こんにちは!
4月23日(月)~26日(木)まで故郷の北九州市へ行ってきました。
母が5年前まで一人で住んでいた家は昨年不動産会社が買ってくれたのでもう実家はありません。
1年前に行った時は家屋は既に亡くなって土地はほぼ更地になっていました。
実家の跡地は2階建ての住宅が2軒建っていてそれぞれの家には既に若い家族が住んでいました。
庭はありませんでしたが、それぞれの家には車が2台入るスペースがあり自分で思っていた以上に広い土地だったんだなと思いました。
実家を離れて既に50年過ぎているのでそれ程淋しいと言う感じはありませんでした。
その後ご近所さんに挨拶回りをしてきましたがその時私の亡くなった父や兄の話をしてくれました。
二人の死をとても残念に思って惜しんでくれていたのでありがたく思いました。
母は3年前に施設に移っています。
親戚から聞く母は一日の大部分寝ていて話しかけてもあまり反応がないとの事だったので多分私の事も覚えていないだろうと思い覚悟をして行きました。
部屋に入ると母は反対側を向いて寝ていました。
肩に手をかけ「お母さん、お母さん」と何度も声をかけるとこちらを向きました。
「お母さん、帰って来たよ。誰だかわかる?」と言うと弱々しく頷きました。
「誰?」と聞くと「リョウ」と言ったのです。最近はほとんど反応がないと聞いていたので驚きました。
私は勿論ですが一緒に行った従妹たちも驚いていました。
「正覚寺(ショウガクジ)に行ってきたよ~」と言うと
「あ~ お参りしてきてくれたの~」と弱々しくではありますが言ったのです。
でも兄が亡くなったという事には???・・・という感じで理解していないようでしたのでそのままにしておきました。
今回の北九州行で家の事が全て終わったのでホッとしています。
これからは近くなったので年に何回かは母の顔を見に行こうと思っています。
4月23日(月)~26日(木)まで故郷の北九州市へ行ってきました。
母が5年前まで一人で住んでいた家は昨年不動産会社が買ってくれたのでもう実家はありません。
1年前に行った時は家屋は既に亡くなって土地はほぼ更地になっていました。
実家の跡地は2階建ての住宅が2軒建っていてそれぞれの家には既に若い家族が住んでいました。
庭はありませんでしたが、それぞれの家には車が2台入るスペースがあり自分で思っていた以上に広い土地だったんだなと思いました。
実家を離れて既に50年過ぎているのでそれ程淋しいと言う感じはありませんでした。
その後ご近所さんに挨拶回りをしてきましたがその時私の亡くなった父や兄の話をしてくれました。
二人の死をとても残念に思って惜しんでくれていたのでありがたく思いました。
母は3年前に施設に移っています。
親戚から聞く母は一日の大部分寝ていて話しかけてもあまり反応がないとの事だったので多分私の事も覚えていないだろうと思い覚悟をして行きました。
部屋に入ると母は反対側を向いて寝ていました。
肩に手をかけ「お母さん、お母さん」と何度も声をかけるとこちらを向きました。
「お母さん、帰って来たよ。誰だかわかる?」と言うと弱々しく頷きました。
「誰?」と聞くと「リョウ」と言ったのです。最近はほとんど反応がないと聞いていたので驚きました。
私は勿論ですが一緒に行った従妹たちも驚いていました。
「正覚寺(ショウガクジ)に行ってきたよ~」と言うと
「あ~ お参りしてきてくれたの~」と弱々しくではありますが言ったのです。
でも兄が亡くなったという事には???・・・という感じで理解していないようでしたのでそのままにしておきました。
今回の北九州行で家の事が全て終わったのでホッとしています。
これからは近くなったので年に何回かは母の顔を見に行こうと思っています。
私の母も、介護認定受けてディサービスに週2回行っていますが、毎回どんなことやったと聞いても、覚えていないと言います。1日一日が、もう分からない状態です。介護はたいへんですよ~
施設へ入るかと尋ねると、追い出す気かと怒り出します。たまに正気になることがありますが、自分で言ったことを、時間がたつと忘れてしまいます。
弟が1度来ましたが、顔見ても初め、分かりませんでした。名前言うと分かったみたいですけど、もう来たことも忘れています。
私は、腰の痛みで要支援を受けて、プールで歩行トレーニングとか、機能回復トレーニングをしていますが、やっぱり痛みは、今のところ変わりませんが、3月から初めて週1回で7キロくらい痩せました。
先生は再手術したほうが良いといっていますが、100パーセントの保障は無いといわれています。後遺症が怖くて、なかなか決断できません。
母のこともあるし、ディサービスのときは家で待っていないと、原則駄目みたいです。
母一人では、生きていけないと思います。
家屋敷すべて片付いたということは、お寂しいかもしれませんが、気がお楽にはなりましたでしょう。
わが家はとてもとても大田舎で、消滅しそうな土地です。買う人はいなくて困っています。
私の母は家事が得意な方ではなかったので施設に入る時こちらが拍子抜けするほど喜んでいました。
その事は良かったのですが、老いていく母を見るのはやはり辛いです。
ピンピンコロリを願う一人です。健康管理をしっかりしなくてはと思っています。
おっしゃる通りとても気が楽になりました。
母は数年前までは元気で多くの習い事をして毎日のように出歩いていたのですが、それでも台風の時期になると心配でした。
骨折から入退院をするようになってからは空き家に火をつけられたり、浮浪者が住んでいたなどのニュースを聞くたびに心配でした。
やっと心配事から解放されました。
具合の良い日と悪い日があるのです。
貴女の顔を見て 脳の回線がピーっと開通したのでしょう。
それ程 嬉しかったのでしょうね。
家も片付いてヤレヤレですね。
私はまだ今からです。
実家はもう空き家、両親が生きている内には処分出来ませんから その内ボチボチ考えようと思っています。
老朽化していた家を手放してマンションを買う予定でしたが母の自活は難しいと判断し処分することにしました。
荷物は全て業者に処分してもらったので楽でしたが思い出の品は皆無くなってしまいました。
残念ですが津波の被害に遭われた方の事を思うと・・・何でもないです。
お母さまのお話伺うと、他人ごととは思えません。あなたに会えてさぞ嬉しかったことでしょう。私の母は30年前亡くなりましたが、どうぞお母さまお大切になさってくださいませ。
母から聞いていた台湾の話では台北の他、新竹、小梅、カギ、高雄などに住んでいたようです。(祖父が郵便局員で転勤族だったようです)
私の父も30年前(平成元年)に他界しました。これからは年に数回顔を見に行こうと思っています。