西日本入管での、面会と面会の間の待ち時間。
用紙書いて、提出して、番号札もらって呼ばれるまで待つ。ほかのメンバーもロビーで待っていたので、喋りながら。
「本当にエレベーター、ないのかな?」と探しに行った方がいたり、一般的なバリアフリー論を喋ったり・・・
すると、突如、スタッフの方が「ちょっといいですか?」
私(ドッキーン!なんか面接で、私、なんかやばいこと言ったのかな??)
スタッフ「今日、どうやってここに(二階)上がって来られましたか?」
ああびっくりした。
そして、みんなで説明。
どうやらその方の子供さんが車椅子で、私がどうやって上がってきたのは不思議だったらしい。
「建物は古くて、車椅子の方がくることを想定せず作ったので、いまエレベーターを付けることは不可能ですが、どうすれば良くなると思われますか?」(←もっとちゃんとした日本語で)
だって!うれしいな!
だって、面会者の中には、ベビーカーがいるなら、骨折した彼氏とか、事故った彼女もいるかもしれないやん。
「スタッフが抱えて上がることは喜んでさせていただきますから、お声かけください」とのこと。
私「あ、では、どこが受付か入ってすぐはわかりづらいので、そういうお知らせを貼ったり立てたりしていただければ・・・」
そしてほかの面接のあと、またロビーでの待ち時間。
スタッフ「さきほどのサインですが、どこに置いたら一番わかりやすいですか?」
なんて迅速な行動!めっちゃ感動!
私は好きで入管面会に加わって、前回皆さんが手伝ってくださったから、卑屈にならず安心して、今回も参加できた。
私は少し歩けるし階段も上がれるから、車椅子を抱えてもらうだけで二階に行けた。
メンバーも素敵な方々だから、卑屈にならずに甘えられた。だからこれからも参加するつもりだった。
だけど、全く歩けない人もこれから来るかもやんね。
私みたいにフルタイムで働けず、また雇用がされにくい国で、隙間時間にいわゆるボランティアをする車椅子ユーザーも出てくるかもよ。
「ありがとう(すみません)」の心理は、Facebookでのコメントでも言ってたんだけど、
日本の場合はニュージーランドのThanksをよく言う習慣と違って
車椅子の場合「言っとけば安全。言わないとわがままと思われるから」という心理が働くように思う。
たくさん助けてもらったら、申し訳なくなって卑屈になってきて、
そんなんやったらお手伝いいらんわ、自分でやる!って頑張ってしまって、
人と関わるのが大変になって・・・
入管で二階にあげてくださった方は、話の文脈からは
「もしエレベータがあれば(”健常者が言わなくてすむほどの”数の「ありがとう(すみません)」を言わずに)自分でできるところを、言わなきゃならないなんておかしい。そんなに必要?」
って感じの言い方に聞こえた。
もちろん、私はたくさん「ありがとう」が言えて恵まれているのだけど、それは、私がありがとうっていう相手の数が、(すみません=卑屈)がほとんどゼロに近いから。
だから、普段はほとんど(+すみません=卑屈)がなく暮らしている。
入管メンバーの方々はすごく素敵な方々だけど、数回しか会ったことがないから、(+すみません=小さい気持ち・・・)が出たんだね。防衛反応だね。
それって、本当に一緒に生きていくには、対等な人間として生きていくには、実は相手にも失礼なんだろうなって思ったよ。
だから私は「ありがとう」っていうよ。