自分の住む町田市は、「そこそこ」緑の多いところだと思う。
都心に比べて―の話ではあるが、いやしかし、では「どのへんが?」と問われると、
ほら、あそこにも緑があるし、ここにも・・・などとは返せない。
ふだん、緑に目が行かないからである。
いちばん好きな色は、緑のクセしてね。
その昔、自宅に遊びに来てくれた友人の女子が「まっき~の家には、緑が足りないから」と、観葉植物やサボテンを持ってきてくれたことがあった。
興味がまったくないわけではないが、そのくらい緑に関して「うとい」のだ。
チャリでどこにだって行くし、ジョギングもするし、「モノばかり書く日常だから」と散歩することだってある。
しかしそれでも、緑は目に入らない。
そうか、ひとって、意識を持たなければ「そこにあるもの」でも「見えていないことにする」イキモノなんだな、、、と思った。
では、チャリに乗っていて走っていて歩いていて、いったいなにを見ているのか。
大抵は、女子と、チャリなのである。
美女ウォッチャーなのだから前者は説明不要だろうが・・・
街を歩く女子は、とりあえず見る。
「ガン見」することはないが、いや、ときどきあるけれど、視線を感じた女子のほとんどが「前髪を触ったりする」という調査結果? を発表出来るほどに見ている。
しかも、頭のてっぺんから足の爪先まで。
脚70、顔20、残り10の妙な割合だけれどもね!
そして、美しいものはどこからどう見ても美しいものだなぁ、、、などと感動し、本来の移動目的を忘れてしまうことも。
自分にとっては金が一切かからぬエンタメのひとつということだが、見られるほうはたまったものではないのかもしれない。
ただもちろん見るだけで無害なのだから、糾弾されるのはお門違いだ。助平な自分ではなく、どうか自身の美しさを責めてほしい。
罪なおんなだよ、まったく。
って、誰に向けていってんだ?
ふたつめの、チャリ。
他者が乗るチャリに、異常なほど関心を示すところがある。
単にチャリ好きだから―では片付けられないレベルで、格好いいチャリが通る度にキョロキョロすることになる。
度を超えたバイカーやカーマニアもそういうところがあるよね、
知らぬものに対し「くそー、生意気にあんなのに乗りやがって」と思ったり、もっと単純に「かっけー!!」と感嘆したり。
あっち(女子)を見て、こっち(チャリ)を見て、そっち(チャリ2)を見たら、向こう(女子2)のほうまで気にしたり。
要は女子が格好いいチャリに乗っていれば満点? で、そうすればキョロキョロする必要がなくなるのだろう。彼女が怖がって逃げ出すまで「ガン見」してやるぜ、、、と。
それはともかく。
38歳でこれじゃあ、さすがに落ち着きがなさ過ぎると思う。
ただどういうわけか、緑を眺めるという大人な? 行為を試せないのである。
・・・というような自分の生態というか体質というか、そういうものを、友人知人のブログなどを見て気づかされることが多い。
かなりの確率で皆が、自然風景の写真などをアップしているから。
自分のブログやフェイスブックは、映画か美女の画像ばかりで、緑がない。
ことば遊びのつもりはないが、華はあるのに緑はない。
撮ろうという気も起こらない―というのが本音ではあるものの、ただ、いい写真に触れると「素晴らしい緑だなぁ」とか思うことはあるわけで。
だから先日、デジカメを持って散歩をしてみた。
頑張って? 緑を撮ってみようと思ったのである。
それなのに。
あぁそれなのに。
自分では緑にフォーカスをあわせシャッターを押したはずなのに、フォルダを開いてみると、そこに映っていたのは下校中の女子高生だった。
無意識、たぶん無意識のことだ。
つまりこれが、自分の性だというわけなのだろう。
※あるくシーンが「えれー」格好いい映画、『ジャッキー・ブラウン』のオープニング
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『聖林、、、だけじゃないぜよ。』
