marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(837回) (その35)①十章 小説家として生き死にすること

2021-03-26 08:19:23 | 小説

 (再び・・・)表題は彼の書いた最後の章にある表題である。彼が華々しくデビューした時代、僕は学生時代だったから、その作品に大いに引用されている文章が、欧米のそのままに近い内容で、しかも欧米の詩人、作家、思想家というのはその深層には、2000年前に人類の罪を担って十字架で死んだというその男から始まっていると思っていた僕には その引用にとても関心があったのだ。ただ、作品の人の所動に読めなくなったのは述べてきたとおり、性的衝動に露骨に行動を起こさせるのは、知的な思考での表現がいきなり動物的な脳みその衝動的行動を起こすのは、そのギャップに吐き気がしたと書いたとおり。◆軽いところから書けば、「万延元年~」の村で首釣り自殺の人を、子供が棒でつつく場面があるが、これは彼が小説の表現に「異化」を語るが、人の存在の「異界」を思う僕にとっては、これは嘘だろうと(彼は、フィクションでいいとは語っているが)そもそも魂をもつ他人を含む人という生き物が持つ「異界」を無機質の物体に扱うところが、いただけない。それゆえ彼自身には個人的体験として確かに困難が生じた。(作中の)子供にとっての人の死はというものは「異界」に接する非常なる恐怖を感ずるものである。事実、そうである。◆小説を読むには時期がある、と彼は語っているが、まさに人にもまれず、社会的経験も積んでいない若い人にとっては読めるだろうが、学生時代から職業作家として身をたてていかねばならなかった彼にとっては、「魂の問題」が人生の課題になっていたことが、この最後の章に書かれているのである。人が命をもち、魂をもって生きているその追及「その方面」の答えをあからさまに書いていけば、小説は書けなくなるだろうと。◆最後の章の、最後に出てくる引用は、僕が2016年11月30日に掲載したブログ(189回)のスピノザ(写真掲載見られたし)であった。・・・