maruの下手の横好き写真とつぶやき
写真を撮ったり、音楽(クラシック・ロック)をよく聴き、読書は古典(主に哲学中心)がメインです。全体主義社会の動きに警戒。
 



日曜日、夏がぶり返した状態だったので夕方から作業。

 

今までは、お盆まえに終了させていたピーマン。

今年は9月いっぱいまで、ナスと一緒に育てています。

ここ数年、ジャンボピーマンを育てていましたが、

なかなかジャンボにならずでした。

今までは剪定はするも中途半端だったようで、今年は

思い切ってばっさばさ余計な枝を落としまくり。

今までにない高さに木を成長させ、ジャンボなピーマンが

採れています。左の二つは秋ナスで大胆カット後の姿。

その右にあるのがピーマン。もうすぐ180cmになる。

その他、ブロッコリーの未だに小さな苗を植えて(これは失敗だろうな)、

予備の苗を人参の脇に少し。その先の小さな部分にラディッシュ

の種の蒔いて、大根の発芽を確認して、終了。

一本空いた畝は、こんど菜っ葉系を植えたり、少しかぶでも

蒔こうかなと思っています。

 

話は変わって、アランの幸福論という100年程前の本がありますが、

(幸福を論じた書物というより、哲学エッセイ集ですね。)

人はあれこれ指図されたことをやってるだけだと退屈して

幸福感が得られないし、疲れるとあります。

反対に、きつい仕事でも自分で考えて取り組みだすと、

疲れも和らぎ幸福感も感じるとあります。

 

逆に言うと、答えを教えてもらい、それに従ってやるだけだと、

ラクチンだけど幸福感は得られない。退屈です。

暇と退屈は似て非なるもの。退屈はやる事があっても感じてしまう。

退屈を減らす生き方をすれば、それなりに楽しい事も

増えてくるのではないかと言う事です。

(暇と退屈の倫理学という本もありました)

 

虫に喰われたり、育て方で失敗したり、色々ありますが、

自分で考えて、思考錯誤してるところに楽しみがある。

ただ、今の農業だと、恐らく農薬と化学肥料で乗り切るしか、

生産性を維持しにくいのだろうから、つまらないのかも。

でも生活を賄う収入が得られなければ意味がない。

そこへいくと、家庭菜園はもってこいですね。

失敗してもいいから。猛烈な暑さや長雨、虫の被害を考えつつ、

できるだけ農薬使わずにどうするか。これは条件が同じ

年はないので、毎年判断が変わってくるので、ある意味

終わりがありません。

 

政府も、余った土地は沢山あるのだから、自給率を

少しでも高めるために、奨励したらどうですかね。

農家を守る事もせず、高齢化問題もそのまま。

地方など耕作放棄地も増えるばかりで、解決策が

海外から安い労働力を持ってくるとか、あり得ないね。

 



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