「あの一件」以来、朝日新聞の部数が激減しているという。
(広告の掲載を拒否された)雑誌社によるネガティブキャンペーンかな・・・と思っていたが、現場の声をまとめた結果、実際に激減していることが分かった。
現場の声―それを売っているひとたち。
もう少しいえば、紙面の内容には関わっていないひとたち。
そう、喰うために「たまたま」そこを選んだというひとが大多数のはずで、彼ら彼女らに罪はない。
ないにも関わらず、集金時にお客さんから罵声を浴びせられる。購読料「支払いの拒否」をされる。
Aさんはいう、「罵声はまだいいよ。頭を下げてすいませんという態度を取ればいい。支払い拒否が困るんだ。結局、こっちが自腹で払っている」
そんな馬鹿な!
とは思うが、そこからの面倒なアレヤコレヤを想像すると「自腹のほうがマシ」と考えてしまうらしい。
彼は結局、7枚の領収証をゴミ箱に捨てた。
朝・夕刊のセットで4037円、だから手取りから28000円を引いた額が、彼のほんとうの給料なんだ。
新聞奨学生をやっていたものとして、同情を禁じ得ないなぁ。
もしあのころに問題が起きていたとしたら、どうしていただろうな。
・・・・・。
やっぱり、同じことをしていた気がするのだよねぇ。
朝日を擁護する気なんてさらさらないが、
検証記事を載せて社説や天声人語で謝罪して、「いちおうは」社長が会見もして、
「まだ足りん!」というのは、なんかちがうと思う。
そりゃ一大事であることは理解している、
しかし、そっち系―右だの左だの、もう古いと思う。だからそういう表現は使わない―の雑誌による「廃刊せよ!」と煽っている記事を読むと、そういう問題なのかな? と。
雑誌『マルコポーロ』廃刊騒動を思い出す。
好きな雑誌だったが、
「ナチスのガス室はなかった」というトンデモ記事を載せ、あっという間に廃刊に追い込まれたっけ。
ともかく「騒動の渦中」に居る池上さんまで「叩いて終わりでいいのか」といっている、もうちょっと建設的な話をしようぜと。
こんなバカチンでも「この先」を考えようぜと、そんな風に思っている。
で、そういう状況下にあって、朝日の記者はどんなモチベーションで仕事をこなしているのだろうか。
それはそれとして―と開き直ってモノを書いているひとも居るだろう。
けれどもなかには、理想と現実、倫理のあいだで悩み苦しみ、一文字も書けないひとだって居るのではないか。
そんな精神性では記者はやれない?
そうかもしれないが、そういう熱い記者が居てくれたほうが、なんとなく安心出来ないか?
自分は主に、鬼畜系エロ雑誌でモノを書いている。
新聞記事を任される立場にはないけれど、やってみたいのは三面記事かなぁ。
エラソーな社説は柄ではないし、長文派だから天声人語みたいなのも無理。
痴情のもつれから起こった殺人事件などを報じる社会面であれば、多少の色をつけてオモシロオカシク書ける自信はある。
・・・って、おいおい、そういうのが問題になっているんじゃないか。
ジョークでも、そういうことをいってはいけないんだ。
以下は、映画に登場する新聞記者の10傑。
こういう記者だらけになれば、ネット時代の現代でも、新聞は「もっともっと」読まれるようになると思うんだよね。
(1)『天国と地獄』(63)
記者A「けど、うまいねぇ刑事さんも」
戸倉警部「えっ」
記者A「空いた記事の穴埋めに、ナショナルシューズを叩こうってわけでしょう」
戸倉警部「いやぁ(笑う)」
記者A「しょうがねぇ、盛大に叩くか!!」
メディアが世論を形成していく過程を描いて、見事。
(2)『ローマの休日』(53)
夢のような話だけどね。
(3)『キリング・フィールド』(84)
カンボジア内戦を取材する、アメリカ人ジャーナリストと現地新聞記者の友情。
抱き合うふたりを見つめる現地のひとびと、そこに流れる『イマジン』―最高のラストシーンである。
(4)『大統領の陰謀』(76)
ウォーターゲート事件の主役は、大統領ではなく新聞記者たちだ。
(5)『甘い生活』(60)
「こういう記者だらけになれば」という前言を撤回しなければいけないかも。
ゴシップ記事を得意とする主人公マルチェロの日常を通し、現代社会を批評するフェリーニの代表作。
自分にとっての初フェリーニ映画であり、テーマは「?」だったが、その迫力にやられた。
(6)『スーパーマン』(78)
仮の姿は、クラーク・ケントという「パッとしない」新聞記者である。
(7)『市民ケーン』(41)
顔を見せることのない新聞記者が、この映画の狂言回しとなっている。
(8)『クライマーズハイ』(2008)
日航機墜落事故を、新聞記者の視点で描いた群像劇。
このころの堺雅人の自然な演技が、いちばん好きだったなぁ。
(9)『遠い夜明け』(87)
南アフリカでアパルトヘイト撲滅運動をおこなう活動家と、新聞記者の友情。
活動家ビコを演じたデンゼル・ワシントンは、この映画から注目された。
(10)『カプリコン1』(77)
国家の大がかりな「捏造」を暴く―新聞記者の本分というものは、本来ここにあるのだろうなぁ!!
