神奈川県鎌倉市長谷にある浄土宗寺院である高徳院は、“鎌倉大仏”あるいは“長谷の大仏”として知られる阿弥陀如来像が本尊の古刹です。最近は「鎌倉大仏」は外国人観光客に人気が非常に高く、高徳院の境内は多くの外国人観光客で埋っています。
山号が大異山という高徳院は、長谷寺から表通りに出て、北に向かって進むと、7、8分で到着するほど近くにあります。今回は歩道が北に向かう観光客と南に向かう観光客とがなんとかすれ違える程度の混雑ぶりでした。
高徳院の入り口から境内に入っていくらか進むと、鎮座している鎌倉大仏が目の前に現れます。
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高さ約11.4メートル(台座を含めると高さ約13.4メートル)の鎌倉大仏です。質量約121トンもあります。大仏の像内は空洞です。
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鎌倉大仏は、青銅(銅とスズ、鉛などの合金)製の鋳造品で、製作当初は表面には金メッキが施されていたそうです。顔の右頬の辺りにわずかに金箔が残っているそうです。
この鎌倉大仏は、最初は大きな建屋の中に鎮座していたという記述があるそうです。この当時の建屋は失ったままです(地震や津波などの被害によって建屋が焼失したという説があります。真相は不明です)。
外部にむき出しになって鎮座しているために、青銅製の鎌倉大仏は雨や風などによってかなり痛み(腐食などで)、何回か補修されているそうです。
高徳院の境内は、いくらか高い丘に囲まれています。丘には雑木林が生えています。鎌倉時代などの当時は、切り通しと呼ばれる狭い道からしか、鎌倉幕府の政治の中心部には入れませんでした。軍事的なことからです。
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高徳院の境内では、サザンカやツバキなどがいくらか花を咲かせていまいした。
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鎌倉大仏の背後では、センダンの木が実を付けていました。
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高徳院の始まりは不明です。その開基(創立者)と開山(初代住職)もともに不詳だそうです。
鎌倉大仏をつくる基金(費用)のつくり方なども謎が多く残っています。当時の銅などの鋳造原料の集め方も謎です。
この日は、外国人観光客が観光バスで参拝するなど、混んでいました。
鎌倉大仏を見に来る外国人観光客が増えた原因は、2010年11月14日に、当時の米国大統領だった オバマさんが、横浜市でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)が閉幕した後に、鎌倉市の高徳院にある鎌倉大仏を訪れたことが一因といわれています。米国あるいは各国の人々に、鎌倉大仏が知れ渡りました。
山号が大異山という高徳院は、長谷寺から表通りに出て、北に向かって進むと、7、8分で到着するほど近くにあります。今回は歩道が北に向かう観光客と南に向かう観光客とがなんとかすれ違える程度の混雑ぶりでした。
高徳院の入り口から境内に入っていくらか進むと、鎮座している鎌倉大仏が目の前に現れます。
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高さ約11.4メートル(台座を含めると高さ約13.4メートル)の鎌倉大仏です。質量約121トンもあります。大仏の像内は空洞です。
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鎌倉大仏は、青銅(銅とスズ、鉛などの合金)製の鋳造品で、製作当初は表面には金メッキが施されていたそうです。顔の右頬の辺りにわずかに金箔が残っているそうです。
この鎌倉大仏は、最初は大きな建屋の中に鎮座していたという記述があるそうです。この当時の建屋は失ったままです(地震や津波などの被害によって建屋が焼失したという説があります。真相は不明です)。
外部にむき出しになって鎮座しているために、青銅製の鎌倉大仏は雨や風などによってかなり痛み(腐食などで)、何回か補修されているそうです。
高徳院の境内は、いくらか高い丘に囲まれています。丘には雑木林が生えています。鎌倉時代などの当時は、切り通しと呼ばれる狭い道からしか、鎌倉幕府の政治の中心部には入れませんでした。軍事的なことからです。
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高徳院の境内では、サザンカやツバキなどがいくらか花を咲かせていまいした。
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鎌倉大仏の背後では、センダンの木が実を付けていました。
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高徳院の始まりは不明です。その開基(創立者)と開山(初代住職)もともに不詳だそうです。