都心に比べて―の話ではあるが、いやしかし、では「どのへんが?」と問われると、
ほら、あそこにも緑があるし、ここにも・・・などとは返せない。
ふだん、緑に目が行かないからである。
いちばん好きな色は、緑のクセしてね。
その昔、自宅に遊びに来てくれた友人の女子が「まっき~の家には、緑が足りないから」と、観葉植物やサボテンを持ってきてくれたことがあった。
興味がまったくないわけではないが、そのくらい緑に関して「うとい」のだ。
チャリでどこにだって行くし、ジョギングもするし、「モノばかり書く日常だから」と散歩することだってある。
しかしそれでも、緑は目に入らない。
そうか、ひとって、意識を持たなければ「そこにあるもの」でも「見えていないことにする」イキモノなんだな、、、と思った。
では、チャリに乗っていて走っていて歩いていて、いったいなにを見ているのか。
大抵は、女子と、チャリなのである。
美女ウォッチャーなのだから前者は説明不要だろうが・・・
街を歩く女子は、とりあえず見る。
「ガン見」することはないが、いや、ときどきあるけれど、視線を感じた女子のほとんどが「前髪を触ったりする」という調査結果? を発表出来るほどに見ている。
しかも、頭のてっぺんから足の爪先まで。
脚70、顔20、残り10の妙な割合だけれどもね!
そして、美しいものはどこからどう見ても美しいものだなぁ、、、などと感動し、本来の移動目的を忘れてしまうことも。
自分にとっては金が一切かからぬエンタメのひとつということだが、見られるほうはたまったものではないのかもしれない。
ただもちろん見るだけで無害なのだから、糾弾されるのはお門違いだ。助平な自分ではなく、どうか自身の美しさを責めてほしい。
罪なおんなだよ、まったく。
って、誰に向けていってんだ?
ふたつめの、チャリ。
他者が乗るチャリに、異常なほど関心を示すところがある。
単にチャリ好きだから―では片付けられないレベルで、格好いいチャリが通る度にキョロキョロすることになる。
度を超えたバイカーやカーマニアもそういうところがあるよね、
知らぬものに対し「くそー、生意気にあんなのに乗りやがって」と思ったり、もっと単純に「かっけー!!」と感嘆したり。
あっち(女子)を見て、こっち(チャリ)を見て、そっち(チャリ2)を見たら、向こう(女子2)のほうまで気にしたり。
要は女子が格好いいチャリに乗っていれば満点? で、そうすればキョロキョロする必要がなくなるのだろう。彼女が怖がって逃げ出すまで「ガン見」してやるぜ、、、と。
それはともかく。
38歳でこれじゃあ、さすがに落ち着きがなさ過ぎると思う。
ただどういうわけか、緑を眺めるという大人な? 行為を試せないのである。
・・・というような自分の生態というか体質というか、そういうものを、友人知人のブログなどを見て気づかされることが多い。
かなりの確率で皆が、自然風景の写真などをアップしているから。
自分のブログやフェイスブックは、映画か美女の画像ばかりで、緑がない。
ことば遊びのつもりはないが、華はあるのに緑はない。
撮ろうという気も起こらない―というのが本音ではあるものの、ただ、いい写真に触れると「素晴らしい緑だなぁ」とか思うことはあるわけで。
だから先日、デジカメを持って散歩をしてみた。
頑張って? 緑を撮ってみようと思ったのである。
それなのに。
あぁそれなのに。
自分では緑にフォーカスをあわせシャッターを押したはずなのに、フォルダを開いてみると、そこに映っていたのは下校中の女子高生だった。
無意識、たぶん無意識のことだ。
つまりこれが、自分の性だというわけなのだろう。
※あるくシーンが「えれー」格好いい映画、『ジャッキー・ブラウン』のオープニング
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『聖林、、、だけじゃないぜよ。』
播州弁からーらしい
住民が皆 そういう特殊な言葉を使って暮らしているわけではない(爆)