、結婚はできないからなんでもできるようになりなさい。
そう育って、私は何でもできるようになりました。
だから10歳で一人で中学受験を決めて準備し、中高一貫校で青春を過ごし、単身で学部留学までできたと思います。
でも一方で、何があっても絶対に必ず守ってもらえるとか助けてもらえる、何があっても自分を肯定してもらえるという感情を持てないまま今まできました。
そしてここ数年かかってやっと今年「何があっても受け止めててもらえる」と、やっと人を信じることができました。
たくさんの周囲の人々に支えられながら羽ばたきました。
今年はブーツを買うために「健常者用の」靴屋さんにも入れたしね。
髪の毛もカラーして、ネイルもしたよ。
障害者「でも」とか「だから」おしゃれするんじゃなくて、私だからやるんだ。
ニュージーだったから助けてって言えた訳じゃなく、ニュージーだったから見捨てられなかったわけじゃなかった。
日本でも、痛くても、○○という条件をクリアしたからでもなく、人の手を借りながらも安心して自立に向かえるって、初めて納得できた。
まだまだ殻にこもりがち。
私で殻にこもりがちだったらどうするんだよ、日本!
だけれども、今年も一年、たくさんの愛で生かされてきたことを感謝しつつ、来年も更に(痛くてもなにがあっても)輝いて飛び立ちたいと思います。
自立ってさ、健常者でも人の手を借りてするんだよ。
人間って一人で生きてない。だからそんなに障害者の自立って、こだわらなくてもいいのかもって思えたよ。
来年はとりあえず、入院・手術はないことを祈りつつ、自動車免許を取りたいな。
不便で仕方がない。
ではでは・・・
お世話になった方々と、私の知らないところで祈ってくださった方々にも素敵な新年が待っていますように。
ありがとうございました!
劇団The Voiceに参加しました。
20代の白人の臨月の妊婦で、夫に射殺される役を演じました。
心理サスペンスです。
相方の上海人J、プロデューサーG、NZ人の友人D初め、世界各国のメンバーと出会えて、いろいろ学び、くだらないことで笑ったり、世界情勢で大討論になったり、ジョークが差別ぎりぎりだったり、まるでNZにいた頃のように自由な時間が持てました。
超教派クリスチャン青年の集いに参加しました。
いろんな宗派を超えた同じクリスチャン仲間と出会いました。
同じ道を歩む若い世代がこんなにもいるというのは、私には驚きであり感動でもありました。自分ひとりで抱えていた悩みを打ち明けることで、一人じゃないと思うことができました。
障害を持つ日本人クリスチャンとして、また単なる肩書きナシのクリスチャンとして、自由な時間に感謝です。
この二つの自由は、障害からの自由です。
「真理は人を自由にする」
日本ではほとんど持てない、「障害を持っていることを忘れさせてくれる」時間でした。
その時間で得た力で、二回目の脊椎係留手術に臨めました。
ジムはアクアウォークに変えました。
感じるところ、意識できるところが増え、生活もしやすくなりました。
術後の回復も良かったです。
障害を持つ「お客様」は初めてで、普通のいわゆる健常者用のジムなのに、たくさん本やネットで二分脊椎のことを勉強して、私のためにメニューを考えてくださいました。
足場が悪いプールや、段差など、どうすれば私か過ごしやすくなるかも考えて下さったようです。
英語教師研鑽の会、OBKに参加しました。
英語という言語を教える仲間の中に、日々愛について考えたり社会について考えたりする人々がこんなにもいるという事に感動しました。
丸一日の研修に参加するに当たり、長時間座れない私のためにいろいろ考えてくださったスタッフの先生方、そして、ディスカッション中も床に寝転んでいて他の参加者の顔が見えていない私のために「アレ・ソコとかいう言葉は、○○先生(私)が見えないので具体的な言葉でおっしゃってください」と言ってくださるなど、私の想像を超える配慮の細やかさに感動しました。
次回もADHDなどの勉強会。今から楽しみです。
人生初、日本の首都・東京に行きました。
数年ぶりに、母校のシスターに会うことができ、また、数年ぶりに転勤していった友達に会えました。
日本の首都と人々の意識がここまでバリアフルだと知ったのも、この旅のおかげ。
泊まらせてもらった友人の名言;自己満(足)バリアフリー!!
今年のヒットです。
地元の教会の方で、東京と半々に生活なさっている方のおかげで、いろんなところに行けました。国技館やスカイツリーも見たし、憧れのイグナチオも行った。
残念なことに痛みが強くて術後まだ座れず、ヨーロッパの大雪のためか新しい車椅子はまだ来なくて、悩んだ挙句、聖堂に一人がけソファを上げていただくよう、お願いできました。
高校生の男の子が一人で抱えて二階に上げてくれたんだって!
私の生活の中で、最も重要なものになったミサと教会生活に光が見えました。
人の手を借りずに生きなさい、結婚はできないからなんでもできるようになりなさい。
そう育って、私は何でもできるようになりました。
だから10歳で一人で中学受験を決めて準備し、中高一貫校で青春を過ごし、単身で学部留学までできたと思います。
でも一方で、何があっても絶対に必ず守ってもらえるとか助けてもらえる、何があっても自分を肯定してもらえるという感情を持てないまま今まできました。
そしてここ数年かかってやっと今年「何があっても受け止めててもらえる」と、やっと人を信じることができました。
たくさんの周囲の人々に支えられながら羽ばたきました。
今年はブーツを買うために「健常者用の」靴屋さんにも入れたしね。
髪の毛もカラーして、ネイルもしたよ。
障害者「でも」とか「だから」おしゃれするんじゃなくて、私だからやるんだ。
ニュージーだったから助けてって言えた訳じゃなく、ニュージーだったから見捨てられなかったわけじゃなかった。
日本でも、痛くても、○○という条件をクリアしたからでもなく、人の手を借りながらも安心して自立に向かえるって、初めて納得できた。
まだまだ殻にこもりがち。
私で殻にこもりがちだったらどうするんだよ、日本!
だけれども、今年も一年、たくさんの愛で生かされてきたことを感謝しつつ、来年も更に(痛くてもなにがあっても)輝いて飛び立ちたいと思います。
自立ってさ、健常者でも人の手を借りてするんだよ。
人間って一人で生きてない。だからそんなに障害者の自立って、こだわらなくてもいいのかもって思えたよ。
来年はとりあえず、入院・手術はないことを祈りつつ、自動車免許を取りたいな。
不便で仕方がない。
ではでは・・・
お世話になった方々と、私の知らないところで祈ってくださった方々にも素敵な新年が待っていますように。
ありがとうございました!