marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(836回) (その34)キリスト教礼拝で語られた”大江健三郎”の一冊

2021-03-25 20:14:56 | 小説

「大江健三郎の最新のエッセー集『新年のあいさつ』の中に「チャンピオンの定義」という美しい文章があります。著者は、高校一年のころお兄さんから、コンサイス・オックスフォード・ディクショナリーを買ってもらったそうです。大江さんは、夕食に家族が集まる時間になっても、買ってもらった辞書を読みふけったようです。みんなを待たせて、遅れてやって来た弟を、兄さんが執り成して、何か面白い言葉を見つけたかと聞いてくれたそうです。新しい言葉というのでなく、言葉の説明が。そう答える弟に、一つ例を上げて御覧と言う兄。言われてあげたのが「チャンピオン」という言葉の説明だったというのです。「ある人のために代わって戦ったり、ある主義主張のために代わって議論する人。僕はこれまで、チャンピオンという言葉から、大切なことを他の人の代わりにやる役目を思い付いたことはなかった。しかし、この説明に何かしっくりするものを感じる」。それから40年、兄弟はこのことについてその後一言も話しをしたことがなかったようですが、そのお兄さんが亡くなってから、ある人から、電話で知らされた。亡くなる直前、非常識にも癌で死の床についているその兄さんに、来世のこと、魂の救いのことについて気構えができているか尋ねた人がいたというのです。その時、「それは弟に聞いてください。あれが、私のチャンピオンですから」と兄さんは答えたと言います。「代わって戦ってくれる人」を持つ、その意味の深さをきっとあじわったのではないかと思います。ーーー「ある人のため代わって戦う」「大切なことを他の人の代わりにやる役目」ーそういう戦いや努めがあるのです。これは何かしっくりするもの、ほっとするものを感じます。・・・このチャンピオンの定義はキリストが、私たちに代わって戦ってくださった戦いに通じるものがあります。・・・それが主の十字架でした。そして私たちのために勝利してくださったのです。・・・」(「キリストー私たちの勝利者」<コロサイ信徒への手紙> 近藤勝彦:東京神学大学教授、学長歴任、現理事、協力牧師)・・・◆’21年3月末、今はキリスト教歴で受難節、新年度4月4日はイースター(復活祭)になります。