marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(778回) 畏るべし神の摂理!

2021-01-17 08:29:22 | 日記

◆先のブログの後半に書かれたこと、古代アメリカや東に離散した多くの離散した一団がいたことは間違えてもキリスト教会(モルモン径を除き)では公には語られない。バビロン捕囚までは、きちんと語られることがあるだろうが、それは高校の世界史でも習ったことだ。第一、聖書にはそれらのその後の人々の詳細は書かれていなから。しかし、また、聖書に書かれている残った人々、エルサレムに帰還した人々がいたことなのである。聖書で大切なことは教会で語られるこちらの方だ。取り上げたアモスの最後、そして、他の預言書でも後半は希望が語られていることである。◆神は「あなた方を必ず連れ戻すと」煎じ詰めるとそう希望を語っていることだ。預言者は、歴史を動かしている神の摂理に背く人々に滅びの預言をする。わたしは、エジプトからあなた達を導いたではないか、と。それでも、人々は振り向かない。そして、結局、滅びを招き離散したのである。しかし、最後に将来の事を希望を持って預言していることである。これも、また事実、歴史はそうなった。あまりに、預言のことばが的中するので、近代から今までの神学者の中には、事後預言というものではないか、と言う人もいるくらいである。事後預言というのは、後出しじゃんけんのように、歴史の結果が分かってあとから前もって分かっていたように後で記録されてものだろうということだ。しかし、預言書を調べようが時代検証しても事実としか言えなかったのである。◆事実その希望は、バビロンの国の後に起こったペルシャによって、(遠くに離散した以外の)人々はBC538年エルサレムへ帰還するのであった。この導きの摂理は、繰り返し続いて世界の人々に今も語られているということである。キリストが地上に来られたことによって、それがあからさまに地上の神が命を与えられたといわれる全世界、全人類に知られることになったということである。永遠の命への帰還がすべての人に語られるようになったということである。天のエルサレム(「エル(神の)シャローム(平和)」)に招かれているというのである。イスラエルの過去の歴史など知らないギリシャ人が、イエスを尋ね求めに来て以来、十字架に掛かることをあからさまにご自身で語り始めたのは、そういうことなのである。◆神は、今日も使わした独り子に聞き、無条件にわたしの元に返ってきなさいと語り続けられている。あぁ、畏るべし神の摂理!


世界のベストセラーを読む(778回) アモスという預言者が好きだ!愛する国、日本。

2021-01-15 14:54:37 | 日記

◆祈り会で旧約聖書アモス書が取り上げられた。9章しかない短い預言書である。僕は、アモスが特に好きなのである。彼は、いちじく桑の木を栽培していた一介の牧者に過ぎなかった。職業的な預言者の訓練を受けたものではなかったOnlyOneのこの男に神の言葉(神の警告)が下ったのである。そういう組織的な束縛など受けず、彼は南ユダに住んでいたのだが、北に向かい、職業預言者に不吉な預言と神の刑罰を語るアモスに南に帰れとけなされながらも、神の選ばれた民(北イスラエルも南ユダ)を神に立ち返らせようと滅びの預言をするのであった。◆いきなり読んでも何のことやらである。1章から2章に書かれているの当時の周囲ぐるりの広範囲の周辺諸国への神の審判である。なぜ、職業預言者でもない彼がそういう当時の世界情勢を把握できたのだろう。3章から6章は、”こうなるぞ”と何度も神の警告を伝える。7章からはアモスと神の対話がある。◆聖書は歴史を支配しているのは神であるとされる。地上で人が誰がなんと言おうが、それは神の被創造物にすぎない。人類の支配において地上を歩み、歴史を作ろうがそれは結局、生きておられる神の支配の下にあるということである。今のアメリカのことを思いながら、アモス書の警告を特に思わされたのである。聖書を学ぶには、大切な歴史的年代がある。紀元前1000年ころのダビデ王の王朝、そしてBC722年の北イスラエルのアッシリアによる捕囚、そして南ユダのBC586年ころのバビロン捕囚である。実にアモスが活躍したのは(神からの警告を発したのは)それら以前のBC760年ころなのである。事実歴史は、その後、アモスの必死なる警告通りに北イスラエル、南ユダ国、少なくともその地から多くの人々が捕囚となり世界に離散したのである。◆「みよ。その日があなたがたの上にやってくる。その日、彼らはあなたがたを釣り針にかけ、最後のひとりまでもりにかけて引いていく。」(4:2)「わたしは、あなた方をダマスコ(遠く北方への意)のかなたへ捕らえ移す。」主というお方がそう仰せられる。(5:27)事実、世界史はそうなったことを教えている。こういう離散して今のアメリカ大陸へ渡った一団をモルモン教は伝えているのではないだろうか。そして、実に多くの集団が理想の国つくりを夢見ながらも東に向かって遥か旅を続け、到達した国があったのである。長い年月をかけ遠く東の端の国、そう不思議の国、日本である。


