marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(823回) (その21)①ノーベル賞作家、大江健三郎を批評する

2021-03-13 19:08:28 | 小説

◆言葉に与えられるノーベル賞作家において、受賞すればすでに過去の人でその内容も定かならずで、未だこのようにブログで、彼の名前が出てくるとうのは、やはり彼が、知的に小説の方法にあがきながらも悪戦苦闘して、作品だけではなく、たとえ歪に解釈されようともその方法、システムの序論を提示せんとしてあがき生きているからである、と僕は考える。大江健三郎賞という文学賞ができたくらいだからシステムをそれなりに軌道にのせたことになるのかなぁ。◆しかし、これまた僕にとっては、確かに歳をとったせいでもあろうけれど、いくらでも彼の作品はともかく、彼自身、フィクション(うそ)だと言っているのだから文句をいいたくなるような、つつきたくなるようなその方法のうんちくに、引用された内容(おつまみ)への彼の解釈なのだ。だからというか、無論、僕は普通の人で作家稼業でもないわけだが、そういう志ある人と違って、途中から読めなくなったためもあるが、それは彼が、あくまで小説の内容はともかく、小説の知的手法にこだわったと思われるわけで、ロシア・フォルマリズムの「異化」についてをしきりに述べるところにあるのであった。◆しかし、この見いだし感激したであろう小説の方法「異化」のノウハウを説明するに、できあがって流布され知られている文章、ダンテはじめ歌人俵万智や夏目漱石や、ニーチェまでを持ち出しては否、引用好きな彼は実に多くの詩人、作家や思想家を持ち出して言わんとするところは、それなりの「異化」についての理由付けではあろうけれど、最終ご自身の小説自体については採用せず、よく分からないというのはどうしたものだろうと思ったのだった。ところが、そこには逃げ道があって、「異化」には難解な文章にもなるのであって、そこに読者が主体的な読みをする努力もする要求することがある、と述べているのである。