ここ数ヶ月、二分脊椎の知り合いの訃報が重なり、NZ滞在中にも二人亡くし、しかも私の年代だったので、かなり不安定な日々を送った。
留学するまで(19歳)二分脊椎は、手術か何かすれば治ると思っていて、いろいろ医療サポートをしないと、特に腎臓なんかは怠ると死んでしまう障害だと思ってもいなかった。
二分脊椎の人は回りに一人もおらず、びっくりしたNZの語学学校のスタッフや友達のお母さん、カウンセラーやドクターが、CCSという障害児の団体に私を加入させてくれた。(二分脊椎を英語で説明できなかったし…)
そこで知り合った二人の同世代の二分脊椎の女性が相次いで突然死。
日本に帰国しても、数人、亡くなったのを知った。かなり動揺した。
私より小さい頃から医療に関わって治療してきた人が亡くなる。なんだか・・・
「一寸法師」のお話。
どこかで最近読んだ。不利な条件をかかえて生まれてきた一寸法師は、がんばって鬼と戦って、最後にうちでの小槌を手に入れて大きくなり、姫様と結婚して、故郷に錦を飾って、おじいさんとおばあさんに、今まで狭い思いさせてきた挽回をする。
私も「がんばって戦って、勝てば他の人と並べるくらい、一寸になれるための小槌は手にはいるかもしれない。そしたら認めてもらえるかも。」
その一心で、いろいろがんばったように思う。
頑張れたことは良かった。でも、私も自分のためというより「狭い思いさせた挽回」のために戦ってきたと思う。
でももしかしたら、死んじゃうかもしれない可能性がある?
挽回の前に?
他の人とおなじ大きさになる前に?
一寸の自分を否定したり、あたかも普通の大きさのようにふるまったり、
一寸の自分を嘆き悲しんだり。
戦うのを止めて、一寸のままなのに、普通サイズの世界で楽しく過ごせる矛盾と、うちでの小槌のために戦わなきゃいけないプレッシャー。
あせり。
特に黙想に一人で行けてから、どうにもあせってしまい、強くあらねばという自分への期待と、そうできない現実にあせった。
「
ちゃん、数人の訃報はニュースになるの。数千人の生きてる元気な二分脊椎は話題にならないの。
は
以上でも以下でもないの。一寸でもいい。0.5寸でもいいわ。姫様と結婚したあとの話はないじゃないの。結婚して幸せになったかは書いてないのよ」
そうか、一寸でも「挽回のため」でなく、一寸のからだに囚われなければ、一寸でも0.5寸でもいいんだ。