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(245)時任三郎』
(広告の掲載を拒否された)雑誌社によるネガティブキャンペーンかな・・・と思っていたが、現場の声をまとめた結果、実際に激減していることが分かった。
現場の声―それを売っているひとたち。
もう少しいえば、紙面の内容には関わっていないひとたち。
そう、喰うために「たまたま」そこを選んだというひとが大多数のはずで、彼ら彼女らに罪はない。
ないにも関わらず、集金時にお客さんから罵声を浴びせられる。購読料「支払いの拒否」をされる。
Aさんはいう、「罵声はまだいいよ。頭を下げてすいませんという態度を取ればいい。支払い拒否が困るんだ。結局、こっちが自腹で払っている」
そんな馬鹿な!
とは思うが、そこからの面倒なアレヤコレヤを想像すると「自腹のほうがマシ」と考えてしまうらしい。
彼は結局、7枚の領収証をゴミ箱に捨てた。
朝・夕刊のセットで4037円、だから手取りから28000円を引いた額が、彼のほんとうの給料なんだ。
新聞奨学生をやっていたものとして、同情を禁じ得ないなぁ。
もしあのころに問題が起きていたとしたら、どうしていただろうな。
・・・・・。
やっぱり、同じことをしていた気がするのだよねぇ。
朝日を擁護する気なんてさらさらないが、
検証記事を載せて社説や天声人語で謝罪して、「いちおうは」社長が会見もして、
「まだ足りん!」というのは、なんかちがうと思う。
そりゃ一大事であることは理解している、
しかし、そっち系―右だの左だの、もう古いと思う。だからそういう表現は使わない―の雑誌による「廃刊せよ!」と煽っている記事を読むと、そういう問題なのかな? と。
雑誌『マルコポーロ』廃刊騒動を思い出す。
好きな雑誌だったが、
「ナチスのガス室はなかった」というトンデモ記事を載せ、あっという間に廃刊に追い込まれたっけ。
ともかく「騒動の渦中」に居る池上さんまで「叩いて終わりでいいのか」といっている、もうちょっと建設的な話をしようぜと。
こんなバカチンでも「この先」を考えようぜと、そんな風に思っている。
で、そういう状況下にあって、朝日の記者はどんなモチベーションで仕事をこなしているのだろうか。
それはそれとして―と開き直ってモノを書いているひとも居るだろう。
けれどもなかには、理想と現実、倫理のあいだで悩み苦しみ、一文字も書けないひとだって居るのではないか。
そんな精神性では記者はやれない?
そうかもしれないが、そういう熱い記者が居てくれたほうが、なんとなく安心出来ないか?
自分は主に、鬼畜系エロ雑誌でモノを書いている。
新聞記事を任される立場にはないけれど、やってみたいのは三面記事かなぁ。
エラソーな社説は柄ではないし、長文派だから天声人語みたいなのも無理。
痴情のもつれから起こった殺人事件などを報じる社会面であれば、多少の色をつけてオモシロオカシク書ける自信はある。
・・・って、おいおい、そういうのが問題になっているんじゃないか。
ジョークでも、そういうことをいってはいけないんだ。
以下は、映画に登場する新聞記者の10傑。
こういう記者だらけになれば、ネット時代の現代でも、新聞は「もっともっと」読まれるようになると思うんだよね。
(1)『天国と地獄』(63)
記者A「けど、うまいねぇ刑事さんも」
戸倉警部「えっ」
記者A「空いた記事の穴埋めに、ナショナルシューズを叩こうってわけでしょう」
戸倉警部「いやぁ(笑う)」
記者A「しょうがねぇ、盛大に叩くか!!」
メディアが世論を形成していく過程を描いて、見事。
(2)『ローマの休日』(53)
夢のような話だけどね。
(3)『キリング・フィールド』(84)
カンボジア内戦を取材する、アメリカ人ジャーナリストと現地新聞記者の友情。
抱き合うふたりを見つめる現地のひとびと、そこに流れる『イマジン』―最高のラストシーンである。
(4)『大統領の陰謀』(76)
ウォーターゲート事件の主役は、大統領ではなく新聞記者たちだ。
(5)『甘い生活』(60)
「こういう記者だらけになれば」という前言を撤回しなければいけないかも。
ゴシップ記事を得意とする主人公マルチェロの日常を通し、現代社会を批評するフェリーニの代表作。
自分にとっての初フェリーニ映画であり、テーマは「?」だったが、その迫力にやられた。
(6)『スーパーマン』(78)
仮の姿は、クラーク・ケントという「パッとしない」新聞記者である。
(7)『市民ケーン』(41)
顔を見せることのない新聞記者が、この映画の狂言回しとなっている。
(8)『クライマーズハイ』(2008)
日航機墜落事故を、新聞記者の視点で描いた群像劇。
このころの堺雅人の自然な演技が、いちばん好きだったなぁ。
(9)『遠い夜明け』(87)
南アフリカでアパルトヘイト撲滅運動をおこなう活動家と、新聞記者の友情。
活動家ビコを演じたデンゼル・ワシントンは、この映画から注目された。
(10)『カプリコン1』(77)
国家の大がかりな「捏造」を暴く―新聞記者の本分というものは、本来ここにあるのだろうなぁ!!
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明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(245)時任三郎』