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"Life is either a daring adventure or nothing at all"

今年もお世話になりました

2010年12月29日 19時29分13秒 | Weblog
今年もあと少しです。やっぱり今年も色々ありました。


劇団The Voiceに参加しました。
20代の白人の臨月の妊婦で、夫に射殺される役を演じました。
心理サスペンスです。
相方の上海人J、プロデューサーG、NZ人の友人D初め、世界各国のメンバーと出会えて、いろいろ学び、くだらないことで笑ったり、世界情勢で大討論になったり、ジョークが差別ぎりぎりだったり、まるでNZにいた頃のように自由な時間が持てました。


超教派クリスチャン青年の集いに参加しました。
いろんな宗派を超えた同じクリスチャン仲間と出会いました。
同じ道を歩む若い世代がこんなにもいるというのは、私には驚きであり感動でもありました。自分ひとりで抱えていた悩みを打ち明けることで、一人じゃないと思うことができました。
障害を持つ日本人クリスチャンとして、また単なる肩書きナシのクリスチャンとして、自由な時間に感謝です。

この二つの自由は、障害からの自由です。
「真理は人を自由にする」
日本ではほとんど持てない、「障害を持っていることを忘れさせてくれる」時間でした。

その時間で得た力で、二回目の脊椎係留手術に臨めました。


ジムはアクアウォークに変えました。
感じるところ、意識できるところが増え、生活もしやすくなりました。
術後の回復も良かったです。
障害を持つ「お客様」は初めてで、普通のいわゆる健常者用のジムなのに、たくさん本やネットで二分脊椎のことを勉強して、私のためにメニューを考えてくださいました。
足場が悪いプールや、段差など、どうすれば私か過ごしやすくなるかも考えて下さったようです。


英語教師研鑽の会、OBKに参加しました。
英語という言語を教える仲間の中に、日々愛について考えたり社会について考えたりする人々がこんなにもいるという事に感動しました。
丸一日の研修に参加するに当たり、長時間座れない私のためにいろいろ考えてくださったスタッフの先生方、そして、ディスカッション中も床に寝転んでいて他の参加者の顔が見えていない私のために「アレ・ソコとかいう言葉は、○○先生(私)が見えないので具体的な言葉でおっしゃってください」と言ってくださるなど、私の想像を超える配慮の細やかさに感動しました。
次回もADHDなどの勉強会。今から楽しみです。


人生初、日本の首都・東京に行きました。
数年ぶりに、母校のシスターに会うことができ、また、数年ぶりに転勤していった友達に会えました。
日本の首都と人々の意識がここまでバリアフルだと知ったのも、この旅のおかげ。

泊まらせてもらった友人の名言;自己満(足)バリアフリー!!
今年のヒットです。

地元の教会の方で、東京と半々に生活なさっている方のおかげで、いろんなところに行けました。国技館やスカイツリーも見たし、憧れのイグナチオも行った。


残念なことに痛みが強くて術後まだ座れず、ヨーロッパの大雪のためか新しい車椅子はまだ来なくて、悩んだ挙句、聖堂に一人がけソファを上げていただくよう、お願いできました。
高校生の男の子が一人で抱えて二階に上げてくれたんだって!
私の生活の中で、最も重要なものになったミサと教会生活に光が見えました。


人の手を借りずに生きなさい、結婚はできないからなんでもできるようになりなさい。
そう育って、私は何でもできるようになりました。
だから10歳で一人で中学受験を決めて準備し、中高一貫校で青春を過ごし、単身で学部留学までできたと思います。


でも一方で、何があっても絶対に必ず守ってもらえるとか助けてもらえる、何があっても自分を肯定してもらえるという感情を持てないまま今まできました。
そしてここ数年かかってやっと今年「何があっても受け止めててもらえる」と、やっと人を信じることができました。
たくさんの周囲の人々に支えられながら羽ばたきました。
今年はブーツを買うために「健常者用の」靴屋さんにも入れたしね。
髪の毛もカラーして、ネイルもしたよ。
障害者「でも」とか「だから」おしゃれするんじゃなくて、私だからやるんだ。


ニュージーだったから助けてって言えた訳じゃなく、ニュージーだったから見捨てられなかったわけじゃなかった。
日本でも、痛くても、○○という条件をクリアしたからでもなく、人の手を借りながらも安心して自立に向かえるって、初めて納得できた。

まだまだ殻にこもりがち。
私で殻にこもりがちだったらどうするんだよ、日本!

