marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(826回) (その24)④「異化」ではなく「異界」ではないのか

2021-03-18 23:44:27 | 小説

〔A〕〔B〕いずれも昨年、ハードカバー本が出た大江健三郎全集を読み解くには、彼の小説指南の少なくとも掲載のテキストを読み解かないといけない、彼が暗示を与えてくれているその「異化」としきりに語っているその内容に、兎にも角にも彼が見出した小説の方法への仕組みへの強化として、作品のなかばかりではなく、これにも多数引用がある。あくまで従来作法とも呼べぬマンネリ化に落ち込んだ文学に対する知的小説の作法、それには、書く行為ばかりではなく、読む訓練も実に必要であると語っていることなのである。以前ブログに、とても読めなくなったと書いたが(出会った若かりし頃は、また違ったが)それは歳をとるとといえばいいか、やはり、人と言う物の何らかの普遍性を文学の中に読み取ろうとする気持ちが働くからなのだと思う訳だ。普遍性、まさに2021年コロナ禍の世界的蔓延、それに第一、インターネットにより瞬時に世界中の人々と言葉を共有化できる世界にますますそうなって来たからと思う訳である。◆だからというか、あの時代、それ以降のエポックに彼が、ノーベル文学賞をもらったことは大いに意味があったし、選考委員も当然、それなりの意図、当時、これからの世界に向けて彼が、いたるところに、多くの欧米の詩人、思想家、作家に彼が見いだした小説の方法たる「異化」を説明するために、画家や音楽家までもあらゆると言えるような芸術家を取り上げて説明しているその行為が、2000年前に十字架上で死んだあの男の意味づけで、形成されてきたその土台に、それはまさに世界に行き渡ったのだから、海外に学問、創作、著名人たる知人をおおく持つ彼の作品は、その面々と紹介、シェアーする役割は大変、文学賞選考員に喜びと驚きと歓迎の気持ちを湧きおこしたに違いなのである。とても読めなくなった内容はともかくとして・・・。