marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(822回) (その20)好きな作家「大江健三郎」は、おつまみセット

2021-03-09 10:24:07 | 小説

◆「読書には時期がある」と彼は述べているが、確かに世間も知らず、人生経験もそれほどなく、他人という生き物から自分も含めた人と言う生き物の生き様を見、経験を積んでいけば、やはり頑張っても途中から、若いころ好んで読んだ大江健三郎は、読めなくなるのだった。歳をとったせいだろうということだ。欧米の詩人、思想家、作家の作品を引用して自分のやる気のヒントが沸き起こりイメージし、奮起することは、確かに未経験の社会、可能性のあるであろうと想像する世間に夢を持っている若い内は、彼の作品から想像力の可能性としての輝かしいインスピーレーションの突然の訪れを感じたものであった。◆大江がその作品の題名にもした深瀬基寛の訳したオーディンという作家の「見る前にとべ」などは、僕が仙台にいて予備校のアルバイトをしていたころに、卒業生にひとことというので、その詩をみんなに送ると読み上げたことがあったのだから。大江健三郎は面白いぞ!と。僕が24か25歳の時だったかと思う。◆その詩と言うのは「危険の感覚は失ってはならない。道は確かに短い、また、険しい。ここから見るとだらだら坂みたいだが・・・・見るのもよろしい、だが、あなたは飛ばなければなりません。」確かそんな文句だった。彼は、その詩の題名まんまの小説をしたためたのだった。日本版のボーイズ・ビー・アンビシャスというところか、イメージとしてはね。何となく、わかるでしょう。見る前にとんだらケガするわな・・・けれど、夢に向かって飛ばなけれないけない、と。いずれ、彼は小説やエッセイの中にも多くの引用をしてくれたので知識が増し加わったこと、それに第一に、彼は「知的に小説の方法(としきりに書くが)」それが又、ボンクラの僕の頭をかき混ぜてくれるのが快感ではあったことには大いに感謝しなくてはならないと思っているいるのだ。

 


世界のベストセラーを読む(821回) (その19)ノーベル受賞作家カズオ・イシグロの新作が出たけれど

2021-03-09 09:23:23 | 小説

◆2021年3月6日(土)の日本経済新聞の文化欄に紹介された作品名は「クララとお日さま」である。買い物ついでにイオンモールの大型ショッピングにある書店に行くとクララであろうかわいい表紙のその本が新刊として並べられていた。・・・買わない。今後、この路線の内容の本が多く出るだろうなぁ、SFではすでにそのようなのがあったけれどと書いたのは僕のブログの818回(その16)にであった。◆紹介文:「人工知能(AI)を主人公に、最先端の科学が不平等を生み出すジレンマを描く。人はいかに生きるか。魂とは、愛とは何か。<科学が生む残酷な不平等>・・・思考や感情の実験 小説を通じて・・・>」◆詰まるところ、人工知能や遺伝子情報の編集などができるようになって、人様は大きな次元の思考の、感情の、愛情と呼ばれるものなどのすべてにおいて、人という生き物の「思考」が変わって行くかもしれない、と。「・・・人を人たらしめるのは条件とは何か。私たちには魂のようなものがあるか。十分なデータさえあれば同じ性格や個性をもった存在を複製できるのか、そんな問いを改めて投げかける時に、我々は来ているのではないか。」「私は、AIについてはあまりおそれや懸念を感じていません。太陽光がエネルギー源のクララは太陽に全幅の信頼を寄せ、決して希望を棄てようとしない。それは人間と神の関係に似ている。いずれ機械にも宗教に似た感情が芽生えるんじゃないかという想像はとても魅力的で、小説のタイトルを『クララとお日さま』にしたのも、それが理由です。」とカズオ・イシグロは述べる。・・・◆僕のその作品への創作活動の原動力とその悪戦苦闘の思考を推察できる、それはあの時代、学生運動が終息しつつもまだ、かなりくすぶっていた時代に大いに彼の文章に鼓舞されたが、後にノーベル文学賞を受賞した大江健三郎という作家が、カズオ・イシグロを読めばどう言うだろうかと思った次第。あくまで≪小説の方法≫を追求してきた大江であり、僕のような者が推測できるようなストーリーなど通俗的であると述べるのではないだろうか。そこが又、僕らの知的刺激を受ける理由でもあるのだが。しかし、また結局の落とし所は、世界の文学は娯楽小説とはちがって、もともと、やはり『そちらの方面』(魂のありようや創造されし「人とは何か」)ではないのかと思うのだ。