だけれども、今年も一年、たくさんの愛で生かされてきたことを感謝しつつ、来年も更に(痛くてもなにがあっても)輝いて飛び立ちたいと思います。
自立ってさ、健常者でも人の手を借りてするんだよ。
人間って一人で生きてない。だからそんなに障害者の自立って、こだわらなくてもいいのかもって思えたよ。

来年はとりあえず、入院・手術はないことを祈りつつ、自動車免許を取りたいな。
不便で仕方がない。


ではでは・・・

お世話になった方々と、私の知らないところで祈ってくださった方々にも素敵な新年が待っていますように。

ありがとうございました!





次から次に・・・

2010年12月27日 17時29分42秒 | 二分脊椎
術後まだ一ヶ月弱だけど、めまいとなんともいえない痛みと、不整脈が再発。

今朝の泌尿器科は問題なしだったので、ドクターに愚痴(笑)
パンテーラ車椅子が届いたら半年様子をみて、まだ体調悪ければ



『僕は専門外やからよくわからんけど、僕が君なら、この国では君の身体も負担やけど、10年は先に精神が参るから、側弯のオペする。
生きていかなあかんし、闘わなあかんからな・・・。
オペはやってみなわからんところがあるけどな・・・』

なんちゅうギャンブル。



「あなたの側湾は軽い。もっとひどい人はいるから、最近手術ばっかりして身体に負担だから、10年は様子見ましょう」と、別の病院では言われた。




・・・私も正直、また手術(しかも終わったばかり)とか、次の選択肢を考えなければならないのはめっちゃしんどい。

でも、来年は勘弁して欲しいけど、この調子じゃ、QOLがどんどん下がりっぱなしだから、二年後、再来年にはそくわんのオペを考えないといけないかもな。
痛みに弱く、怖がりで、パニックを起こす私。コミュニケーションに障害がある私。
新しいドクター、新しい病院・・・サポートなしで耐えられるか。



右のじょくそうをかばって、圧を減らすために身体を傾けて足で踏ん張って、
斜めになる視界を戻すために身体をよじって手で体重支えて。

軽いそくわんったって、痛みで15分と座れないで、
身体をよじりまくる姿勢を何年もしてきてるのって、不自然。

今日のドクターは、「専門外やけどな・・・軽いそくわんって言ってもな~。そんな斜めにならな身体が楽じゃないって、負荷が一番かからない姿勢が君にはそれやねんから、生活大変や・・・。辛すぎるわ・・・」と。

闘うものが多いのに、身体がこんなじゃ何も証明も闘いもできない。



とりあえず、早くパンテーラU2来てくれ・・・
そしてシーティングして、楽になることを祈るよ。


さすがにもうしばらく手術はいや~。正気を保つのも大変!



i phone

2010年12月20日 18時02分44秒 | Weblog
父がのりかえをするため、二人で携帯電話を変えました。
しかも番号も変えました。

設定がややこしいため、エラー続き…

番号とアドレス変更メールを送りましたが、今日、送ったはずの方の数人に私は探されました…

以前の携帯のアドレスをご存知の皆様、@の前までは同じで、以降がi .softbank.jpです。

ミサに出たはいいものの・・・

2010年12月17日 17時13分40秒 | カトリック
10:00の御ミサ。

いつものように教会の方が迎えにきてくださり、その辺を歩いていた男性に車椅子を車に積んでいただいて、出発。

昨日は癲癇の薬を飲み間違えて頭がチリチリしていたのと、手術前からのストレスが解消しきれず、久しぶりに「二号」と「三号」までもが出た。あまり記憶がない。
退院前にドクターには、二号や三号が出ないといけないくらい、しんどかったんだと言われたけれど・・・
やはり記憶が飛ぶと言うのは怖いものが・・・

更に、昨日も書いたように、あまりおなかの調子が良くないため、すぐに教会の車椅子トイレに行った。
今まではちゃんと二本の足で立てたから下着もパンツ(ズボン)も脱ぎ着できたんだけど、一時的なものなのか、支えがうまいことないと、それができない・・・

導尿をして、うまく立てなくて、床に座り込んでどうにかしようと頑張った。
そのうち、いつもよりやたらトイレに時間が掛かるのを心配した方々(一人は送迎をしてくださった方)が見に来てくださった。

