映画史上で最高の恋文といえば、やはり『ピアノ・レッスン』(93)の「鍵盤に刻まれた愛のことば」だろう。
声を捨てた(=彼女は、聾唖とは自覚していない)エイダというキャラクターだからこそ突き刺さる、
「わたしのこころはあなたのもの」ということば、
これもらって振る男は、ろくなもんじゃないね。
まぁでも、それを見てしまった旦那の絶望と嫉妬といったらないけれど。
だからこそ、ピアノを弾くために必要な、ことばを記すために必要な「指」を「処刑」したわけで。
それにしても。
サム・ニールという俳優、どうしてこうも「不憫な夫役」が似合うのか。
それにしても。
ハーベイ・カイテルという俳優、どうしてこうも「上半身裸」が似合うのか。
それは関係ないか。
長文派の自分は、エイダのような、短いけれど決定的なことばは記さない。
本コラムのように、あーだこーだと脱線を繰り返すのが常だが、基本的には、斉藤和義っぽく? 「君を笑わせたい」とか、「君の姿を確認しただけで元気が出る」とか、もらってうれしいと思えるような恋文になるよう心がけている。
インパクトはないけれど、ちょっとチャーミング、、、みたいな。
これは恋文ではないが、『それから』の代助のように、
「僕の人生には、どうしてもあなたが必要だ」
なんてことばも、ほんとうは加えてみたいのだけれども。
小学生のころに好きになった石川陽子ちゃんには、3度ほど告白している。
1度目は確か小学校2年時、2度目は小学校4年時、そして3度目は高校1年時。
いずれも「ごめんなさい」だったのは哀しいが、優しい陽子ちゃんは「興味ない」とか「好きなひとが居る」とはいわなかった。
優等生らしく「勉強をいちばんに考えたいから」と、答えたのである。
3度目は、母校である第七小学校の校庭に呼び出して告白。
1度目はなんと、カセットテープに想いを録音しての告白。
2度目の告白が、恋文だった。
なんと書いたのかは、はっきりとは覚えていない。
ただ「いちど振られているけれど、やっぱり好きだ」みたいな内容だったことは、なんとなく覚えている。
便箋にして、3枚。
その便箋が「うちのタマ、知りませんか」
だったことが(懐かし過ぎて)泣かせるが、何度も何度も新聞チラシの裏に下書きをしたものだった。
いまでもそうだが・・・
完成した恋文を読み返し、よし! いける! と、根拠のまったくない自信を抱いていた。
「ダメモト」ではなく、なんとなくうまくいくと思っていたんだよね。とんだバカヤロウだ。
そういう意味では、文章を書くのが得意と自覚していなかったものの、
無意識的には自分の文章は巧いと思っていたわけだ。
そういえば。
何度も書いて何度も渡した恋文というものを、自分はもらったことがない。
断ってしまったけれど、そのひとに対して嫌悪は抱いていないとして・・・
そういう恋文って、どうしているのだろうか。
断ると同時に捨てるのか、
ある一定期間? だけは取っておくのか、
それとも、ずっと取っておくのだろうか。
いっぱいもらったことがあるという、モテモテのあなた・・・そこんとこ、ちょっと教えてちょうだいよ。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『punch、、、ららら~♪』
声を捨てた(=彼女は、聾唖とは自覚していない)エイダというキャラクターだからこそ突き刺さる、
「わたしのこころはあなたのもの」ということば、
これもらって振る男は、ろくなもんじゃないね。
まぁでも、それを見てしまった旦那の絶望と嫉妬といったらないけれど。
だからこそ、ピアノを弾くために必要な、ことばを記すために必要な「指」を「処刑」したわけで。
それにしても。
サム・ニールという俳優、どうしてこうも「不憫な夫役」が似合うのか。
それにしても。
ハーベイ・カイテルという俳優、どうしてこうも「上半身裸」が似合うのか。
それは関係ないか。
長文派の自分は、エイダのような、短いけれど決定的なことばは記さない。
本コラムのように、あーだこーだと脱線を繰り返すのが常だが、基本的には、斉藤和義っぽく? 「君を笑わせたい」とか、「君の姿を確認しただけで元気が出る」とか、もらってうれしいと思えるような恋文になるよう心がけている。
インパクトはないけれど、ちょっとチャーミング、、、みたいな。
これは恋文ではないが、『それから』の代助のように、
「僕の人生には、どうしてもあなたが必要だ」
なんてことばも、ほんとうは加えてみたいのだけれども。
小学生のころに好きになった石川陽子ちゃんには、3度ほど告白している。
1度目は確か小学校2年時、2度目は小学校4年時、そして3度目は高校1年時。
いずれも「ごめんなさい」だったのは哀しいが、優しい陽子ちゃんは「興味ない」とか「好きなひとが居る」とはいわなかった。
優等生らしく「勉強をいちばんに考えたいから」と、答えたのである。
3度目は、母校である第七小学校の校庭に呼び出して告白。
1度目はなんと、カセットテープに想いを録音しての告白。
2度目の告白が、恋文だった。
なんと書いたのかは、はっきりとは覚えていない。
ただ「いちど振られているけれど、やっぱり好きだ」みたいな内容だったことは、なんとなく覚えている。
便箋にして、3枚。
その便箋が「うちのタマ、知りませんか」
だったことが(懐かし過ぎて)泣かせるが、何度も何度も新聞チラシの裏に下書きをしたものだった。
いまでもそうだが・・・
完成した恋文を読み返し、よし! いける! と、根拠のまったくない自信を抱いていた。
「ダメモト」ではなく、なんとなくうまくいくと思っていたんだよね。とんだバカヤロウだ。
そういう意味では、文章を書くのが得意と自覚していなかったものの、
無意識的には自分の文章は巧いと思っていたわけだ。
そういえば。
何度も書いて何度も渡した恋文というものを、自分はもらったことがない。
断ってしまったけれど、そのひとに対して嫌悪は抱いていないとして・・・
そういう恋文って、どうしているのだろうか。
断ると同時に捨てるのか、
ある一定期間? だけは取っておくのか、
それとも、ずっと取っておくのだろうか。
いっぱいもらったことがあるという、モテモテのあなた・・・そこんとこ、ちょっと教えてちょうだいよ。
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明日のコラムは・・・
『punch、、、ららら~♪』
ドンマイ
ファイトです
同じ人に3回も告白~凄いですね~(@@
『ピアノ・レッスン』私もこの映画は心に残りました。レンタルで見直してみようかしら?
また違う印象を受けるかも知れませんね。