う「ち」→「ち」ちおや
映画のなかの父親は・・・
印象ね、きっちりと統計を取ったわけではなく、あくまでも印象で、
映画のなかの母親に比べると存在感がない。
母親なら100選くらい簡単に出来そうなのだけれど、今回は父親で5選を展開してみますね^^
『悪い奴ほどよく眠る』(60)
森雅之が好演。

息子(三橋達也)にとっても娘(香川京子)にとっても「よきパパ」でしかない、
しかし会社の重役としては「とことん悪い奴」で、なんと殺し屋まで雇うのであった。
『チョコレート』(2001)
白人と黒人、しかもお互い脛に傷を持つもの同士の恋愛。
に、ひと噛みしてくる白人の父親は、もう根っからのレイシストなのであった。
おそらく差別感情は幼少のころからで、黒人の彼女に軽口を叩く場面などは、そこまで深い意味はなく、日常会話の延長線上として「自然と出てきてしまう」質の悪いジョークなのだろう。

『砂の器』(74)
「オラ、知らねー!」と絶叫する本浦千代吉(加藤嘉)。
あんな過去を持つ父子を再会させたかった三木謙一(緒形拳)の想いも分かるし、
過去を消したい和賀英良(=本浦 秀夫・加藤剛)の気持ちも分かる。
もちろん、写真を見せられて知らない振りをする千代吉のことも。
『カノン』(98)
こんな男が娘を持っちゃいかんでしょう、父親になっちゃいかんでしょう。
そんな、最低な要素だけで出来ているような男が主人公。

だからこそ刺さるものがある、ってことだと思う。
そして。
『ゴッドファーザー』(72)
のちにドンとなるマイケルの苦悩は、父ビトーの偉大さによるものだったのか。

3部作のサーガすべてを観るのには時間も体力も要するが、時代の変化をきちんと取り込んでいるコッポラの視点の確かさを実感するには、一気見するのがベストなのよね~。。。
あすのしりとりは・・・
ちちお「や」→「や」ま。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(494)』
映画のなかの父親は・・・
印象ね、きっちりと統計を取ったわけではなく、あくまでも印象で、
映画のなかの母親に比べると存在感がない。
母親なら100選くらい簡単に出来そうなのだけれど、今回は父親で5選を展開してみますね^^
『悪い奴ほどよく眠る』(60)
森雅之が好演。

息子(三橋達也)にとっても娘(香川京子)にとっても「よきパパ」でしかない、
しかし会社の重役としては「とことん悪い奴」で、なんと殺し屋まで雇うのであった。
『チョコレート』(2001)
白人と黒人、しかもお互い脛に傷を持つもの同士の恋愛。
に、ひと噛みしてくる白人の父親は、もう根っからのレイシストなのであった。
おそらく差別感情は幼少のころからで、黒人の彼女に軽口を叩く場面などは、そこまで深い意味はなく、日常会話の延長線上として「自然と出てきてしまう」質の悪いジョークなのだろう。

『砂の器』(74)
「オラ、知らねー!」と絶叫する本浦千代吉(加藤嘉)。
あんな過去を持つ父子を再会させたかった三木謙一(緒形拳)の想いも分かるし、
過去を消したい和賀英良(=本浦 秀夫・加藤剛)の気持ちも分かる。
もちろん、写真を見せられて知らない振りをする千代吉のことも。
『カノン』(98)
こんな男が娘を持っちゃいかんでしょう、父親になっちゃいかんでしょう。
そんな、最低な要素だけで出来ているような男が主人公。

だからこそ刺さるものがある、ってことだと思う。
そして。
『ゴッドファーザー』(72)
のちにドンとなるマイケルの苦悩は、父ビトーの偉大さによるものだったのか。

3部作のサーガすべてを観るのには時間も体力も要するが、時代の変化をきちんと取り込んでいるコッポラの視点の確かさを実感するには、一気見するのがベストなのよね~。。。
あすのしりとりは・・・
ちちお「や」→「や」ま。
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(494)』