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"Life is either a daring adventure or nothing at all"

Show...その後

2010年07月13日 14時04分11秒 | 幸せ
いろいろあって、日曜日の最終のショーに出られることになった。


痛みにずんずん落ち込んでいく私を見て、「せっかく練習してきたんだし、残ったんだし、出れば良いのに。」

前日にはもう断りの連絡も入れていたし、いろいろ迷ったけれど、だめもとで、出られなかったら見てたらいいわ、と思って大急ぎで最終のショーの劇場へ行った。

暖かく迎えられて出ることになり、本番。。。

一回セリフが飛びました。
本番前に舞台裏でセリフがぬけることで余計緊張してしまい、本番ではいつも忘れるところではないところが抜けた。。。

でも、とても楽しくて、痛いのは痛かったけれども、超教派パエリアの会のときや、英語のミサ、NZにいたときのように自由で、息ができて、自分の普段の不自由さがまったく感じられなかった。

きっと人々が私が舞台裏で「トイレに行こうかな」というと、(裏の足場の悪いところを行かなきゃ行けないので)スッと立って私の前後を歩いてくれた二人組。
舞台裏の小部屋に行くと椅子を代わってくれた人。
階段だらけの劇場内を移動すれば、ワ~っと集ってきて、Do you need a hand?と車椅子を上げ下げしてくれる人。荷物を持ってくれる人。
私に手を差し出して階段をおろしてくれる人・・・などなどがたくさんいたから・・・。

掃除が終わって、円陣になって、お疲れ様の挨拶があり、私のことにも触れてくれたので、I would like to thank you all, for helping me here and there, it was really appreciated.と言うと

”OOOOOH....It's lovely"
そして恒例らしい、関係者全員の国歌斉唱。(もちろん日本が大多数)

初めて聞いた中国、フィリピン、南アフリカ、イスラエルの国歌。

フィリピンの国歌は軽快で、意味がわからない私たちは思わず手拍子。

南アフリカの前は「さあみんなでブブサラをしましょう~」
声でボワンボワンボワンボワン~~~

イスラエルの国歌はなんだか「え、これで終わり?」っていう半端なところで終わる歌だった。

英語人の集まりなので、ブラックジョークが出て「いつもイスラエルは何かが足りない・・・土地が足りない、水が足りない、1小節足らない・・・」

アメリカのときの合いの手も、一歩間違えばアメリカ人が怒るかも・・・
(Afghanistan!Iraq! North Korea! Take back Okinawa!・・・言ったのは日本人ではありません まあ、だから許される)
でもそれに負けじと声高く歌い上げてたし、みんな笑ってた。まじめな日本人が聞いたらビックリだろうな。

相方は日本大好きな中国人。
中国の国歌は抗日の歌詞で「時代遅れだから」歌いたくない・・・と。
でもだれも中国語はわからないし、歌い上げてました。

そして私。
きっと日本勢の中でひとりだけ国歌が歌えなかった人。
そして歌詞つきの歌を初めて聞きました。

きっとポリシーがあって歌ってないと思われてるだろうな。
ポリシーははっきり言ってあるし、きっと知ってても歌わなかっただろうけど、真実は、歌はオリンピックの表彰台のときしか聞いたことがなく、習ったこともないので。

ちなみにニュージーランドの国歌は、英語もマオリ語も歌えます




天橋立

2010年07月03日 19時27分04秒 | 二分脊椎
痛みのせいでストレスが溜まりまくっている

そんなに、NZ人の友達からメール
「天橋立行った事ある?」

「ぜひ行ってらっしゃい。ちゃん、国内旅行はめったに行けないし、なら助けてくれる。それでも<違う>って思わないでしょ」

父に天橋立行きのことを言うと「むっちゃごっつい坂や。車椅子では無理や。やめとけ」
(この違いは何?)

その旨にメール

「絶対無理なん?」
「観光協会に聞いてみる。」

そして天橋立観光協会に電話

「ロープウェーに乗るまでに、何箇所か15段くらいの階段と、何箇所か坂がありますので、介助者がいないと難しいかもしれません」

介助をするはめになるのはなので、その旨メール

返信「介助者よりも、友達いれば大丈夫じゃない?」

すぐに電話。
「きっと車椅子の人と一緒にいる、障害のない人は日本では介助者って言うのよ。友達って言わないのよ。」

「じゃあ、胸に<介助者>って書いてるバッジでもつけようか?笑 友達で何が悪いねん」

そういえば二年位前、彼は駅員に「ヘルパー」呼ばわりされたよな・・・
私たち、英語で会話して、彼は金髪碧眼の白人・・・

好き好んで日本でヘルパーせんと思うがな~・・・
そんなに障害者は健常者の友達がおらんというか、一緒に出かけないんかな・・

いよいよ・・・

2010年07月03日 18時56分55秒 | The Voice
10日と11日に本番。
先日のリハーサルで、ライトと音響の入り具合が良くわからなかったので、今日、もう一度、確認のためにプロデューサーの家に行ってきた。

