めんず「でー」→「デー」ヴ(デーヴ)
ときどきニュースになるが、ネット上で「なりすまし」をして、なにが楽しいのかと思う。
好感度の高い有名人だけでなく、お騒がせ芸能人になりすますヤツも居るし。
だから注目を集めたいほかに、本人を困らせてやりたいというのと、騙されてフォローしたり友達申請してくるものを笑いたいという「どうにも病んだ」欲求があるのだろう。
どちらにしても、暗いヤツだ。
結局は仮の姿のわけでね。
そんなもの、悲哀しか感じないよ。
チャップリンも『独裁者』(40)のなかでいっているじゃないか、
独裁者ヒンケルと「うりふたつ」だった床屋のチャーリーが最後に演説をする場面で、「わたしはこんな制服なんて、着たくない」って。
『太陽がいっぱい』(60)のアラン・ドロンは、金持ちの友人に「なりすまして」最初は楽しかったかもしれない。
でも完全犯罪を成功させ、(最後の最後に墓穴を掘るものの)楽しげに振舞う彼の姿は、やっぱり滑稽で哀しい。
まだ美男子だから絵になるが、現実はそうじゃない。パソコン遠隔操作の男じゃないが、ああいうのが自意識だけを肥大させているケースがほとんどだろう。
「なりすまし」は映画と相性がいい。
上に挙げた作品だけでなく、有名なものだけを挙げれば『パラドールにかかる月』(88)や『フェイス/オフ』(97)、そして『アンノウン』(2011)もこのテーマを扱っている。
沢山あるなかでひとつを選ぶとするならば・・・
『独裁者』は別格だから省いたとして、やっぱり『デーヴ』(93)になるかなぁ。
『ゴーストバスターズ』(84)で知られる監督、アイヴァン・ライトマンの現時点における最高傑作だと思う。
大統領のモノマネ芸を副業にしている男デーヴ(ケヴィン・クライン)は、声や動作だけでなく、顔そのものが現職の大統領ビル(クラインの二役)に似ている。
彼は政府から影武者を依頼され、なんとなく受け入れる。
ホンモノは極秘事項に関わっているために影武者を用意した―とデーヴは解釈したが、実際はちがった。
ビルは秘書と浮気をしていたのである。(クリントン事件の前の話だ!笑)
しかしビルは、セックスで果てたと同時に意識を失う。
法律では「事故が発生した場合は、副大統領が…」とあるが、大統領特別補佐官のボブは副大統領が大嫌い。
そこで影武者が「少しのあいだだけ」大統領に「なりすます」ことになり・・・。
※淀川センセーの解説をどうぞ
影武者がホンモノより使える―いかにも映画的ではあるが、
ネットの「なりすまし」とはちがって、要人だったら「なりすまし」自体は「あり得る」話だ。
北朝鮮とか、ビン・ラディンとかね。
日本の歴代首相はどうかな・・・
たとえば安倍さんや小泉さんは特徴的だが、探し難いと思う。小渕さんだったら、1000人くらい候補者が居そうだよね・・・なんつって。
さてこの映画、クラインだけでなく、ファーストレディを演じたシガーニー・ウィーバーも、シークレット・サービスを演じたビング・ライムズも素晴らしいのだが、
いちばんに褒めるべきは脚本の「決着のつけかた」だと思う。
こういう物語は結局、最後をどうするのかで評価が決まる。
デーヴがデーヴに戻るとき。
国民に、真実を知らせるとき。
この決着のつけかたが、じつにスマートなのである。
脚本のゲイリー・ロスは、トム・ハンクスの『ビッグ』(88)や、ヒット作『ハンガー・ゲーム』(2012)を手がけたひと。
あぁなるほど、職人だなぁ!! と思った。
次回のしりとりは・・・
デー「ヴ」(ぶ)→「ぶ」る。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『来訪者』
ときどきニュースになるが、ネット上で「なりすまし」をして、なにが楽しいのかと思う。
好感度の高い有名人だけでなく、お騒がせ芸能人になりすますヤツも居るし。
だから注目を集めたいほかに、本人を困らせてやりたいというのと、騙されてフォローしたり友達申請してくるものを笑いたいという「どうにも病んだ」欲求があるのだろう。
どちらにしても、暗いヤツだ。
結局は仮の姿のわけでね。
そんなもの、悲哀しか感じないよ。
チャップリンも『独裁者』(40)のなかでいっているじゃないか、
独裁者ヒンケルと「うりふたつ」だった床屋のチャーリーが最後に演説をする場面で、「わたしはこんな制服なんて、着たくない」って。
『太陽がいっぱい』(60)のアラン・ドロンは、金持ちの友人に「なりすまして」最初は楽しかったかもしれない。
でも完全犯罪を成功させ、(最後の最後に墓穴を掘るものの)楽しげに振舞う彼の姿は、やっぱり滑稽で哀しい。
まだ美男子だから絵になるが、現実はそうじゃない。パソコン遠隔操作の男じゃないが、ああいうのが自意識だけを肥大させているケースがほとんどだろう。
「なりすまし」は映画と相性がいい。
上に挙げた作品だけでなく、有名なものだけを挙げれば『パラドールにかかる月』(88)や『フェイス/オフ』(97)、そして『アンノウン』(2011)もこのテーマを扱っている。
沢山あるなかでひとつを選ぶとするならば・・・
『独裁者』は別格だから省いたとして、やっぱり『デーヴ』(93)になるかなぁ。
『ゴーストバスターズ』(84)で知られる監督、アイヴァン・ライトマンの現時点における最高傑作だと思う。
大統領のモノマネ芸を副業にしている男デーヴ(ケヴィン・クライン)は、声や動作だけでなく、顔そのものが現職の大統領ビル(クラインの二役)に似ている。
彼は政府から影武者を依頼され、なんとなく受け入れる。
ホンモノは極秘事項に関わっているために影武者を用意した―とデーヴは解釈したが、実際はちがった。
ビルは秘書と浮気をしていたのである。(クリントン事件の前の話だ!笑)
しかしビルは、セックスで果てたと同時に意識を失う。
法律では「事故が発生した場合は、副大統領が…」とあるが、大統領特別補佐官のボブは副大統領が大嫌い。
そこで影武者が「少しのあいだだけ」大統領に「なりすます」ことになり・・・。
※淀川センセーの解説をどうぞ
影武者がホンモノより使える―いかにも映画的ではあるが、
ネットの「なりすまし」とはちがって、要人だったら「なりすまし」自体は「あり得る」話だ。
北朝鮮とか、ビン・ラディンとかね。
日本の歴代首相はどうかな・・・
たとえば安倍さんや小泉さんは特徴的だが、探し難いと思う。小渕さんだったら、1000人くらい候補者が居そうだよね・・・なんつって。
さてこの映画、クラインだけでなく、ファーストレディを演じたシガーニー・ウィーバーも、シークレット・サービスを演じたビング・ライムズも素晴らしいのだが、
いちばんに褒めるべきは脚本の「決着のつけかた」だと思う。
こういう物語は結局、最後をどうするのかで評価が決まる。
デーヴがデーヴに戻るとき。
国民に、真実を知らせるとき。
この決着のつけかたが、じつにスマートなのである。
脚本のゲイリー・ロスは、トム・ハンクスの『ビッグ』(88)や、ヒット作『ハンガー・ゲーム』(2012)を手がけたひと。
あぁなるほど、職人だなぁ!! と思った。
次回のしりとりは・・・
デー「ヴ」(ぶ)→「ぶ」る。
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明日のコラムは・・・
『来訪者』