鎌倉大仏をつくる基金(費用)のつくり方なども謎が多く残っています。当時の銅などの鋳造原料の集め方も謎です。
この日は、外国人観光客が観光バスで参拝するなど、混んでいました。
鎌倉大仏を見に来る外国人観光客が増えた原因は、2010年11月14日に、当時の米国大統領だった オバマさんが、横浜市でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)が閉幕した後に、鎌倉市の高徳院にある鎌倉大仏を訪れたことが一因といわれています。米国あるいは各国の人々に、鎌倉大仏が知れ渡りました。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
鎌倉市長谷にある高徳院の境内に鎮座する鎌倉大仏は、本当に長年の風雪に耐えてきました。
青銅の鋳造製であることが、長年の雨風に耐えることができました。
あの大きな身体を青空の下で拝見できることに驚きます。
最近は鎌倉は外国人観光客であふれているのですね。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
鎌倉市長谷にある高徳院の境内に鎮座する鎌倉大仏は、昨年、大規模な掃除・サビ取り作業が行われ、少し綺麗になりました。
以前は、鎌倉大仏の観光客は、日本人が主でしたが、今は外国人観光客が圧倒的に多くなっています。
鎌倉市は北鎌倉を中心に、お寺などが点在しています。高校生の時に神社仏閣に行った際には、かなり歩かれたことと思います。
LEGEND様
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
鎌倉市長谷にある高徳院の境内に鎮座する鎌倉大仏が青銅製の鋳造品であったことから、長年の風雪に耐えて、幸運にも現在まで形を保っています。
木製だったら、当然朽ちています。しかし、鎌倉時代に、鎌倉の地で青銅製の鋳造による造形は大変なハイテク技術であり、コストがかかったことと推定されます。この点で、歴史的な価値が高いです。
そう言えば、奈良や京都などの古刹にある阿弥陀如来像は、家の中にいて守られていますね。
鎌倉大仏はいろいろと大変そうです。
長い間、風雪に耐えてきて大変なことが感じられます。
背景の秋の青空が美しいです。
コメントをいつもお寄せいただき、ありがとうございます。
鎌倉市長谷にある高徳院の“鎌倉大仏”は、歴史的な経緯から青空の下にさらされています。
鎌倉幕府の時代が終わり、その後は政治の中心地から外れ、高徳院の阿弥陀如来像は雨ざらしになりました。考えてみると、珍しい仏像です。
徳川時代には、鎌倉の寺院はいくらか庇護を受けました。源氏の本流との考えからのようです。
トランプ大統領の評価は現在進行形で下さないと、取り返しがつかない状況です・・
センダンの実が綺麗です。オバマさんのような方も、トランプさんも大統領、歴史が審判を下すとしても。
コメントをいつもお寄せいただき、ありがとうございます。
鎌倉市長谷にある高徳院の“鎌倉大仏”は、歴史的な経緯がよく分からない阿弥陀如来像です。
鎌倉政府も源氏から北条系に移ったころに造られたように推定されています。この阿弥陀如来像をどう集めたのかなど分からない点が多いです。当時の京都以外で大きな仏像を鋳造する技術の確保は大変だったことと思います。
高徳院自身も仏教の宗派がどんどん変わっています。時の政府に左右された結果なのでしょうか。
与謝野晶子さんの和歌など、鎌倉は文化人・小説家・芸術家が活躍した土地です。
おはようございます。
鎌倉の大仏様はあまざらしなのですね。お可哀そうにと何時も思います。
与謝野晶子が
かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな
と残していますが、やはりいけめんなのでしょう?!阿弥陀仏なんですよね!?
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
鎌倉市長谷にある高徳院の“鎌倉大仏”は、外に露出して座っていて、分かりやすい仏像として、人気が高いようです。
海外では、崖などに直接、描かれたり、彫り込まれたりした仏像以外は、外にむき出しのものは無いようです。
この“鎌倉大仏”は元の建屋が再建されなかった理由なども分からないようです。
建物の中ではなく、青空の下で、そのまま座っています。
分かりやすい阿弥陀如来像として、人気が高い理由がわかる気がします。
コメントをいつもお寄せいただき、ありがとうございます。
鎌倉市長谷にある高徳院の“鎌倉大仏”は、分かりやすい観光対象として、外国人観光客に人気があります。特に、アジアの仏教国やイスラム系の国にとっては、興味深いようです。
鎌倉市長谷の表通りにある飲食店やお土産屋は、こうした外国人観光客で賑わい、列をつくっています。営業利益を外国人観光客から得ています。
問題は食べ歩きの方のマナーです。結構、マナーが悪い方もいます。
鎌倉のシンボル大仏さんも、露座とあっては傷みが進むのも当然のことですね。
やはり、ここも外国人観光客で賑わっているようですが、
観光立国を目指す日本にとっては、うれしいことなのでしょうが、
古都鎌倉のイメージが、失われつつあることは残念な気もしますね。