世界のベストセラーを読む(777回) アメリカ民主主義国家のほころび

2021-01-14 18:21:14 | 日記

◆1884年アメリカに内村鑑三が上陸し、理想と思っていたその土地の人々の実際が、日本国にいて読めた人格と教養ある人々のキリスト教国の実態とあまりに異なっていたがゆえに、私は日本にいて騙されたのだと落胆したのだった。そして、それは時代を経ることによって解消されているのかと言えば、決してそうではなく、今、われらが知らされてきたアメリカと言う国は、理想の国に仕上げようと試みた、そしていまもそう励んでいる超上流のエリート郡の宣伝であったのだろう。僕が学生の頃のアメリカを形成する人々のエリート層は、WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)と呼ばれた。多くの移民も受け入れ、民主主義と自由の国であると誰もが羨望をもって、消費第一、エネルギー消費第一の国。しかも、実際は拝金主義、人種差別の国。理想の国であるとしてきた世界への宣伝をトランプさんはフェイク(嘘)であるとここにきてようやく暴露し始めたということなのか。◆慣習として大統領就任には聖書に手を置いて宣誓したのではなかったか。議会会場に乱入した人々も、共和党も民主党も民衆はいずれ、誰でもが教会に行っているはずではなかったのか。暴動をも起こすことを自由というのであったのか? それは、次元の低い肉体の攻撃性の放任であろう。そういう”人とは何か”ということも、僕らはアメリカいる学者から多くを学んだのに・・・。産学共同で兵器を作り、儲けと人の働きを維持させて裕福に富ませ、喧嘩を売り込み、かつ、その行動の正当化には限界が来たということなのだろうか。いかに、一般大衆のひとり一人の魂の質(国の土台に係わる人々の信仰心と言っていい)にかかわり、国と言うものが出来上がっているかということを改めて考えてみなくてはならないと思わされる。◆それは、彼らが信じている今も生きて働いておられるという世界のベストセラーに書かれている天地創造の神が、世界にその存在を知ら占めるためにコロナ禍があり、アメリカがほころび始めたことを示し始めたのだと、僕はそう思わさざるをえないのだ。


世界のベストセラーを読む(776回) 内村鑑三「我はいかにして~」 第8章キリスト教国にて

2021-01-13 11:06:42 | 日記

◆「12月5日ー神の摂理が、私の国民の上にあるに違いないと考えて、いたく感動した。もし、すべてのよき賜物(たまもの)は、神によって与えられるものとするならば、私の国人たちの有する、賞讃すべき性格のなかには、いと高きところより与えられたものがあるに相違ない。私たちは、私たち固有の賜物と恵みとをもって、神と世とにつくそうとしなくてはならない。神は、20世紀間にわたる訓練によってもたらされた、私の国民の性格が、欧米の思想によって、すっかり取り替えられることを望まれない。キリスト教の美しさは、神の各国民に与えられたすべての独自性を、聖化しうることである。日本人もまた神の民であるとは、幸いにして勇気のわく考えである。」(「第8章キリスト教国にてーニューイングランドの大学生活」内村鑑三の日記から)***◆昨今、youtubeなどで、世界中の人々の情報を分かち合うことができるようになった。日本国史学会の田中英道先生やレムナントの久保有政さんなどの古代この日本には多くの渡来人、秦氏(東方ユダヤ人)が来て日本人として同化して日本の国作りに精を出して来て、その痕跡は様々な大小の神社があることや多くの技能を伝え、生み出し、伝統や文化からも分かるとしてしてみることができるとしている。◆内村は、当時のキリスト教国での生活を体験し、日本人も神の民(無論、これは戦時中のそれとは異なる)であると思ったのであった。今や、僕らが疑問に思いながらも知らされることがなかった歴史が明らかになり、紀元前、まさにキリストの誕生以前からその離散したユダヤ人たちが理想の国を求めようとして、東へ向かった多くの一団があって天皇が受け入れたこと(これは記紀にも書かれている)、その到達した国がこの日本と言う国だったと思われる痕跡が多くみられ、第一、我らが国人の伝統や文化や信仰心において、その痕跡があるであろうことは誰でも察することができるのではないだろうか。・・・続く


世界のベストセラーを読む(775回) あぁ!アメリカよ、アメリカ。

2021-01-08 08:15:28 | 日記

◆1884年11月24日、内村鑑三がアメリカに上陸して、過ごすうちに思い知らされたことがあった。わたしたちは日本にいてだまされていたのだ、と。拝金主義、人種差別、盗みやその他・・・。不貞の妊娠で赤子を一人2ドルで焼却して富を築いていたものまで居たと書いている。実はそれ以来(それ以前からも)メディアによって作られたアメリカ像は、ずぅと続いていたのではなかったか。それをここにきて実はトランプはフェィクと話したのではなかったのか。実態はこうなのだと、議会に侵入せよ!と。当時から、大陸ではアメリカでの民主主義を懐疑的にみるトクビィルなどがすでにいた。つまるところ、自由と叫んでも結局、消せない人の罪である。キリスト教とは、そもそもこの原点が個々人に生じない限りは決してなりたたないものである。◆内村鑑三がアメリカ大陸に上陸した時、その年の遡る6月にアメリカから来た宣教師がこの東北の宣教ではもっとも遅れたこの場所で、礼拝がもたれた。今は教会はカトリックをはじめあるが、僕の県では、プロテスタントに最も歴史があり福音の種というものが蒔かれたキリスト教会である。その宣教師たちが当時のアメリカでの思いは、実は、内村がアメリカの上陸して体験した当時のキリスト教界の教派の争いや哲学の教えなどなど争いあうような中で、キリストの父なる神の思いと言うものは、本来そう状態ではいけないと起こった宗派なのである。「大事に一致、小事に自由、万事に愛!」これが宣教師たちの思いであった。病弱をおして日本に来られた初めての宣教師のご婦人は、お子さんと共にこの地に眠っている。そしてともに来られた初代宣教師の墓は青山の外人墓地にある。あぁ!アメリカよ、アメリカ。