サェンバェノー!
2011年3月11日、東北地方太平洋沖に巨大地震が発生しました。
その後大津波が発生しその影響で福島第一原発も被害を受け今、日本は大変なことになっています。
この東北関東大震災で被害にあわれた方には心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く普通の生活を取り戻すことができますようお祈りしています。
2001年アメリカの「9,11」はとてもショッキングな出来事でしたが私にはそれ以上に2011年の「3,11」はショックが大きかったように思います。それは母国日本の出来事だったからでしょうか?
その日は午前中馬頭琴の練習に行き、その後買い物をして帰宅し、昼食を終え当地の午後1時45分を少し過ぎたころでした。
「NHKを見て!すぐに!」と夫からの電話でこの巨大地震のことを知りました。
夫の実家は茨城県です。水戸のすぐそばです。水戸では震度6強となっていました。
義母や義兄、義姉たちは無事だろうかと何度も電話をしてみましたがダメでした。いつもならメールを出せばすぐに返事が返って来る義兄にメールをしても長い時間返事がなくとても心配しました。
夜9時か10時ごろやっと義母の元気な声を聞き、また義兄も義姉たちもみんな無事と聞き一先ず安心しました。
「海からも近いし(7~8km)近くに大きな川もあるので津波にも気をつけてください。」と言うと
「そうだね、2mくらいの津波が来るかもしれないと言ってたね。」と言うのです。
停電になりテレビも見れないので今どうなっているのかわからないとのことでした。
現在の日本の様子を簡単に説明するとさすがに驚いていました。
東京も震度5弱となっていたので息子にも同じように何度も電話をしましたがやはり通じません。
義母と連絡が取れると私も少し落ち着き、息子にはメールをすればいいんだとそこで気がつきパソコンを開くと「生きてます」というメールが既に届いていました。
その後すぐに電話が通じたので少し話をしましたが「会社はビルの9階なので怖かった。揺れが激しかったのですぐに非常口のドアを開けに行った。」と言っていました。
とりあえず安堵しましたが余震が続いていたのでとても心配でテレビから目が離せませんでした。
津波の映像が中継で流れた後からはモンゴル人の友人や知人から沢山電話がかかってきました。皆日本語ができます。
「お父さん、お母さん、息子さんは大丈夫ですか?」と心配の電話です。
私の母は地震から遠く離れているから大丈夫だけれど義母と息子にはまだ連絡が取れていないと言うと皆本当に心配してくれました。
我が家の運転手のところにも親戚や友人から電話が沢山来ていて皆自分の家族と同ように心配していると電話がありました。
義母と息子にまだ連絡が取れていない旨伝えると益々心配そうでした。
「モンゴル放送で、今日本の携帯にはかかりにくいので家の電話にかけるようにと言っていますからそうしてみてください。」と再び電話で教えてくれました。
「義母は携帯を持っていないので家にかけているんだけれど・・・」と言うと運転手だけではなく私まで益々心配になってきました。
翌日の朝電話で目が覚めました。
「バイノー?(もしもし?)」
モンゴル語で始まる電話はほとんどが間違い電話です。先方が間違いを悟り電話を切るまで私はいつもお付き合いをします。
今回も先方がモンゴル語で何か言っていたのでそうするつもりで聞き流していました。
しかしその中で私の名前が聞き取れたのです。 まじめによく聞いてみると、日本、ツナミ、あなたのご主人、お母さん、息子、大丈夫? と言っています。
どうやら2人の安否を聞いているようです。
「ヘン ベー?(どなた様ですか)」と聞くと
「バテネン アーウ(バテネンの父です)」と返事です。(カタカナで書くとバトゥエルデネと書くのですがそう言ってるようには全然聞こえません)
運転手のお父さんからでした。
そう言えば最初にエルデネという単語も聞こえたなーとも思いました。
急に背筋を伸ばして丁寧に答えました。
「ミニー ヌフル エイジ ズゲール(私の夫のお母さんは大丈夫です)」
「タニー フー ウェ?(あなたの息子さんは?)」
「ミニー フー ズゲール(私の息子、大丈夫です)」
「OK お母さんも息子さんも大丈夫で良かった。私の息子からはまだご主人のお母さんとあなたの息子さんの2人と連絡が取れていないと聞いていたので心配していました。」多分このようなことを言っていたと思います全部は聞き取れませんでした。
運転手のお父さんには2回お会いしたことがありますが日本語は全くできません。
そして私がモンゴル語ができないのもよく知っています。(お会いしたときは今よりもできなかった)
それなのに自分で直接電話をしてくるなんてと驚きですがとても気持ちが伝わってきて嬉しかったです。
日本と連絡が取れた時点で運転手に電話をしておこうかとも思ったのですが翌日伝えればいいかと電話はしなかったのです。
翌日無事を伝えると既に知っていました。
お父さんが何度も電話をしてきて安否を気遣っていたそうですが朝自分で電話をしたと言って2人の無事を知らせてくれたと。
昨年の一人旅の時1泊したのですがゲスト帳に私の名前と電話番号を書いてほしいと言われ携帯番号を書いてきました。
全く言葉がわからないのにこの行動力に脱帽です。
2011年3月11日、東北地方太平洋沖に巨大地震が発生しました。
その後大津波が発生しその影響で福島第一原発も被害を受け今、日本は大変なことになっています。
この東北関東大震災で被害にあわれた方には心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く普通の生活を取り戻すことができますようお祈りしています。
2001年アメリカの「9,11」はとてもショッキングな出来事でしたが私にはそれ以上に2011年の「3,11」はショックが大きかったように思います。それは母国日本の出来事だったからでしょうか?