そこで最後に
「最後の心配事として、本番前に舞台裏で待っているとき、控え室をこの前見たらとても狭かった。寝転ぶには狭いから、私はぎりぎりまで観客席にいたい。クッションも持ってくる予定だし、自分が心地よいようにするつもりだ」と断っておいた。

「心配ない。たぶんの番は休憩の後だ。もし痛みで出られなくなったら、私がの役をする(笑)以前、小さい女の子が本番5分前に出られなくなって、私がその子の役をやった。それはおかしかったよ!」

は50代のがっちりしたおっさんです。

「裏に回らないといけないときに、相方が私を呼びに来てくれてもいいわけだし」

「もしが、観客席にスタンバイしててバックステージにいけないくらい痛くて、舞台の正面からあげるためにショーを止めないといけないとしても、それはショーの一部だ。面白いじゃないか。僕がの役をやるのも、が前から登場するのも・・・」

「私に許されるなら、私は必ず道を見つける(If I am allowed, I always find the way)」
「もちろんだ。僕たちに必要なのはconsiderationだけだ。そしてが道を見つけたら、何でもできる。」

嬉しかった。このグループに入って良かったと思った。

「そういえばさ、次のショー(冬のショー)に大学生で、小児麻痺の人でまったく歩けない女の子と、筋ジストロフィーで言語障害がある男の子が仲間に加わりたいんだって。No problemだよ。さっき言ったみたいにconsiderationだけだ。なんでも克服できる」

おお
障害がある人も加わるんだ!良かったよかった。
痛くてもやった甲斐があった!

さあ、あと私にできることは本番・・・

がんばるじょ。


治療をしないということ

2010年07月02日 08時47分18秒 | 二分脊椎
しばらく例の腰痛で、パソコンどころではなかった
今は足まで痛みが走る。

翻訳もまったくできなくなってしまい(痛くて座ってられない)一日のほとんどを寝てすごし、痛み止めの薬を通常の3倍ほど飲んでやっと動けるような感じ。
もちろん夜は眠れなくて、それでもレッスンと劇の練習はなんとか続けていた。
すごく身体が不自由な感じ。

病院では、注射で治療をしたけれど2時間も持たなかった。
わざわざ病院まで行って(電車だと往復で2時間)注射をして、注射をしている間は痛み止めは一日一回に抑えて・・・なんて無理だし、あんまり意味がないような気がしてきた。
注射をしてもしなくても、結局痛いし、日常生活は変わらない。

もちろん、即効性があって持続性がある治療なんて、すぐに見つからない。
それはわかってた。
だけど、劇のためになんとか痛みが軽くならないかと思っていたし、いろいろ考えて、この治療はやめることにした。
手術前も入れると4年ほど痛みに振り回されてる。

痛みがなくても、日本では一歩外に出たら、NZのようにバリアフリーなわけじゃないから、物理的に障害を突きつけられる。
だけど、建物がバリアフリーでも、常に自分が人と違うという事を意識せざるを得ない事も多い。
ただの一個人になれる「休憩」がなく、次々に出てくる健康上の問題まで取り組む意欲がなくなってしまった。痛みなんて生死に関わるわけじゃないし。

海外に出たことのない日本の障害者からすれば、なんて贅沢なと思うかもしれまい。
だけど一度知ってしまったには、一日で良いから、障害から休憩したかった。
それに持ってきてこの腰痛騒ぎ。
痛いもんだから、周りの人は当然「腰のぐあいはどう?」「痛みは大変ね」「こんな病院があるよ」
気にかけていただけるのは幸せなことだけれど、ますます逃げられなくなって、休憩ができなくて、障害に縛られてしまった。

だから治療はやめた。一旦休憩。
もちろん痛いけれど、障害を忘れようと普通に生活しようと努力しても裏目に出るだけだし、痛み止めも飲んで、心だけでも休んで、好きなことをして、とりあえず寝よう。
精神的にしんどいことはしばらくやめて、身体に負担がかかってもやりたいことだけやろう。

目下の目標は劇を無事に終える事。

は大して演技に興味があったわけではない。
劇をしたのは、劇団の人々が、を「普通」に扱ってくれて、そこにいる間は気持ちだけでも障害から離れられることができたから。
建物や人によるバリアに出くわすと、一緒に怒ってくれる。
私が唯一、素のままで「所属している」と思えた場所だった。
出かける言い訳にもなったしね。
もちろん身体の負担は大きかったけど、やってよかった。

数ヵ月後、痛みの治療を再開するかもしれない。
でもそれまでは、NZのときとまでは行かなくても、なるべく障害のことは考えないように過ごそう・・・