なんとか片手ずつで身体を支えてぎりぎりまで下着も、パンツもあげたけれども、それ以上が上がらない・・・

「あげてあげるから、大丈夫だからドアを開けて」というオファー。
本当に嬉しいオファーだけど、さすがにそれは頼めず・・・
トイレの床は寒くてだんだん冷えてくるし、あまり後先を考えずにミサに来た自分を反省…


結局、代母さん登場。「ほとんど上げられてるじゃない。ちょっと支えになるものを工夫すれば、自分でできるようになるわよ」
・・・そうだといいけれど。
「それにね、もうみんな子ども産んで育て終わった歳なんだから、パンツ(下着の)やパッドや見たって驚かないよ。生理だってあるんだし、普通よ」

私が「自分を捨てて死ねない」だけなんだけどね・・・

そしてミサには家から大きなクッションを持参して、ひざ掛けと毛布と教会のお座布団で、リクライニングで与り、ミサの後にある、聖書のお話には、同じように長いソファでリクライニングで出席した。

手術前に望んだ様に、椅子にしゃんと座っては過ごせなかったけど、いろんな意味でたくさん助けていただいて、すごく感謝な一日だった。

膀胱直腸障害がおかしくなるのは、一時的と言われている。
だけど本当にこれが予測不可能になると、外出が厳しい。

しかしながら今日は、たくさんの方々の愛を受け取った。

やっぱり全ては善きに変わるんだね。



座ったら激痛

2010年12月16日 22時03分42秒 | 二分脊椎
座ったら激痛… みぎの坐骨があたると痛む。

これが一番問題やったのに…

加えて脊髄をいじったため、膀胱直腸障害がplaying up!
早くパンテーラ来てくれ~

ミサはデッキチェアにテンピュールでも敷こうかな。

教会のトイレの上げ下げは、練習あるのみ…


頑張れ私。明日はミサだ。

退院

2010年12月15日 07時31分38秒 | 二分脊椎
素晴らしいお天気に恵まれて、退院します。お世話になったドクターや看護師さん達、その他の人々に感謝しながら。

今朝は、出生前に二分脊椎とわかったベビーが朝から生まれます。ドクター方は産科などの先生方とチームをがっちり組んで、ベビーの誕生を待ちます。

なのでご挨拶は一応昨日に済ませました。

ベビーが無事に生まれてきて、ママもパパも喜びに包まれつつ、次の試練に前向きに取り組めるように祈ります。

34年後こうなりますよ。大丈夫ですよ。

好みの問題は別にして、生まれてきて良かったと思っている二分脊椎が、ここにおります。

水曜日に

2010年12月12日 19時34分22秒 | 二分脊椎
退院します。
病院内では、かなり元気。

結構入院が短く済んだので、昨日は四人もお見舞いに来てくれました。
男性に花束もらっちゃった。買うのとか、持ち歩くの恥ずかしかったやろなー。感謝です。


今日は近くにある大阪のカテドラルへ外出許可をもらって、ミサに与ってきました。御聖体が頂けたので大満足。


病院内で前回より元気なので大丈夫だと思ったけど、お昼寝二時間…
やっぱり手術をすると体力が落ちるのね。
帰宅してもマッサージとかしつつ身体を労らなくては…


ジムは2月くらいに復活かな。

95%

2010年12月08日 20時39分23秒 | 二分脊椎
抗生物質と輸液の点滴が取れました。これで全ての管が私の身体から抜けました。痛みも95%減りました!

立ったり車椅子への移動は慎重に。最初にトイレに行った時に、腰をひねった拍子にグギッとやりました。今はその腰をこれ以上びっくりさせない為に、慎重に動いています。

昨日は看護師さんへフルサポートをお願い。

今朝は車椅子の乗り降りと、トイレでズボンを上げる介助のお願い。

まだ手すりがないと立てません。

午後には片手を手すりに、片手でズボンを上げてからナースコールで車椅子への移動介助のお願い。

夜は車椅子への移動介助は要らなくなりました。

まだ足が弱く、足首も痛いので完全ではありませんが、しびれも目眩もありません。

長時間の座位は二時間までなら平気。でもこれは、係留のせいかは謎…
なぜなら車椅子許可が出た昨日、電動ベッドを高くしたままトイレに行き、帰ってきたら停電したため。

関西電力の不具合で、病院のある大阪市中央区本町一帯が二時間ほど停電し、私はベッドに戻れなくなりました。

普通の人の立ちくらみと似てる感じ。そう願いたい。

本当に悩んだ手術だけど(入