その日は午前中馬頭琴の練習に行き、その後買い物をして帰宅し、昼食を終え当地の午後1時45分を少し過ぎたころでした。
「NHKを見て!すぐに!」と夫からの電話でこの巨大地震のことを知りました。
夫の実家は茨城県です。水戸のすぐそばです。水戸では震度6強となっていました。
義母や義兄、義姉たちは無事だろうかと何度も電話をしてみましたがダメでした。いつもならメールを出せばすぐに返事が返って来る義兄にメールをしても長い時間返事がなくとても心配しました。
夜9時か10時ごろやっと義母の元気な声を聞き、また義兄も義姉たちもみんな無事と聞き一先ず安心しました。
「海からも近いし(7~8km)近くに大きな川もあるので津波にも気をつけてください。」と言うと
「そうだね、2mくらいの津波が来るかもしれないと言ってたね。」と言うのです。
停電になりテレビも見れないので今どうなっているのかわからないとのことでした。
現在の日本の様子を簡単に説明するとさすがに驚いていました。
東京も震度5弱となっていたので息子にも同じように何度も電話をしましたがやはり通じません。
義母と連絡が取れると私も少し落ち着き、息子にはメールをすればいいんだとそこで気がつきパソコンを開くと「生きてます」というメールが既に届いていました。
その後すぐに電話が通じたので少し話をしましたが「会社はビルの9階なので怖かった。揺れが激しかったのですぐに非常口のドアを開けに行った。」と言っていました。
とりあえず安堵しましたが余震が続いていたのでとても心配でテレビから目が離せませんでした。
津波の映像が中継で流れた後からはモンゴル人の友人や知人から沢山電話がかかってきました。皆日本語ができます。
「お父さん、お母さん、息子さんは大丈夫ですか?」と心配の電話です。
私の母は地震から遠く離れているから大丈夫だけれど義母と息子にはまだ連絡が取れていないと言うと皆本当に心配してくれました。
我が家の運転手のところにも親戚や友人から電話が沢山来ていて皆自分の家族と同ように心配していると電話がありました。
義母と息子にまだ連絡が取れていない旨伝えると益々心配そうでした。
「モンゴル放送で、今日本の携帯にはかかりにくいので家の電話にかけるようにと言っていますからそうしてみてください。」と再び電話で教えてくれました。
「義母は携帯を持っていないので家にかけているんだけれど・・・」と言うと運転手だけではなく私まで益々心配になってきました。
翌日の朝電話で目が覚めました。
「バイノー?(もしもし?)」
モンゴル語で始まる電話はほとんどが間違い電話です。先方が間違いを悟り電話を切るまで私はいつもお付き合いをします。
今回も先方がモンゴル語で何か言っていたのでそうするつもりで聞き流していました。
しかしその中で私の名前が聞き取れたのです。 まじめによく聞いてみると、日本、ツナミ、あなたのご主人、お母さん、息子、大丈夫? と言っています。
どうやら2人の安否を聞いているようです。
「ヘン ベー?(どなた様ですか)」と聞くと
「バテネン アーウ(バテネンの父です)」と返事です。(カタカナで書くとバトゥエルデネと書くのですがそう言ってるようには全然聞こえません)
運転手のお父さんからでした。
そう言えば最初にエルデネという単語も聞こえたなーとも思いました。
急に背筋を伸ばして丁寧に答えました。
「ミニー ヌフル エイジ ズゲール(私の夫のお母さんは大丈夫です)」
「タニー フー ウェ?(あなたの息子さんは?)」
「ミニー フー ズゲール(私の息子、大丈夫です)」
「OK お母さんも息子さんも大丈夫で良かった。私の息子からはまだご主人のお母さんとあなたの息子さんの2人と連絡が取れていないと聞いていたので心配していました。」多分このようなことを言っていたと思います全部は聞き取れませんでした。
運転手のお父さんには2回お会いしたことがありますが日本語は全くできません。
そして私がモンゴル語ができないのもよく知っています。(お会いしたときは今よりもできなかった)
それなのに自分で直接電話をしてくるなんてと驚きですがとても気持ちが伝わってきて嬉しかったです。
日本と連絡が取れた時点で運転手に電話をしておこうかとも思ったのですが翌日伝えればいいかと電話はしなかったのです。
翌日無事を伝えると既に知っていました。
お父さんが何度も電話をしてきて安否を気遣っていたそうですが朝自分で電話をしたと言って2人の無事を知らせてくれたと。
昨年の一人旅の時1泊したのですがゲスト帳に私の名前と電話番号を書いてほしいと言われ携帯番号を書いてきました。
全く言葉がわからないのにこの行動力に脱帽です。